第280話・結婚式の準備と愚か者
Side:お藤
「よかったね。太田様ほどのお方に嫁げるなんてそうはないよ」
冬の風も心持ち穏やかに感じるこの日、私は太田様に嫁ぎます。
久遠のお殿様のお屋敷で婚儀を挙げていただけることになり、いつもお世話になっている皆さんに村では見たこともない真っ白い白無垢を着せていただきました。
そして生まれて初めての白粉を塗り、紅をさすとまるで私ではないように思えます。
私は鏡自体見るのが初めてで自身の顔を初めて見ました。日ノ本ではまだ珍しいという南蛮の鏡は本当によく見えてまるで私ではないようです。
この日は両親と家族も来ています。本来ならばお武家様の婚姻は花嫁の家族は呼ばないようなのですが、久遠のお殿様の故郷の風習を取り入れた婚儀なのだそうです。
私は存じませんが、以前にも同じように久遠のお殿様が家臣の婚儀を挙げてくださったことがあると聞きました。
私の両親は太田様に恥をかかせてはいけないと婚儀には来ないつもりだったようですが、久遠のお殿様が来るようにと両親を呼んだようです。
「ううっ……、お藤……」
家族は久遠のお殿様から頂いた立派な着物に着替えておりますが、婚儀が始まる前から父は泣いています。
「六郎殿。よかったですな」
「和尚様……」
それと今日は村の和尚様も来てくれていて、泣いている父を慰めてくれています。
私が太田様に助けていただいた時の借財は、元々は和尚様から父が借りていたものです。
数年前には利息も払えなく私を身売りする話が出たこともあったようですが、和尚様はそこまでしなくてもいいからと何度か借財を減らしてくれたこともあったとあの件のあとに聞きました。
和尚様のお寺は村の小さなお寺で和尚様も楽ではないのに。
ただあの件のあと、お寺に久遠のお殿様から少なくない寄進があったようです。私も詳しくは知りませんが、久遠のお殿様が和尚様のお人柄を気に入ったのが理由だと太田様がおっしゃっておられました。
おかげで雨漏りしがちだったお寺を建て替えることができると、村の衆が喜んだそうです。
「お父さん、お母さん。今日までありがとう」
「お藤……。太田様に尽くすのよ。助けていただいたご恩を忘れては駄目よ」
父も母も太田様に嫁げることを喜んでくれましたが、身分違いであることから不安もあると言います。
母は今も少し不安そうです。でも私は太田様を信じております。
私は太田様と久遠のお殿様のために生きます。
Side:久遠一馬
今日はバタバタしている。朝から結婚式の準備で忙しい。
新郎側の太田さんの親族は絶縁してるから誰も来ないし、お藤さんはお兄さんがウチの家臣だけど実家が農家だからね。今回も新婦側のお藤さんの家族も呼んでみんなでお祝いすることにした。
なんかいつの間にか新婦の家族を呼ぶのがウチの風習みたいに言われてるけど、まあいいだろう。
オレはさっきからロボとブランカの散歩に来ている。毎日、朝方と夕方に行ってるけど、今日の夕方は行けそうもないからね。
まだお昼前だけど、ロボとブランカは珍しい時間の散歩に喜んでいる。
「グルル!」
「ワン! ワン!」
いつもの散歩コースをロボとブランカと護衛のみんなと歩いていると、突然見知らぬ武士がオレの前に現れて膝をつき頭を下げた。
ロボとブランカはそんな武士に驚いたのか警戒して吠えるし、護衛のみんなはオレとロボとブランカを守るように前に出る。いつの間にかロボとブランカも警護対象になってるらしいね。
「某、太田真次郎! 久遠様にお願いの儀があり無礼を承知で参りました!」
「太田?」
ただ頭を下げた武士にあからさまな敵意はないようで周りを通り掛かった領民が驚く中、大声で話を始める。でも太田って……。
「某、太田又助と従兄弟でございます。又助と和解を望み、是非とも久遠様に又助との仲介をお願いしたく参上致しました!」
必死なんだろうか。こっちの返事を聞く前に自分の言いたいことを言っていく。
和解の仲介ってさ。この人……。
「話は伺いました。後日又助殿に確認したのちに返答します」
なんか、いやな感じだ。まるでなにかを狙っているような。そんな感じがする。
何故こんな道端の人目の有る通りで待ち伏せしたんだ? 和解したいなら太田さんに誠心誠意謝るべきだろう。オレに頼む理由がどこにある?
