第19話・おいなりさんと滝川さん
side・久遠一馬
「ほう。豆腐か」
この日の昼食にと台所で豆腐を作ってたら、信長さんがやってきた。先日ラーメンを政秀さんに御馳走してから、益々お昼に来ることが増えたんだよね。
どうやら新しい料理は先に食べたいらしい。こういうとこは子供だよね。
「揚げるのか?」
「ええ。この辺りではやりませんか?」
「油は安くないからな」
ただ、今日は油揚げを作るために豆腐を作ったんだ。おいなりさんが食べたいからさ。
油で揚げる調理法はあるにはあるけど、あまり一般的じゃないんだよね。この時代だと。油が高いからかね。
豆腐はあるみたいだけど、そこまで一般的じゃないらしい。寺なんかだと宗派により精進料理とか作るから、豆腐とか使うみたいだけど。
知識と技術が寺にばかり集まる状況は、何とかしないといけないね。理想は学問と宗教の分離だろう。戦国時代の間に、他の宗教の利権問題と一緒に、その道筋をつけたいところかも。
別に宗教を完全に否定はしないけどね。個人的には好きじゃないというか嫌いな部類に入る。ただこの問題は宗教を否定するのではなく、非宗教の学問を学ぶ者や技術者を一から育てないと駄目か。
まあ、気が滅入る話は置いといて、油揚げを作らないと。
作り方は難しくない。基本的に豆腐を薄く切って、油で揚げるだけだ。
揚げ上がった油揚げは油抜きして、砂糖や醤油などで煮て味を付ける。あとは酢飯を詰めるとおいなりさんの完成だ!
「アナタ。お客様よ」
「うん? 誰?」
「仕官希望者みたい」
信長さんが見物する中で、さあ酢飯を作ろうとしてたら予定外の来客が。仕方ないから酢飯作りはエルとケティに任せて、オレはメルティと共に来客に会いに行く。
最近時々来るんだよね。仕官希望者。
ただ、どっかのスパイみたいな人とか、金に困った牢人ばっかりだから断ってるけど。
最終的な決断はオレがしてるけど、不安だからエルとかメルティに怪しいか役に立つ人か判断してもらってる。
「某、近江の甲賀生まれの滝川一益と申しまする。禄は幾らでも構いませぬ故、是非とも召し抱えていただきとうございます」
あれ? オレの聞き間違いか? 今、この人、滝川一益って名乗ったような?
「滝川殿。その、何故うちに? うちは武家というより商家に近いのですが」
横に控えるメルティに確認したら、どうやら聞き間違いではないらしい。
来るところ間違ってませんか? 貴方は織田四天王の一人になる人なんですよ。
史実では、信長さん亡き後、清洲会議に出席させてもらえなかったことで晩年は不遇だったけど、能力は確かで、信長さんの死により上野の領地を失いはしたものの、あの情勢下で神流川の戦いでは北条相手に一万八千も集めて戦っていた。
現地での国人衆の信頼もあったようだし、信長さんが健在ならば違う結果になったであろう一人だ。
「先日のことですが、津島にて南蛮船と、南蛮船が大砲を撃つのを拝見しました。これからの時代は鉄砲や大砲でしょう。そして自ら南蛮人の船を操り、海に出ている久遠様の時代かと思いましたが故に」
正直本気なのかと疑いたくなるほどだけど、一益さんは本気らしい。
困ったな。どうしよう? 追い返して他家に行かれても困るし、うちの家臣にするにはもったいない人だ。
「一益と言ったな。顔をあげろ」
「はっ」
「うむ。いい面構えだ。よく鍛えているようだしな。かず、召し抱えてやれ」
どうしようかなとメルティに視線を向けると、動いたのは意外なことに信長さんだった。
今まで何人か仕官希望者が来たけど、信長さんは居合わせても口出ししたことなんて無かったのに。
縁側に座っていた信長さんは一益さんの目の前に行き、自ら顔を上げさせると一益さんの顔をじっと見つめ即決した。
ちょっと運命的なモノを感じてしまう。
「そうですね。ならとりあえず百貫で」
「……その、某が言うのもどうかと思いますが。些か高すぎるのでは?」
「うちは銭だけはあるからね」
給料はとりあえず百貫から始めればいいか? 滝川一益さんだし雑兵みたいな扱いはできんだろ。
一益さんが驚いたからメルティに確認の視線を向けたけど、頷いたので問題はないだろう。
「良かったではないか。いつまでも家臣の一人も居なくては、格好がつかぬからな」
「オレより武士らしいですけどね。思わず平伏しちゃいそうになりますよ」
「フハハハ。それは慣れろ。この先のためにもな」
もうオレの知る歴史は、遠い彼方にいっちゃったんだろうね。
一益さんはまだ二十歳を超えたくらいの若者だし、オレたちのやり方を学んでくれれば史実以上に活躍するかもしれない。
オレ自身も五百貫もらってるからね。戦になれば相応の人を出さなきゃならない。足軽はまあいいとして、武士も何人か必要なんだよね。本当助かったと言うべきか。
「これは?」
「明や南蛮だと一つの食卓をみんなで囲むんですよ。滝川殿も座ってください」
一益さんのことが一段落した頃になると、エルとケティがお昼ご飯を運んできた。
今日のメニューはいなり寿司と豆腐の味噌汁に、冷奴という豆腐づくしだ。
いつものように信長さんと小姓のみなさんがテーブルの前に座ると、一人事情を知らない一益さんが戸惑ってる。
この時代は本当テーブルがないからなぁ。
「これは美味いな! 何という料理だ!?」
「えーと、特に名は……。ウチでは稲荷寿司と呼んでますが。酢で味付けした米を使ってますし、なれ寿司に近いのかもしれませんから」
「稲荷寿司か。何故稲荷なのだ?」
「さあ? 何故でしょうね。誰かが最初にそう呼んだんでしょうが、オレが生まれたときには既にそう呼ばれていました」
「若!
「本当だ。縁起がいいや」
何となく食べたくなっていなり寿司を作っちゃったけど、問題は名前なんだよね。稲荷って神様の名前だしさ。
明の料理にするのもおかしいし、いつの間にかその名前だったということにするしかないか。
歴史の辻褄合わせは未来の学者様に任せよう。
甘辛い味の染みたお揚げには酢飯がよく合って、確かに美味しい。
「これはやはり米も美味いのだな。尾張の米とは全く違う」
ああ。うちで食べる米は、宇宙要塞で栽培してる近未来の米だから美味しいのもあるんだよね。しかもこの時代では珍しい白米だしさ。
小姓の勝三郎さん達はいなり寿司を米俵に見立てて、縁起がいいと喜んでる。偶然だけど稲刈りの時期だからね。
縁起物を用意したと誤解されてる気もする。
一益さんも半ばビックリしながら食べてるよ。みんなよく食べるから、テーブルの真ん中には山のように積み上げたいなり寿司があるけど、足りるかな?
――――――――――――――――――
織田統一記には滝川一益の仕官に関する逸話があり、一益が久遠家に訪れた際に居合わせた信長が気に入り、仕官させたと記されている。
晩年信長は、本当は自らの家臣に欲しかったと一益本人に溢したとも言われる。しかし、それよりも久遠一馬にいつまでも家臣が増えぬことを、誰よりも信長が案じていたと、当時を知る池田恒興が語ったと記録に残る。
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