第177話・本證寺と学校の状況
side:
「また領民が減りましたな」
「織田に逃げたか?」
「恐らくは」
罰当たりどもめが。また、逃げたか。
織田に行ったところで流民の行く末など決まっておるというのに、愚かなことを。
「織田に返還を求めますか?」
「していかがなる。向こうとて三河から流れていく流民で困っておるはずだ」
うつけめ。返還など求めれば恥の上塗りではないか。それに借りを作れば返さねばならなくなる。
そもそも、誰が我らの寺領からの逃亡民か、いかにして見極めるつもりだ。まさか、織田領の流民を一人ひとり確認するのか?
流民に元の村に帰るように言うたところで、素直に帰るくらいならば初めから誰も逃げ出さぬわ。
織田も好きで流民を受け入れておるわけではあるまい。三河側の領地の統治のために仕方なく受け入れておるだけであろう。
逆に逃亡させるなと言われたら、いかがするのだ?
「しかし羨ましくなりますな。織田は銭が余っておる様子」
「確かに。境界の村など織田に従いたいと言い出す始末。仏罰が下ると言い聞かせましたが……」
三河は変わった。
特に、矢作川流域は織田領だけが飢えなくなった。銭と兵糧で織田は領民に飯を食わせることで、三河支配を確固たるものにした。
誰もが愚かだと笑った。そんなことをするくらいなら放棄した方がマシだと言った者もおる。
しかし、結果は織田が三河を揺るがす存在となったのだからな。我らがうつけだったということか。
「今思えば、流行り病の協力はしても良かったのでは?」
「確かに……」
我らと織田の関係は、悪くはないが良くもない。
所詮、今川に負けて三河から叩き出されるのだからと、付き合う気が無かったからな。
昨年の冬に、織田から流行り病の知らせと協力してほしいとの文が届いたが、織田の策略かと拒否した。
結果は散々だったがな。
以降は、季節の挨拶と称して酒や高価な贈り物は届いたが、協力してほしいとの話は一切来ぬ。
上人も高僧も織田が我らを恐れておるのだと上機嫌だが、領民は我らより織田の支配を望む者が増えておる。
民とは愚かだからな。仏の道も何も理解しておらぬ。
「
「門徒を見捨てるとは愚かな」
「向こうは輪中。南蛮船に恐れをなしたのであろう」
我らと対称的な判断をしたのは願証寺だ。やつらは織田に協力することを選んだ。
まあ、我らとは置かれておる立場が違う。織田にとって三河は放棄しても問題はないが津島は織田の本領だ。敵対すれば何があろうと潰しに掛かるはずだからな。
「ともかくだ。逃亡する領民は許すな。仏に背く者には厳罰をもって対処するのだ」
織田も願証寺もいかようでもいい。我らは我らの寺領を治めるのが役目。
織田に逃亡する領民を捕まえ厳罰に処して、見せしめにしなくてはならぬ。
いずこに行こうがこの世に極楽浄土などないのだ。
side:久遠一馬
「打ち込みが甘い!」
「はい!」
学校の校庭では警備兵五十人ほどが剣術の稽古をしていた。
別に珍しい光景じゃないけど、彼らの得物が竹刀であることはこの時代では珍しい。
オレも知らなかったがこの時代には竹刀はないらしく、竹刀の前身となった袋竹刀という物もまだないみたい。
怪我を避けるために、寸止めって呼ばれる、相手の体に触れる前に、刀を止める木刀の稽古に不満だったジュリアが、竹刀と未来のような防具を作らせたんだって。よほどの上級者以外が寸止めで練習すると、変な癖が付くらしい。
警備兵は生かしたまま捕らえるために十手とか投げ縄に投網とかいろいろ教えてるけど、戦にも出るから武芸も普通に教えてるしなぁ。
「……以上を守って」
校舎の方ではこの日は産婆さん。この時代風の呼び方をするなら
そんなに難しいことは教えてないみたいだね。基本的な知識や衛生面の指導とかくらいらしい。
ただ、この時代だとそれでも違うみたい。
元の世界の感覚だと出産は病院でというイメージだけど、日本でも第二次世界大戦後になってもしばらくは自宅出産で助産師って資格を持つ人が取り上げるのが普通だったとか。
若い子と違って年寄りは頑固だからね。自己流を貫く人も居そうだけど、根気強く指導してほしい。
「はい。みなさん上手ですね」
また別の教室では女性を対象にした、読み書きの指導を千代女さんがしていた。
千代女さん。意外と言っては失礼だけど、人に教えるのが上手だと評判なんだよね。牧場の孤児院の子供たちや領民の評判がいいから、織田家中の女性向けの読み書きの先生に抜擢した。
本人は恐縮してたけど、上級武士は自家で教えるしね。中級から下級武士の子女に加えて、武家で働く人なんかは結構習いに来るんだよね。
ああ、生徒の中には悪徳商人から太田さんが助けたお藤さんもいる。
頑張ってるなぁ。
学校の全体的な評判は上々だ。ただし、先生のスケジュール次第だから、毎日同じ授業はない。
基本的には、授業をする場合は朝から夕方までか、朝からお昼まで休憩を挟みつつ同じ授業をしている。
医者に関しては滝川家と望月家から選んだ助手を教え始めた以外は、今のところ本格的に教育はできていない。
一番医者に近いのは忍び衆らしいからね。薬の知識もそれなりにあるようで結構凄いらしい。
ただ、現状だと時々護衛として付き合ってる慶次が、一番ケティたちの医術を理解しているのかもしれないくらいだけどね。
孤児や警備兵を含めて一定の教育をしたら、才能がありそうな人に勧めたり志願者を募るくらいはするけど。
どこまで教えるかも含めて手探り状態なのが実情だ。
そうそう。清洲に居た医者は、いつの間にか居なくなっていたみたい。自称京の都かどっかで習ったと言い、旧大和守家の時代はそれなりに繁盛していたらしいけど。
そもそも、医者に診てもらうのは武家や商人なんかの富裕層だけど、そういった人たちはウチの病院に来るからね。
ただ、全くの詐欺とかではないらしく、この時代でみれば最低限の薬の処方はできていたみたい。
ぶっちゃけると薬の知識も寺社の僧とかにもあるしね。
医者と薬師の境も曖昧だ。
他にも自称医者や自称薬師は無名な人がまだ清洲には数名居るらしいが、そっちは開店休業状態らしい。
ちょっと調べたら胡散臭いみたいだから、やぶ医者というか素人が名乗っているだけかもしれないが。
本当はもっと読み書きを領民にも勉強してほしいんだけどなぁ。
現状だと生きてくのが精いっぱいで、領民も読み書きの必要性を感じていない。
農業試験村でさえ、オレの指示で勉強はしてるらしいが覚えても使い道がないと言ってるらしいし。
絵本とか普及させるか? 紙の生産増やさないと駄目だよなぁ。あまり長持ちしないがわら半紙でも生産するべきか。
最悪でも書道の練習紙にはなるよね。
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