この人ってさ……。
「お待ちください! 又助は誤解をしておるのです!」
こんな時の対応くらいは簡単だ。前向きに検討すると言いつつ答えを保留するだけ。もちろん太田さんには話すよ。結婚式が終わって落ち着いたらね。
ただ、答えは変わらないだろうけど。
しかしオレがそのまま通り過ぎようとすると、この男は聞いてもいないのに言い訳を始める。やっぱりオレを利用するつもりだね?
オレがこの時代の基準では、家臣やその縁者に優しいというのは自覚している。そして、中にはそれを利用しようとする人がいなかったわけじゃない。
結婚式のおめでたい日だし、和解の仲介をしようと言うのを期待してるんだろう。そして後日になればまずいと考えていると。
「誤解とは?」
「某は取り潰しとなった大和守家の坂井めに言われて仕方なく領地を治めていただけのこと! いずれ時が来たら又助に返すつもりでございました!」
「ほう、坂井殿にですか」
「はっ、又助の両親が亡くなった時、又助はすでに守護様に仕えておりました! そのままでは守護様の領地になってしまうから、お前が代わりに継げと言われては某にはいかにすることもできずに!」
頼んでもないことをペラペラとよくしゃべるね。やっぱりこの男はギルティだ。
「死人に口なし。あなたの言い分には証拠がない。しかもこんな衆目の中で家の恥を大声でしゃべるとは愚かとしか言いようがない。和解? それは大殿が清洲を平定して又助殿がウチに仕官したから言い出したのは明らかだ。あなたが太田家を乗っ取ったことに変わりはないですよね?」
周囲にはいつの間にか野次馬の人だかりができてる。これはここではっきりさせないと、この人あることないこと言いふらすな。
「今後二度と太田の名を使うことを禁じます。私の命で不満ならば、私が仕える若様に口添え頂いて、大殿にお願いして更に上位の命にしてもらいます。当然二度と又助殿やウチの家臣やその縁者にも関わることも禁じます」
野次馬のみんなにもわかるように、ウチの意向をはっきりさせて、二度とこんなことさせないようにしないと。事の善悪もあるが、今後もウチの関係者に
「おっ、お待ちください! 某は……、某は……」
「ああ、あなたはたしか昨年の流行り病の時に私の妻であるケティに従えないと騒いだ一人ですよね? 誰があなたの言い分を信じるんですか?」
小悪党だね。坂井大膳の話が本当かどうかは知らないが、この男が状況を上手く利用して太田家を乗っ取ったことは間違いない。
しかも、流行り病の時にケティは彼らに命令はしていない。病人を助けるために協力をしてほしいとお願いをしただけだ。
それを女の命令など聞けないと、突っぱねた元清洲の坂井大膳の腰巾着の一人が太田さんの親戚だったとはね。
うなだれる男を放置してオレたちは散歩を再開させる。
「さっきの男のことは又助殿には内緒だよ。せっかくのおめでたい日なんだから」
「はっ。しかしあの男、放置したままでよろしいので?」
「帰ったら八郎殿には話すよ。しばらく見張りは付けてもらう」
護衛のみんなは太田さんに内緒にと頼むと素直にうなずいてくれるが、柳生の若い人は放置したことを甘いと考えてるらしい。
斬り捨てても問題ないんだろうし、締め上げれば真相を話しそうなんだけどね。
せっかく太田さんの結婚式なんだから、過去を今日という日に掘り返す必要はないだろう。
「ならば某がしばらく見張りに参ります」
「そう? ならお願い。おかしなことしようとしたら捕らえて。暴れるなら斬ってもいいから」
「はっ」
柳生の若い人もやる気あるなぁ。頼もしい。
とはいえ本当に結婚式に水を差すことにならなくてよかったよ。
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