第9話・歴史の転機

side・一馬


 季節は夏から秋に変わろうとしていた。酒造りの準備は着々と進んでいる。


「なあ、かず。絹や硝石は明から得ているのであろう? 明や南蛮はその対価として銀や銅を欲しがる。明では銀や銅を得て何をするのだ?」


「銀は南蛮では食器とかに使われてると聞きますね。あとは銀そのものに価値があるんですよ。銀があればどこの国でも買い物ができます。あと日ノ本では他の外国と比べて、絹は高く銀は安いのです。明や南蛮の商人は絹の安い明で安く買い、絹の高い日ノ本で高く売る。銀も同じですね。明では価値が高いと聞きます」


 ただ信長さんは相変わらずあれこれと、疑問があれば質問攻めにしてくるから、南蛮貿易の秘密やらを知ってる範囲で教える羽目になっちゃってる。


 ほとんど後世の知識だから、下手したら堺の商人すら知らない事実もあるかもしれないけど。知らないふりするのもね?


「明では銀が高いのか」


「まあ、銀とか金は貴重ですし有限ですからね。極端な言い方をすると、絹は桑の木と蚕が居ればいくらでも作れますから」


「ちょっとまて。それでは日ノ本から銀が無くなるばかりではないか?」


「まあ、そうでしょうね」


「何故誰も止めんのだ!?」


「さあ? わたしに言われても。そもそも日ノ本は戦ばかりで、貿易どころの話ではないのでは?」


 信長さんが賢いのもあるけど勘がいいね。オレの話から自力で南蛮貿易の問題点に気づいちゃった。


 さすがに絹と銀とじゃ、銀の方が大事なのは理解してたのかもしれないけど。


「そもそも胡椒や砂糖にしても、南蛮人は値が下がらぬように調整して持ってきてるみたいですし。世界を知らず自分達で貿易もできない日ノ本は、無知な農民みたいなものですから」


「なあ、かず。もしかしてその話、日ノ本の者には話してはならぬ秘密なのではないか?」


「多分そうでしょうね。私は話しても損しないので、話せますけど」


 この時代の貿易には、ルールなんてないからな。やったもん勝ちなんだよね。


 南蛮貿易が盛んになるのはこれからだけど、あまりに銀や銅が国外に流れて後で困るのは、この時代の日本人は知らないことだろう。


 数年後には来る宣教師もスポンサーはスペインとかだから、いろいろと商売の片棒を担いでたみたいだしね。


「お前。その話。麦湯を飲みながら、縁側で話す内容ではないぞ」


「オレは一介の商人ですから。若様が聞いた話をどう役立てるかは、お好きにどうぞ」


「絹を日ノ本で作れない以上は、損をするだけか?」


「まあ、大雑把に言えばそうですね。絹や綿はその気になれば作れますけど。誰もそこまで余裕がないんでしょう」


 信長さんったら、南蛮貿易の怖さに顔がマジになってる。まさか今の段階でも、天下布武とか考えてるんだろうか?




「……かず。オレに仕えろ」


「突然何を言い出すんですか。怒られますよ。得体の知れない人を召し抱えるなんて。第一、仕えてもオレには得るものがありません」


 しばらく無言になった信長さんは、どれくらい過ぎたか分からないけど突然妙なことを言い出してしまった。


 話を聞いていた若様のお供の皆さんとエルたちはあまりに突然な話に驚き、オレが断ったら更に驚いてる。


 そんなに驚かなくても。どうせ雑談の中の一言なんだから。


 それにしてもいったい何を考えたら、そんな結論に至ったんだろうか?


「この日ノ本には天下を纏める者が必要だ。そうは思わぬか?」


「まあ、必要でしょうね。日ノ本は九十年近く戦ばかりしてますし」


「ずっと考えていた。何故戦ばかりなのか。いつ戦が無くなるのか。それとも無くならぬのか」


 あれ? もしかして本気なの? 天下なんて語り始めたよ。


「誰かがやらねばならぬのではないか?」


「若様がやるので?」


「そのつもりだ。だがオレにもやり方が分からなかった。お前たちなら、そのやり方が分かるのではないか?」


「小さな島で育った田舎者ですよ」


「違うな。日ノ本の外を知る者たちだ」


「それに、新しいことを成すには古いことは破壊しなくてはなりません。地獄への一本道ですよ。あちこちから恨まれます。死んだら地獄に堕ちるくらいに。しかも仮に纏めても、纏まった天下を治めるのは、若様でも織田家でもないかもしれません」


