第32話・中から見た久遠家と新しい家族

side・滝川資清


 尾張に来て早くも十日になるのか。


 本当にこの十日は驚きの連続であった。


 ワシを始め一族の者は、南蛮船はおろか海すら見たことはなく、近淡海ですら見たことがない者が居たくらいだ。


 正直、南蛮船と言われても、近淡海の船を大きくした程度の物だろうと想像したほどだ。まさか、あれほど大きく複雑な帆を張る船だとは思いもしなかったというのが本音だ。


 ワシと儀太夫は、彦右衛門と同じ百貫で召し抱えられた。新参の我らにしては禄は多過ぎると言うたのだが、一族と郎党を食わせていくには必要だろうと言われると否とは言えなんだ。


 はっきり言えば元の領地より禄はかなり多いうえに、銭での支給なので米の取れ高に一喜一憂することもない。


 近隣の者たちは、所領を捨てたことを愚かだと笑っておるだろうが、まさか我らが尾張でこのような生活をしておるとは夢にも思うまい。


 住まいは那古野と津島に分けた。仕えた久遠家は那古野と津島に屋敷があるので人を分けて配したのだ。


 それと言うのも、ワシが久遠家に仕えて驚いたことの一つが、殿があまりにも無防備であったことだ。


 ワシらが来る少し前にようやく人を召し抱えて屋敷の警備をさせておったようだが、はっきり言えばまだまだ甘いとしか思えぬ。


 蔵には高価な物が山ほどあるのに見張りを置かぬことは理解に苦しみ、彦右衛門がワシらを呼んだ理由を心底理解したわ。


 しかも殿にその件を報告したら、任せると言われてしまった。まさか久遠家で最初に任された仕事が、これほど重大なものになるとは思わなんだな。


 殿も奥方様も、元は船で商いをしていた商人故に武術は心得てるようだが、そういう問題ではあるまい。


 それに、召し抱えた者の中には数人ほど商人の娘が居るようだが、他は農民の出であり、殿や奥方様も日ノ本の人ではない。


 あまり細かいことは気になされぬようだし、織田の若様もそれでいいと考えておいでのようだが。武家には付き合いというものがあるし、家臣にも最低限の礼儀作法や常識は必要だ。


 まして、久遠家はもはや田舎の土豪とは違うのだから尚更だろう。


 無論のこと、内向きのやり方には口を出すべきではない。しかし、武家として外向きには体裁が必要であろう。


 ワシ自身も所詮は土豪でしかなかったが、それでも最低限の礼儀作法は知っているつもりだ。


 最近ではワシと妻で、殿が召し抱えた者たちに多少の礼儀作法と仕事を教えて、久遠家の形を作ることをしている。




「これは御方様。何かご用でしょうか?」


「忙しいところごめんね。ちょっと市に出掛けたいの」


「すぐに支度をさせまする」


 ああ、久遠家で驚いたのは、奥方様が南蛮の人であることもあるな。


 しかも奥方様の数が多く、ワシが知るだけでも六人おるが、尾張に来ておられない奥方様も居るとか。


 武家や商家に限らず、裕福な家では妻を複数抱えるのは珍しくはないが、それにしても多い。


 この日も、メルティ様とパメラ様が市に出掛けたいと言うので供の者を手配して付ける。


 津島では知られているのであまり危険はないだろうが、放っておくと御自身で荷物を持って帰ってくるらしいからな。


 正直なところ土豪であるワシの妻でも、市に行くならば供の者を一人は付けるし荷物を自分では持たん。


 妻は家では家事もするし農作業もしていたが、世間体があるので荷物を外で持つことなどせんのだ。


 殿や奥方様が理解されておるのかは分からぬが、他家から軽く見られるようなことがあれば、殿のみならず延いては織田の若様まで軽く見られることになる。


 殿も織田の若様も見栄や体裁に拘るのは好きではないようだから、程々でよいのだろうが。


 何はともあれ、やることが多くて大変だ。




side・久遠一馬


 今日は信長さんが来ないから、庭の家庭菜園の手入れと鶏小屋の掃除をしよう。


 資清さんには誰か人にやらせてはと言われるけど、暇だし趣味みたいなもんなんだよね。


「こら待て!」


「捕まえろ!」


 季節的にそんなに雑草が生える季節じゃないし、秋の空を見上げながらやる作業は気持ちがいい。


 もうすぐお昼かなと一休みしようとしていたら、屋敷の入り口の方が騒がしくなった。


 こんな昼間から泥棒か?


「ワン!」


「殿、すみません!」


 犯人は泥棒じゃなくて仔犬だった。こいつ、みんなに追い掛けられても遊んでたつもりだったみたいで、満足そうな顔をしてオレの前でちょこんとお座りした。


 後を追いかけていたのは、先日雇ったワルガキたちだ。


 信長さんに鍛えられた流石のワルガキも、犬との追いかけっこには勝てなかったか。


「うん? 喉が渇いたのか? ほら、飲んでいいぞ」


 こいつ何でオレの前に座ったのかと思ったら、ハアハアと呼吸をしながら物欲しそうに見てる。


 何となく喉が渇いたのかと思い、近くにあった桶に水を入れてやると美味しそうに飲んでるよ。


「ごくろうさま。こいつは自由にさせていいよ。そのうち飽きたら家に帰るだろ」


 捕まえに走っていた家臣たちに追い付かれるも、水を飲んだ仔犬は疲れたのか、堂々と家の縁側の下で丸くなるとウトウトと眠り始めた。


 こいつ、なかなかいい根性してるな。面白いから自由にさせてあげよう。


 見た目からして乳離れはしてると思うし、そのうち家に帰るだろ。




「おいで、ロボ」


「ワン!」


 その後、お昼を食べてエルの膝枕で昼寝をして起きたら、庭ではケティが仔犬と戯れていた。


 しかも勝手に名前なんか付けちゃって。ロボって某動物記の狼王ロボから付けたのかな?


「ケティ、そいつ近くに家があるかもしれないぞ」


「大丈夫。今日からウチの子になる」


「いいのかなぁ」


「一応飼い主を探させてます」


 ケティはすっかり仔犬が気に入り、飼う気満々だ。でも、本当の飼い主が居ないか確認しないとダメだよな。


 犬種は多分、柴犬だろう。


 飼い主が居なかったら飼ってやるか。


 首輪は必要だな。うちの犬だって分かるようにしたい気もする。


 首輪に名前でも入れようかな。




「そうですか。ではうちで飼ってもいいですか?」


「もちろんですよ。あの仔犬はやんちゃでね。大変かもしれませんが」


「その点は大丈夫ですよ。ありがとうございます」


 仔犬の飼い主はその日のうちに見つかった。津島の商家で産まれた仔犬だった。


 元々親犬を飼ってるようで、うちで飼いたいってお願いに行ったらビックリされたけど快く譲ってくれた。


 この時代では犬を食べちゃう人たちも居るらしいけど、そのお宅では家族のように可愛がって番犬にしてるらしい。


 うちは密かに防犯センサーとか設置してるから、番犬は必要ないけどね。


 新しい家族は大歓迎だ。




◆◆

作中の彦右衛門は滝川一益の通称です。


儀太夫は滝川益氏の通称です。


近淡海は琵琶湖のことです。

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