第335話・稲葉山城攻防戦!?

Side:久遠一馬


 美濃国、元の世界では岐阜県と呼ばれていたところだ。史実の織田信長は斎藤道三が討たれたあと十年ほどかけて美濃を攻め落としている。


 道三が討たれた頃は美濃どころか尾張国内でさえバラバラで、弟の織田信行との稲生いのうの戦いや今川との桶狭間の戦いを経てからの美濃奪取だ。


 現状は単純に美濃を支配したとは言えないから比べるのはおかしいかもしれないが、約二十年ほど歴史の歯車が早くなっている。


 ただ、これには利点も欠点もある。簡単に考えて美濃の隣国である信濃はまだ村上と武田が争っているし、史実のように武田を恐れる心配は今のところないのが利点だ。


 また、北近江の浅井もまだ六角家に従属状態であり、美濃に小競り合い以上の手出しは出来ないだろう。


 欠点としては、三好長慶、六角定頼、今川義元、太原雪斎、朝倉宗滴などが健在であることだろう。


 織田が今一番困るのは史実にあった織田包囲網のような事態だが、その可能性は少ないだろう。今川は別にして他は畿内の揉め事で忙しい。織田が畿内に進出するには近江から北伊勢まで勢力圏に治めている六角がよこたわっているからね。悪く言えば邪魔な存在だが、今の織田にとっては畿内からの乱世末世らんせまっせの波を自分からかぶりに行ってくれる防波堤である。


 六角バリアーが機能してるうちは畿内には関わりたくないところだ。




「あなた、もうすぐ美濃に入りますよ」


 美濃行きの道中は今までの船旅と違う風情があってのんびりとしている。


 船頭さんが竿さおで舟を操る緩やかな揺れと風が吹き抜け、水が流れる音、そして時折聞こえる鳥や獣に人の声はなんともいえない眠気を誘う。


 美濃に行くからと、少し美濃のこの先のことを思いながらうとうとしていたら、エルに起こされる。どうやら考えごとをしながら、エルにもたれかかるように少し寝ていたらしい。


「お前はあいかわらずだな」


 はっとして起きると信長さんに少し呆れたような顔をされた。


泰然自若たいぜんじじゃくとはちと違いまするが、つね平穏へいおんなところが一馬殿のよきところですな」


 周囲からは不思議そうな表情をされたり呆れた表情をされるが、笑ってフォローしてくれたのは政秀さんだ。


 申し訳ない。さすがに緊張感が足りなかったか。言い訳をするとエルたちがいる以上は、城の中だろうが敵地だろうが変わらないんだよなぁ。


 ああ、そうしているうちに国境を越えると斎藤家の家紋の入った旗を掲げた舟が数艘近づいてきた。さっそく出迎えと護衛が来たか。


 尾張と違い美濃はまだまだ安定してないからね。下手すると信長さんよりオレが狙われる可能性すらある。まだ嫡男でしかない信長さんと違い、オレはいろいろやり過ぎて目立っているからね。


 斎藤家側もオレと女性であるエルたちが来ることで、だいぶ警備を厳重にしているようだ。


「出迎えの将は新九郎殿ですな」


「自ら来たか」


 舟で合流しただけなんで挨拶もまだしてないが、斎藤家側の出迎え兼身辺警護の責任者は義龍さんらしい。


 信長さんは義龍さんが来ていることで少し考えこんでいる。なんか信長さん、義龍さんにライバルとまでは言わないが立場が近いだけに少し意識してるんだよね。


「わざわざ出迎え頂きかたじけない」


 舟は稲葉山城に近いところまで行き、オレたちは舟を降りた。


 義龍さんと軽く挨拶して今度は馬と籠で稲葉山城を目指す。というかさ。エルたちに籠を用意したんだね。ちょっとびっくりだわ。尾張だと普通に馬に乗っているからなぁ。


 護衛の兵は二千はいるだろうか。でもこれって織田家と斎藤家の友好関係を美濃国内の諸勢力に見せつけたい思惑もあるんだろうね。


 おお、見えてきた。稲葉山城だ。確か標高三百三十メートルくらいの小高い山城だ。


 難攻不落の城として元の世界でも有名で確かに攻めにくそうだけどさ。それより山に登らなきゃならないんだな。確か元の世界だとロープウェイがあるはず。ここに毎日登るのは大変そうだなぁ。健康には良さそうだけど。


