第278話・太田さんの秘密
Side:久遠一馬
津島と熱田の屋敷では清酒とみりんの仕込みが始まっている。今年は豊作の影響で米が安いし、酒造りの経験者も増えたから増産する予定だ。酒造りの
昨年の冬以降の清酒はすべて信秀さんが買ったけど、今回の仕込み分からは少しずつ一般にも販売を始める予定にしている。
ああ、仕込みと言えば醤油もこの冬から始めている。醤油については、ウチではなく津島と熱田の味噌屋から選んだ商人に造り方を教えて生産は任せることにした。
いつの間にかウチで使う醤油は久遠醤油と呼ばれて特別扱いされているけど、市販向けの醤油までウチで造ってられないしね。宇宙要塞での製造より、船の荷として運ぶほうが大変だ。
それと佐治水軍に教えた海苔の養殖も収穫が始まったみたい。佐治さんは禁漁期間を設けることなんかも素直にやってくれている。
その代わり、佃煮ならぬ大野煮は佐治水軍の名産として尾張のみならず、駿河や伊勢でも人気だ。牡蠣の養殖も試してる。
「北条に武田に今川に松平か。凄いね」
さてこの日はエルと資清さんと望月さんと忍び衆のことを相談している。甲賀から来るのはいいんだが、最近は他勢力の子飼いが抜けて来たり、各地の零細独立傭兵集団からも、素破・乱破と
甲賀以外の数はそんなに多くはない。とはいえ北条家の風魔とかは外交問題になるよね。虫型偵察機の情報では北条は黙認する方針らしい。詫びの手紙を書くか迷う。北条の立場を考えると、下手に詫びると逆に問題にしないといけなくなるから難しいところだ。
「他国に送る者として使うしかありませぬな」
基本的にウチのルールに従うなら受け入れている。最低限、家族を連れてくることや盗みなどを働かないこと。そんなに複雑なルールじゃない。
家族は人質と受けとられているようで嫌なんだけどね。とはいえ食うものにも困る状況ではなにをするかわからないというジレンマもある。
当然、中にはスパイもいる。なので怪しい人は他国の情報収集に使うしかない。
「懸念はほかにもございまする。伊賀が少し揺れておりまする」
「伊賀? なんで?」
「
ただここで新たな問題が望月さんから報告される。
世の中って難しいね。忍び衆の待遇改善があちこちに影響を与えている。甲賀では故郷を離れてウチに来る者が後を絶たないし、各地の素破や乱破もウチに集まってくるんだから。
しかも明確な上下関係があるという伊賀にまで影響を与えているとは。
伊賀とは契約を結び、畿内の情報を集めて送ってもらっている。望月さんの伝手があるらしいから、その伝手で。報酬はウチの忍び衆と金額に大差はない。ほかと比較したら破格のはずなんだけどな。
ウチにいる伊賀の忍びは一部の者が尾張に連絡要員として滞在している以外は、少数の抜け忍がいるのみだ。伊賀の抜け忍はウチに来る前に正式に伊賀から抜けてきたらしいけど。
抜け忍はその際に先代の当主が自害して里と縁を切って来たみたい。
「甲賀では望む者は尾張に来ることができまするが、伊賀は掟のためそれも叶わず」
「報酬が不満なの?」
「いえ、報酬以外の待遇でございます。御家の御配慮で、食うに困らず読み書きから武芸まで教えておりますからな。それ以外にも家臣や小者まで宴にも呼ばれるなど、他ではありえませぬので」
うーん。報酬の増額くらいなら考えてもいいけど、待遇の問題はウチが口を出せる問題じゃないからね。望月さんの話を総合すると、待遇がよくない伊賀にこだわる気がない人が不満を抱えてるってことか。
「我らには『いかにしようもありませぬ』と申し上げる他ありませぬな」
資清さんは望月さんの報告にため息交じりに一言で結論を口にした。
そうだよね。伊賀内部のやり方にウチが口出しするのもおかしいし、仕事以上に伊賀を支援するのもおかしな話だ。