「構わん。どうせ守護代の下の奉行の家なのだ。子や孫に尾張半国でも残ればよかろう」


「困りましたね」


 どうやら本気らしいね。ただ現時点で信長さんはうつけと言われてる跡取りでしかない。普通は信じないよ。そんな話してもね。


 ただ、オレたちには生存圏を確立するという目的がある。


 信長さんに仕えてそれなりの地位で、どっかに生存圏を作るのは悪い案ではないと思うけど。苦労するだろうな。


「必要なのだ。南蛮を知り明を知るお前たちが。日ノ本ではない者の知恵と知識が」


「うーん。力を貸すのは構いませんけど、仕える必要まであります? 正直堅苦しいの苦手なんですけど。お抱えの商人くらいがちょうどいいのでは?」


「恐らくそれでは足りん。新しき世を作るにはな。別にお前たちが武士らしくする必要はない。逆に武士にお前たちの考え方や生き方を、見せ付けてやればいいのだ」


「そんなこと言うから、うつけって言われるんですよ」


「うつけで構わん。今までの武士のやり方では、天下は纏まらんのだからな」


「どうしよっか?」


 客観的に見ると貿易ができて海外に精通してるオレたちを召し抱えるのって、悪い選択肢じゃないんだよね。


 ただまだ家督も継いでないのに、天下とか言うから歴史を知らないと本当にうつけに見えそうだけど。


「私たちはどちらでも構いませんよ」


「じゃあ、お仕えしますよ」


 天下か。オレたちが力貸すと、豊臣政権とか徳川幕府無くなりそうだけどな。


 まあ、エルも反対しそうな表情でないからいいか。


 生存圏を確立するには、日本人になるのが一番しっくり来るのは確かなんだよね。オレ自身日本人であることに変わりはないし。


 信長さんも歴史で見るより、夢を持った気持ちいい子供だ。


 ただ革新的な考え方の片鱗が、他人からはうつけに見えるんだろうね。


「そうだ。武士になるのだ。名字がいるな。オレが付けてやろう。……久遠くおんというのはどうだ? 久遠一馬と名乗るがいい」


 あまりにあっさり返事したんで少し驚いてた信長さんだけど、何を思ったか名字を付けると言い出した。


 正直、名字くらい自分で決めたいと思ったんだけど。やはりこの人は天才なのかもしれない。


 久遠とは確か仏教用語だったはずだけど。意味は永遠。そして遠い過去や未来のこと。


 オレ自身も一番最初のアンドロイドであるエルの名前は、同じ意味のエターナルから取った名前なんだよね。




side・織田信長


 知らなかった。遙々南蛮から来る商人や明の商人に、日ノ本が食い物にされているかもしれぬとは。


 だが少し考えれば分かることだ。他国の利など誰も望まぬ。まして日ノ本の外の者が、日ノ本の利など考えるわけがない。


 堺の商人は知らぬのか? 知っていてもどうしようもないのか?


 幕府は何をしているのだ?


 やはり誰かがやらねばならぬのならば、自分でやるしかあるまい。


 かずの話を聞いてよく分かった。日ノ本もオレも無知な農民と同じなのだ。


 学ぶだけでは足りぬ。オレが知らぬ海の向こうを知る者たちを召し抱えねば、オレも他の武士と変わらぬ生き方しかできぬであろう。


 違うのだ。かずたちは。モノの見方や考え方から、何もかもが。


 親父は何と言うであろうか?


 南蛮船の持ち主を召し抱えたのだ。反対はせぬであろう。


 この前の砂糖ようかんは喜んでいたしな。




◆◆◆

 『織田統一記』に久遠一馬の名前が初めて出たのは、天文十六年の夏の終わりのことだった。


 突如津島に来訪した一馬を、信長が自ら津島を訪れ召し抱え、一馬に久遠の家名を与えたと記されている。


 この出来事は、その後の二人の様子から、三顧の礼を以って信長が家臣に迎えたと小説やドラマではお馴染みのシーンとなるが、正確には後世の創作である。


 『織田統一記』は、久遠家家臣太田牛一が信長本人や関係者に直接聞いて書いたとされるものの、この時のことについては、後に信長本人が天運に恵まれたと一言発言した以外には、詳細を明かさなかったと言われている。


 ただこの場に同席した池田恒興が、二人の会話を当時は全く理解できなかったと発言していることから、後の世で多くの研究者の議論になる。


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