 斎藤家が織田家に臣従しても、岐阜城に改名して信長さんが住むことはないだろうな。


 美濃は交通の要所だし稲葉山城は堅城だけど、経済的な発展を考えると海が遠いのがね。


 ウチの戦略を考えると清洲と那古野の体制って意外にいいんだよね。もちろん美濃の開発とかもするが、開発は尾張優先だし、先着順とは言わないが、美濃には先に織田側になった大垣もあるからね。


 稲葉山城は斎藤家の居城でもいい気がする。




 稲葉山城に入城したオレたちはさっそく道三と会見することになる。オレやエルたちも正装に着替えての会見だ。


「婿殿、よう来られたな」


 城の中の雰囲気はなんとなく重く感じるのは気のせいだろうか。ただ道三はそんな雰囲気と正反対の友好的な様子だ。まあ表向きだけでも友好的に取り繕うことなんて、道三なら簡単なんだろうから本心はわからないけど。


「わざわざ国境までの出迎え、感謝致しまする」


 斎藤家側は義龍さんと重臣が揃っている。重臣たちの様子は良くも悪くもない。


 一方、道三と違い信長さんの態度は硬いね。まだ経験不足もあるだろうが、織田と斎藤の関係が複雑なのもある。


 信長さんにとっては嫁の実家だが、織田と斎藤は去年の秋までは敵対していたんだ。正式に交わしたのは和睦であって現状では同盟ですらない。


 世間では実質臣従と言われているし、道三もその気らしいが、表向きな立場は親戚になったばかりの嫁の実家に来たということ。対応が難しい。


 長年、権力の中枢にいた道三が相手では、今の信長さんでは敵わないだろう。


「そなたが薬師の方か。美濃の者も診るというがいかがする?」


「少しでも多くの人を診る。まずはこの城の人たちから」


 信長さんとの挨拶のやり取りが終わると、さっそく実務的な話になる。検地と人口調査は明日にでも教えることになるが、問題はケティの診察だった。


 重臣はもちろんながら道三もケティを見るのは初めてなので、少し驚いているようだ。ケティの若さから、本当に大丈夫なのかと驚きと不安でもあるんだろう。


「ならばわしから診てもらおうかの」


 ただ直接問答しても一切臆することのないケティに、道三はならば自分から診察するようにと言いだした。


 疑っているわけではないんだろうが、直接見ないと信じられないところはあるんだろうね。


 ケティは道三の言葉に持参した鞄を手に上座に上がると、オレたちや重臣が見ている前で診察を始める。


 隣で助手の侍女さんがカルテを書く準備が出来ると、問診から始めて触診へと診察していく。途中聴診器で道三の心音や呼吸音、嚥下えんか音を聴くと、重臣からはなにをしているのだとざわめきが起きるが、道三自身は意に介さない。


「大きな病はありません。ただし、お酒の飲み過ぎと塩の取りすぎです。このままでは卒中になります」


 淡々と相変わらず抑揚のない声で診察結果を告げるが、あの結果だと肝臓機能の低下と血圧でも高いのかな?


「うむ。たしかに酒はよく飲むがの」


「若くはないから体を労わらないと長生き出来ません」


 織田家側のみんなは特に驚きはない。ケティは誰でも必要なことははっきり言うからね。信秀さんも少し前にお酒の飲み過ぎを注意されて、四日に一日は禁酒をするようにと言われたと評定で笑って話していたくらいだ。


 ただ斎藤家の皆さんは驚き固まっている。身分とかあるし、美濃の医者がどの程度のレベルか、オレたちは知らないし、そこまではっきり言うことは普通ないんだろう。


「それは困るの。今しばらく生きたい。なんとかならんか?」


「長生きは食事が大切です。あとで指導をしておきます」


 ケティにまっすぐに見つめられながら駄目だしされた道三は、さすがに恐くなったのか素直にケティに頼っていた。


 多少自覚があるんだろうね。


 その後道三の許可が下りると、ケティは助手を連れて道三の奥さんから診察していくことになった。


 義龍さんとそのお母さんはハンセン病、この時代だとライ病と呼ばれている病気の可能性があるんだよね。


 義龍さんは信秀さんが褒めるくらいだ。この時代の武士としては優秀みたいだし、この病気は『女性には辛い』などと簡単に言えるほど、生易なまやさしいもんじゃないだろう。ふたりの病気だけでもなんとか治してやりたいんだけど。なんとかなるかな。



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