甲賀は割と自由らしく、個人で家族を連れてこない人も一時雇いとしてウチに働きに来る。もちろん何らかの伝手を辿って、仕事の斡旋を頼みに来ているから、伝手となったウチの家中側が保証人みたいになっているのだろう。この辺の差配は資清さんや望月さんにお任せである。まあ来た人の半数以上が、家族を呼ぶけど。
多分、畿内なんかで甲賀者を雇っていたところは、来なくなって不思議に思ってるんだろうね。まあ、代わりは幾らでもいるから特に問題にはなっていないが。
この件に関してはエルも特に現状では策はないらしい。伊賀は貧しいし畿内に近い。危険を冒してまで過剰に支援すると巻き込まれるからな。
難しい問題だね。
「殿、少しよろしいでございましょうか?」
「うん。どうかした?」
話が一段落すると太田さんがお藤さんと一緒にやってきた。お藤さんは以前に悪徳商人に借金のかたに連れていかれた人だ。その後は学校や病院で働いてるんだけど。
「某、お藤殿と所帯を持ちたく、ご許可を頂けぬでございましょうか」
「へえ……」
何事かと思えば、まさかこの二人が結婚するとは。
「もちろん、いいよ。でもいつの間に……」
「『
エルは知っていたみたいだね。資清さんもか? もしかしてオレだけ知らなかったの?
どうもお藤さんは身分違いだと断っていたらしいが、太田さんの押しに負けたらしい。ただお藤さんも嬉しそうなところを見ると、本音は好きだったんだろうね。
なんか漫画の主人公みたいだな。この時代に個人の意思で結婚するなんて。
「めでたいね。守護様にお知らせした?」
「いえ、殿のご許可を得てからと思いまして」
「早くお知らせ申しあげるといい。又助殿のこと案じておられたから」
太田さんに関しては、以前から守護の
旧主にいつまでも贈り物をして困った男だと義統さんは笑ってたんだけどね。
オレは気にしないし、ウチで活躍してるって教えたら義統さんは喜んでたな。
「式はいつにするの?」
「いえ、それはまだ……」
「よかったら、またウチで式を挙げようか」
そういえば太田さん、両親や兄弟いないんだよね。親戚は尾張にいるらしいが、あんまり話を聞かないな。ほかの尾張出身の家臣は家族とか親戚もウチで働いてるのに。訳ありかな?
なら金さんの時みたいにみんなで結婚式挙げてやろうか。
「それはいいですね。太田殿は血縁の方たちとも絶縁しておられます。私たちで式を挙げて祝いましょう」
「絶縁?」
オレの提案に太田さんとお藤さんは戸惑うものの、エルは賛成してくれた。でもその理由として語った親戚との絶縁ってなに?
「たいしたことではございませぬ。父と兄たちが亡くなった際に、親戚だと思っておった
興味本位で聞く話じゃなかった。家の乗っ取りなんて。太田さんは表向きは特に怒りを見せることもなく冷静に親戚との関係を教えてくれた。
「よくあることでございます。まあ、その絶縁者も昨年の流行り病の
お家騒動か。確かによくあることなんだろうね。確かに歴史だとよくあるし、美濃の土岐家も元は兄弟によるお家騒動だったはず。史実では、織田家でもやってるしね。
結果的に家を乗っ取った親戚はすべてを失い、太田さんはウチで活躍してる。許せない気持ちはあるんだろうが、自分の中で割り切っているならそれでいいけど。相手側は素直に帰農したのかな。
「そうか…。なら、式はウチで挙げよう」
同情も慰めも不要だろう。新しい門出だ。みんなでお祝いしてやろう。
それにしても馬鹿な親戚だね。太田さんはお藤さんの件もあって、ウチでも有名な家臣だし、生活もそこらの土豪とはまったく違う。
非道なことしなかったら、ウチで働けたかもしれないのに。
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