第132話・新たな旅立ち
side:???
「殿。残られた方が良かったのでは?」
「くどいぞ。
とうとう近江に入ってしまった。
弾正忠家の大殿に要らぬと言われた一言に、我が殿は妻子と別れて生まれ育った尾張を捨てる決断をされた。
食うものも切り詰めて付け届けをしたにもかかわらず、重臣たちは誰一人として我が殿を庇ってくださらなかった。
平手様と久遠家には受け取ってもらえなかったが、後は皆が受け取っておったにもかかわらずだ。
「他の皆様は上手くいったのでしょうか」
「今ごろ首だけになってるやもしれぬな。弾正忠がそんなに甘くないのは理解しておろうに。うつけ共め。あやつらと同じことをしたのが我が身の不徳の致すところ」
そう。殿も悪かった。
領民から例年以上の税を取り、寺社から銭を借りてまで立身出世を願ったのは、今の大殿のお考えに反するのは明らか。
悪いお方ではない。されど自分にも領民にも厳しいお方ではある。すべては家のため。
我が殿はなされなかったが、中には領民の子を売り飛ばして銭を用立てた者もおったのだ。大殿がお怒りになるのも理解できる。
だが大殿がすぐにやめさせなかったのは、清洲周辺の領地が欲しかったからであろう。
我が殿は他の方々から共に今川に行き、弾正忠家に一矢報いてやろうと誘われたらしい。しかし他の方々が弾正忠家の領地を襲う話になった段階で、呆れて物が言えなかったと言う。
それとこれとは話が違う。さすがに殿がそこまで愚かでなかったのは幸いであったが。
家は息子に継がせて、自身は身一つでやり直すと決断された殿は某を含めた供の者数名で畿内に向かっておる。
行く先は
戦が多い畿内ならば
久遠家のようにお家の役に立つ何かでもない限りは、難しいと思うのだが。
死んでも某たち数名。そう思い最後までお供をするしかないか。
side:佐治為景
「殿。いかがでしょう?」
「うむ。美味いの。これならば高く売れるであろう」
久遠殿から教わった小魚の塩煮と醤油煮ができた。
大量に獲れる小魚を塩や醤油で煮詰めた物だ。干物ほどではないが保存ができるらしく味も美味い。
「これが一番美味いな」
「それは砂糖が入っておりますゆえ。高価になりますが、元は取れるかと思いまする」
久遠殿は清洲の殿の信も厚く忙しいようだ。津島の屋敷も酒造りで手一杯。我が佐治家や水野家にこの小魚の煮詰めた物を作ってほしいと頼んできた。
塩は領内で作れるし、醤油や砂糖は久遠殿が安く売ってくれる。売る相手はいくらでも居る。今の尾張ならばな。
「しかし本当に気前のいい御仁ですな」
気前がいいのは認める。
だが久遠殿はそれだけではあるまい。恐らくは津島と熱田の商人たちばかりに、力が集まるのを避けたいのであろう。
「蟹江の方はいかがだ?」
「よき場所にございます。津島と熱田からもほどよく近いですからな」
久遠殿からは定期的に文が届く。
先日の文で、蟹江に港を築くとの知らせがあった。商人たちとの関係を重要視しながらも主導権を握りたいのであろう。
実際尾張の商人は飛ぶ鳥を落とす勢いだ。されど一部では悪い評判も聞こえてくるようになった。
半分はやっかみであろうが、半分は事実であろう。
蟹江も津島と熱田からほどよく近いのがいいのだ。近すぎても遠すぎても駄目であろうな。
商人というのは、あまり信用し過ぎると危ういからな。こちらからも人を出すので、早く港を作ってはいかがかと文を送ったが。いかになるやら。
「問題は船か。沖に出るにはやはり新造した船が必要か」
「はっ。久遠家の船乗りにも聞きましたが、久遠家の本領に行くには今の改造船では危ういと。やはりはじめから沖に出るための堅牢な船を造るべきでしょう。図面は頂きましたので」
我が佐治水軍の状況はいい。
久遠殿に教えてもらった改造船の扱いにも慣れてきた。伊勢の水軍がこちらの船を気にしておるが、今の我らには小競り合いですら仕掛けることができんでおる。
だがあの船も少し沖に出る分にはいいが、いくら南蛮式に改造してもあまり沖には出られんとはな。
「一隻造ってみるか」
「それがよろしいかと」
やはり新しき船を造らねばならぬな。久遠殿の話では一番いいのは南蛮船のようだが、新造船もそれなりに沖に出られるとのこと。
新造船は日ノ本の船を発展させて、南蛮技術を取り入れた船だとか。駄目でも近海の交易には使えよう。
問題は戦船だな。久遠殿の話では南蛮船は浅瀬に入れぬ欠点があるという。まずはあの鉄砲と大鉄砲を生かす方法を考えるべきか。
どちらにしても、まずは銭を稼がねばならんな。久遠殿が商売を重視する理由がようわかるわ。
side:久遠一馬
竹千代君のところにお母さんが来たか。お祝いに贈り物をしておこう。
この世界では竹千代君が天下を取ることはないかもしれない。でも天下を差配することは十分に有り得る。つまらないことで対立するなんて御免だからね。
「うん。美味しいね。でも本当に良いの?」
「はっ。某などが今更武士となっても、満足にお仕えできませぬ。されどこれならば殿や久遠家のお役に立てるかと思いまする」
この日のお昼は蕎麦だ。
でもエルたちが作ったわけじゃなく、滝川家の郎党のお爺さんとお婆さんが作った料理だ。
長年滝川家に仕えていて、先日の滝川家から新たに武士として取り立てる際に真っ先に候補に上がったけど、年齢を理由に辞退した人だ。
多分六十才くらいかな。年齢は気にしなくていいって言ったんだけどね。あいにくと子供もないから、若い人に機会を与えてほしいと言ってきた。
目に涙を浮かべる資清さんにもらい泣きしそうになったんで、代わりに何か望みはないかと聞いたら清洲で小さな料理屋を夫婦でやりたいって言ったんだよね。
この夫婦は一族郎党の子供の面倒とか見てくれてたから、このままでも良かったんだけど。
ウチで食べた蕎麦とかの料理を出す店をやりたいみたい。それに忍び衆の拠点が清洲にはないからね。それも兼ねれば役に立つと考えたようだ。
「そうか。店の費用はウチが出すし、食材も必要なものは提供するから。無理しないでのんびり店をやって」
「ははっ、ありがとうございまする」
多分この先の忍び衆の引退後も考えたんだろう。オレとしては子供たちや牧場の孤児院とかで、のんびり子供の面倒を見てくれれば良かったんだけど。
新しいことを始めたい気持ちも分からないでもない。
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料亭、
戦国時代中頃からあったとされる料亭。
日本でも指折りの歴史を持つ料亭である。
初代は
年齢から滝川家に
何度か店を移転しながら現在は名古屋にあり、戦国の世の味を現代に伝える名店として著名人から地域住民まで幅広く愛されている。
なお店には信秀公や信長公など歴史上の偉人による直筆の書から、久遠メルティ作の初代の店を描いた西洋絵画など様々な歴史的な価値のある物が伝わっていた。
初代の遺言によりそれらの物は歴代の店主が大切に保管していたが、近代になり美術館や博物館ができるとそれらを全て寄贈している。
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