第37話・謀叛のゆくえ

side・名も無き家臣


「殿。そろそろ、お止めになられた方が……」


「くどいぞ! ここで引けば、臆病者のそしりを受けるのだぞ!」


 また殿の悪い癖が出た。思い通りにならぬと癇癪を起こす子供のような御方だ。


 織田の若様が自分を愚弄したと怒り、弟の信行様を後継者にしようと画策したかと思えば。若様が召し抱えた久遠殿が気に入らぬと癇癪を起こした。


 そもそも織田の若様は、殿のことなど眼中にないだけであろう。たいした手柄もないのだからな。


「しかしこれ以上は、御家が潰されます」


「ふん! 潰せるものなら潰せばいいのだ!」


 巷ではすでに、殿が織田の殿様と若様を暗殺しようとしてると、農民までもが噂していると言うのに。織田の殿様や若様の耳に入らぬはずがない。


 確かに林家は先代の月巌様の頃からお仕えしてる、織田弾正忠家では最古参だ。しかし暗殺など企んだ者を、あの織田の殿様が許すはずがないではないか。


 現に殿は信行様の守役を解かれた。いっそのこと、その場で問い詰めれば良かったものを。織田の殿様は最後の改心する機会を、殿に与えてくださったのだろう。


「一戦交えて勝てばいいのだ!」


 しかし殿はそんな織田の殿様のお心を理解できぬばかりか、戦をすると言い出した。


 確かに織田の殿様と殿の戦力差で一戦交えて勝てば、殿の実力を見せつけ和睦に持ち込めるやもしれん。だがどうやって勝つ気なのだ?


「殿。残念ながら領民は、十名ほどしか集まりませぬ」


「なんだと! ワシに逆らう気か!」


「領民は暗殺の噂と織田の殿様による討伐があるとの噂に、逃げてしまいました」


 そもそも林家の所領は、兄の新五郎様の物。殿の所領は織田の殿様から頂いた村しかないのだ。元々は織田の殿様の所領なのだから、領民とて殿に義理立てして共に戦うはずもない。


 ただでさえ織田の殿様の所領である隣村は、那古野の賦役で報酬を貰えたと喜んでいて。こちらの領民はギリギリまで年貢を取り立てた殿を、よく思うてないものを。


 集まった十名の者も、村の庄屋などが家屋敷を燃やされては敵わぬと、銭で集めた余所者なのだ。戦になればすぐに逃げ出そう。


「クッ! 探しだして連れてこい!」


 全くこの御方は。自身は平気で織田の殿様と若様を裏切ったのに、家臣と領民の裏切りは認めぬのか。


 最早これまでだな。


 私は家中の主だった者を連れて、領民を探しに行くふりをして屋敷を出ると、そのまま古渡を目指した。


 ここで殿を討てば褒美が出たかもしれぬが、我が身可愛さに主君を討つのは忍びない。




side・久遠一馬


「面をあげよ」


 もうすぐ夕方になろうという頃になると、林通具の家臣が古渡城に投降してきたとの知らせが突然入り、オレたちは信秀さんと共に古渡城に来ていた。


「美作守はどうしておる?」


「戦支度をしているかと思われます」


「一人でか?」


「領民は逃げました。一部の者が義理で雇った兵が十名ほどおります」


 あまりの事態に少し微妙な空気が場を支配してる気がする。


 まさか家臣が逃げ出して投降してくるとは。赤っ恥もいいとこだろう。


 林通具の領地に暗殺の噂を広めたのオレたちだし、信秀さんが討伐しに出陣する準備してるって噂も、ついでに流したけど。


「明日の朝一で美作守の領地に向かう。兵は千もあればよかろう」


 ここまで来たら信秀さんも動くしかないね。明日の朝っていうのがポイントか。逃げるならば追わないということだろう。


 兵の数が多いのは、兄の林秀貞さんが味方した場合を想定してだろうね。


「一馬。そなた、船以外で戦の経験はあるのか?」


「いえ、ありません」


「ちょうどいい。明日を初陣とするがいい。戦になるか分からんが、負け戦よりはよかろう」


 信秀さんから戦という言葉が出ると、重臣だろう数人から微かな笑い声が聞こえた。


 信秀さんの暗殺未遂というか、未遂までもいかない段階での露見と家臣に見捨てられたという事実に、みんな呆れてるような雰囲気だ。


「美作守殿は、久遠殿のことも気に入らぬと騒いでいたとか。南蛮の船を独自に運用する財力や苦労を、理解されておらぬのでしょうな」


「いや、久遠殿は南蛮の知識があるのだ。それだけではあるまい。あの金色酒も本当に美味いしな」


 重臣の人たちはほとんどが初対面だけど、意外なことに温かく迎えてくれた。


 まあ腹の中は分からないけど、少なくとも初対面から敵視するほどの馬鹿は居ないらしい。信秀さんと信長さんの前だしね。


「殿。一応美作守殿を呼んで、申し開きをさせてみてはいかがでしょうか?」


「殿の暗殺をしようとした奴を呼び出してどうする! 謝ったら許すとでも言うのか!?」


「いや、切腹をさせれば良かろう。兵を集める手間が省ける」


「やめておけ。素直に腹を切るような奴ではないわ。使者を斬り捨てるのが目に見えておる。逃げるならば今夜のうちに逃げよう」


 オレは馬鹿の相手は疲れるとでも言いたげな、重臣のみなさんの話を大人しく聞いてるけど。林通具は人望もなかったのね。


 史実は信長さんのやり方も良くなかったからね。どんな理由があったか知らないけど、信秀さんの葬儀で灰を投げつけたのは明らかに失策だろう。


 あれが無ければ史実の政秀さんもあんな最期を迎えることはなかっただろうし、林兄弟に好き勝手されることもなかったと思う。


 史実の信長さんには、天才の狂気にも似た部分があったのかもしれない。


 でもここの信長さんって、そこまで狂気が見えないんだよね。


 重臣はあまり好きではないのか、さっきから少し不機嫌そうに無言で話を聞いてるだけだ。




「かず。帰るぞ」


 話が終わり信秀さんが評定の席から立つと、信長さんはやっと終わったかと言いたげな表情で立ち上がり、オレたちは津島に帰ることにする。


「少しよろしいでしょうか?」


「どうした?」


「美作守様。所領の村を焼き、十名の兵を連れて領地を離れて津島方面に向かってきております」


 古渡城を出てしばらくすると、お供として来ていた一益さんから林通具の動きの最新情報が入った。


「自分の村に火をかけるなんて。逃げるのかな?」


「いや、あの男は素直に逃げる男ではない。一益。今の話すぐに親父に知らせろ。オレたちは津島に急ぐぞ! 奴の狙いはかずの屋敷だ! 屋敷に火をかけて、かずの首を取り逃げる気だ!」


 さすがに逃げるかと思ったけど、信長さんいわく違うらしい。


 しかもそこでウチが狙われるのかぁ。ただ、大橋さんも津島の警備増やすって言ってたし、町に入る前に終わる気がしないでもないけど。


 現時点ではまだ織田家の人だからね。町に入れたとしてもウチは止めておいた方がいいのに。


「素直に逃げればいいのに。せっかく殿が恩情を与えてくださったものを」


「そんな考え方ができるならば、こんなことにはならんわ」


 津島の屋敷にはエルとジュリアは確実に居るから、急いで帰る必要はあんまりないけどね。


 オレと信長さんも出し抜かれたみたいな形になるのは、よろしくないか。


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