第121話・分国法と千代女
side:久遠一馬
望月家一行は千代女さんを残して、引っ越しのために一旦甲賀に帰った。望月家と郎党の屋敷を用意したりするのに、こちらも時間かかるしね。
正直ウチは尾張の内政の問題で忙しい。
「分国法は厄介ですな。せっかく纏まった尾張が割れかねませんぞ?」
「だがここでやらねば、好き勝手する連中が後を絶たぬであろうが」
問題は分国法だ。今まで曖昧なまま好き勝手にしていた者たちに法を守れと言うのだ。反発するのが目に見えている。
この時代の大名が定めた分国法は幾つかあるが、織田に一番必要なのは命令系統の法制化だろう。
家中と領内の命令書には、すべて信秀さんの朱印を必要とする。これを第一に定めないといけない。信秀さんの朱印がない命令書を発した場合には、厳罰に処するとの文言も入れなきゃ駄目だ。
朱印とは判子だ。現状では花押やら署名だけど、信秀さんの負担軽減のために朱印を採用した、朱印状を正式に採用した方がいい。
そもそも現状の織田家では、領内の税や年貢ですら明確な規則がない。実は元来の弾正忠家の支配領ですら、立場が曖昧なんだよね。元から家臣の人も居れば、強いから従っていただけの曖昧な人も居る。
戦や賦役の際には所領に応じた負担はするが、あとはその領主の裁量に委ねられている。やっぱり中央集権体制じゃないんだよね。
「久遠殿。この目安箱とは?」
「ああ、それは殿に直接訴えるための物ですよ。以前に村で丸ごと逃げてきた人たちが居たでしょう? あの領主みたいなのを野放しにできないでしょう?」
「確かに……」
「相模の北条家でやってるみたいなんですよ」
それと領民から信秀さんに直接訴える仕組みも必要だ。歴史の授業でも習う目安箱。実は北条氏康が先にやってるんだよね。
あの名前を聞くの忘れたお馬鹿さんの存在が、目安箱設置のいい口実になる。目安箱もちゃんと分国法に書かないと。勝手に箱を開けたら厳罰にするとか投書の妨害なんかの罰則は必要だからね。
他にも関所を設ける際には許可が必要だとか、いろいろ分国法の試案は出してる。
「久遠殿もなかなか人が悪いですな。この分国法を認めれば、勝手な税の徴収が叶わんことになりますぞ。しかしそれに気付く者がどれだけおるか」
内容はそれほど厳しくはない。別に織田家に上納金を払えとか言ってるわけじゃなく、何事も許可を取るようにしてるだけだ。
税制の整理は分国法とは切り離して、秋までに朱印状で発給する予定。まずは朱印状を認めさせることが先決だ。
「旧大和守家の連中は酷いからな。付け届けやら重臣と婚姻を結ぶために、領民から絞り取っておる。奴らを取り締まる理由は必要であろう」
「そこなんですよね。早くしないと我々が恨まれますよ」
「大人しくしておれば、戦場での武功の機会くらい与えるというのに」
ちなみに分国法とその流れでの家臣の統制強化に、文官衆は当然気付いている。
原因は旧大和守家にある。あそこの旧臣の一部が復権を狙って、重臣たちに付け届けをしたり、婚姻を頼むための資金を領内から無理やり徴収してるアホが居るんだ。
当然信秀さんの耳にも入って、止めろと激怒されていたけど。
ああ、おかげで家中の結婚も許可制になりそう。
「あの人たちって、妙に上から目線なんですよね。ウチにも仕官してやるって感じで来ましたよ。お断りしましたけど」
「商人や文官を馬鹿にしておるのであろう。文官や商いがどれほど難しいかも知らん連中だ」
「殿も丸くなられましたな。若い頃ならば斬り捨てておられたであろうに」
「連中を許している理由は、奴らを口実に家中を統制するためですからね」
分国法とは違うみたいだけど、実は信秀さんも家中の統制を考えていたらしい。旧大和守家のお馬鹿さんたちを泳がせてるのは、元主家の家臣に遠慮しているのではなく、口実にするつもりだったようだ。
いずれ連中を潰して、勝手なことをするなと厳命するつもりだったとか。分国法の方がいいから、そっちに切り替えるつもりみたいだけどね。
side:望月千代女
父上が尾張に行くと言った時、家中は真っ二つに割れたわ。甲賀に生まれ甲賀で育ったのに、何故尾張に行くのかと。
滝川家が尾張に行き、信じられないくらいの身分になったのは知っている。でもそれは滝川家の話。望月家が後から行っても同じ待遇で迎えられるとは限らないのに。
現に滝川家は望月からの縁談すら断ってきた。なのに父上は……。
六角家に居ても望月家の先はない。ならば尾張に行く方がいい。そう言った。
結局望月の家は、二つに分けることになってしまった。父上と共に尾張に行く者と、甲賀に残る者に。
無論不満は皆にある。同じ六角家中からも、素破・乱破と
私は尾張の久遠家を、氏素性の怪しい者とは思わない。六角家中の者たちのように嘘か真か分からぬ家柄をでっち上げて、私たちを見下す者たちと同じことをしたくはないですから。
「殿がお呼びです」
久遠家に来て夜伽のお呼びがかかるのは、意外に早かった。父上たちが甲賀に一旦戻った日の夜だ。
女好きと聞いていたが、噂通りね。まあいいわ。私の身に望月家の行く末が掛かっているのは理解してるわ。
すでに日の暮れた屋敷を案内されて、殿の寝所に向かう。
「千代女殿を連れて参りました」
「入っていいよ」
「失礼致します」
……あれ? 寝所じゃない? 案内されたのは私室らしく、奥方様や滝川様も居るわ。夜伽じゃないの?
「あれ? もう寝てた?」
「いえ」
「悪いね。夜更けに」
もしかして、私とんでもない勘違いで寝間着のまま来てしまったの? 殿たちは地図を見ながら、まだ仕事をしているわ。
はっ、恥ずかしい。こんな勘違いをするだなんて。
「千代女殿。読み書きはできる?」
「はい」
「じゃあ明日から、八郎殿の奥方を手伝ってくれるかな。禄はちゃんと出すから。望月家の人たちが来た時に困ったり不安にならないように、ウチの仕事を見て軽くでいいから覚えておいて」
「畏まりました」
「それと人を付けるから、清洲とか津島とか一通り見物してくるといい。これから暮らすんだし、知らないと困るからね」
「あの……、私は人質では?」
「そうだね。ウチには他にも人質が何人か居るけど、みんな働いてるし外出も自由にしてるから。千代女殿もそのつもりで」
この殿。ちょっと変。私は使用人ではなくて人質なのよ。 働かせるのはまあいい。町を見物って、逃げたらどうするのよ!? なんで人質の外出が自由なのよ!?
「千代女殿も戸惑うと思うが、そのうち慣れる。あまり心配めされるな」
滝川様。戸惑うどころじゃないわよ。理解できないわ。いったいどうなってるの!?
女の人質は側室か妾にするのが普通でしょう?
「ああ、オレの側室にとかにはしないから。婚姻相手は好みの人でも探すといい」
「私では務めは果たせぬと?」
「そういう問題じゃない。滝川家からも側室はもらってないから、望月家からももらう気はない。それでも望月家も粗末には扱わないから、心配しないでいいよ」
何を考えてるの? 理解できない。
「久遠家では縁談は断っておるのだ。そなたに落ち度はない」
何故? 何故縁談を断るの? 血縁を持ち、他家との繋がりは必要なはずよ?
分からない。いったい、ここはなんなの!?
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