第176話・信秀と一馬
side:松平広忠
「このような物があるとは……」
パチパチと散る火花を見てワシは言葉を失う。周りの者も同じであろう。
織田ではこれを夜空一面に打ち上げたと聞く。
我らが田畑を耕しておる間に織田は夜空を制したのか。
「玉薬の無駄遣いであろう」
「商人の分際で」
家中の評価はバラバラだ。噂の久遠が商人ということで、見下す者も少なくない。
武芸を磨かず鉄砲のような野蛮な物を使う愚か者。そう口にする者もおる。
「だが久遠は家臣を大切にしておる。悪い男ではあるまい」
「そうだな。行き場のない孤児や老人に仕事を与え食わせておると聞く。同じことをできぬ者がうわべだけで軽々しく批判するべきではないな」
一方で久遠を評価する者もまた増えた。
久遠の家臣は郎党に至るまで大切にされておる。行き場のない者に仕事と食べ物を与えておる。三河でも聞かれる話だ。
裏切り裏切られるのが当たり前な世において、そのような噂をされるだけで評価できるのは確かだ。
家柄の地位や祖先の偉業だけを誇り、没落するよりはマシといえばマシであろうな。
「なんだと!」
「武士は戦に勝ってこそ武士だ。違うか? 久遠は金色砲にて清洲を落とし、佐治水軍と共に南蛮船にて服部党を壊滅させた。それは紛れもない事実だろう」
「そんなもの。三河に来ればワシが首を取ってくれるわ!」
「貴様程度が久遠の陣に近寄れると思うのか?」
「ワシを愚弄するなら貴様からその首を取ってくれるぞ!」
「止めぬか」
商人風情と考えるなら無視をすればいいものを。何故、目の敵にして見下すのだ。
確かに武士は戦に勝ってこそ武士だ。そういう意味では久遠も武士であるな。
鉄砲や金色砲を否定したところで、相手がこちらに合わせる必要はない。負け犬の遠吠えだな。
まさか
「そもそも今川などあてにならぬではないか。竹千代様を捨てた殿になにも報いてくださらぬ」
「確かに。今川は織田を恐れておるとさえ噂される始末だからな」
「我らからも人質は取れど助けてはくれぬ。頼りにならぬ主家にいつまで尽くさねばならぬのだ?」
家中には不満が溜まっておるか。
無理もない。織田と今川では今川が勝つと思えばこそ従い人質を出した家も多い。
されど結果は戦を避けてばかりで、三河は分断されてしまった。
矢作川の向こうの者も最初こそこちらに通じておったが、今ではすっかり織田に従っておる。
飯が食えぬ時に食わせてくれた恩は大きい、ということであろうな。
そういえば織田から竹千代を人質に従えという文も、いつの間にか来なくなったな。
最早、松平宗家など必要ないということか?
分からぬ。とはいえこれ以上、ただ今川に臣従するだけでは危ういな。
織田との関係を密かに改善せねばならぬかもしれぬ。
問題はやはり今川に人質を出しておる者たちだな。
side:久遠一馬
「本当は川の流れそのものを、変えた方が良いんですけどね」
「ほう。それは面白そうな話だな」
この日は信秀さんのお供として清洲の普請を視察に来た。
現状で行ってるのは拡張する街と城の土台の造成、それと清洲の真ん中を流れる川の堤防造りになる。
石垣は石を運んでくるのが大変なんだよね。本当コンクリート製の石垣を考えたくなる。
トラックもクレーンもないから時間がかかる。だけど城は国の象徴だ。周りへの影響も大きいから現状だと石垣が無難だろう。
川の堤防は時代相応の物なのでそれなりに進んでる。
「一部に堤防を作るのではなく、河川全体の整備をして水害が起こらなくするのが理想かなと」
「確かに、理想ではあるな」
尾張の欠点は木曽三川と言われる
史実においても
織田は現状ではかなりの財力はあるが、木曽三川の大規模な工事は時期尚早だろう。
財源には限りがあるし、清洲と蟹江の普請を中心に那古野の拡張も地味に行われている。何より中小の領主が点在していて利害関係が面倒で大変だ。
将来的には治水や街道整備は、織田家の専権事項にしてしまうべきかもしれない。
それに江戸時代のように小さな藩を乱立させるのは、開発の妨げにしかならないしね。いずれは統治方法とかも考えるべきかもしれないが。
「現状だと堤防を増やして、川底の土砂を取り除くのがいいでしょう。遊水池の整備も必要ですね」
「やることは山ほどあるか」
「三河や伊勢からの流民を、各地の普請場に配置してはいかがでしょう。蟹江と津島や熱田間の道の整備もそろそろ始めたいですし」
「よかろう。村を作るより銭がかからぬな」
将来の話は置いといて、尾張国内の開発には三河や伊勢に美濃から逃げてくる流民を使おう。
鉄製のスコップやツルハシや
「それにしても戦以外の仕事が増えるな。槍しか使えぬ者は胆を冷やしておるかもしれぬぞ」
「元来、国を治めるというのはそういうものかと思います。戦をしなくても食えるように致しませんと」
信秀さんは、また戦以外の仕事が増えると笑っていた。
武士は戦こそ本分だというか、戦が第一だと考えるからね。何より戦で働ける人が求められてきた。
とはいえそれをやってるといつまでも戦乱が終わらない。
史実だと江戸時代初期は、戦場を渡り歩いていた牢人たちの処遇などでいろいろな苦労や混乱があったみたいだからね。
「戦をしない世の中か。お前は意外に欲張りなのかもしれぬな」
「人は欲張りなものですよ。私は平和な世で商いをしながら、のんびりと生きるのが理想です」
「自らの天下は欲しくないのか」
「そんなのいらないですよ。散歩も気楽に行けない身分のどこがいいんですか。民が潤って飢えなくなる世が来たら、殿もそう感じるかもしれませんよ」
イキイキと働く領民を見てるのはいいもんだね。
信秀さんと冗談混じりの話をして、一緒に笑いながら領民を見てるのは楽しい。
というか冗談混じりの笑い話だからね。周りの皆さん、このくらいで驚いて固まらないでよ。
信秀さんは、そんな周りの反応もまた面白そうに見ているよ。
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この時に織田信秀が久遠一馬と話した内容は、その場に居た太田牛一が克明に書き残していた。
まるで我が子のように一馬と話す信秀に、家臣一同驚いたと記されていて、信秀がいかに一馬を気に入っていたかという逸話の一つに挙げられている。
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