ep.3 春の訪れと火薬の香り③
早朝。
「行ってきまーす。」
「お兄待ってー。ママ、私も行ってきまーす。」
「はいはい、気を付けて行ってくるのよ。」
僕の母さんはそう言って、登校する我が子の姿を玄関まで見送る。
今は母さんと、1つ下の妹の3人で暮らしている。
父さんは著名な建築デザイナーとして海外を飛び回っているため家にはいないが、連絡は頻繁に取り合っている。
特にこれといった特別なことはないが、家族仲はかなり良い方だと思う。
しかし、僕の抱える秘密については、家族の誰にも明かしていない。
みんな心配性だし、特に母さんには女手一つで育ててくれた分、余計な心配をかけたくなかったからだ。
『キモキモ眼鏡』に関しては初めは驚かれたが、女性からのアプローチが苦痛であること、モテすぎて男子からいじめの標的にされていたこと、などの嘘をでっちあげ、眼鏡を付ける事に納得してもらった。
家族たちには別ベクトルでの心配をかけてしまったかもしれないが、これは仕方のないことなのだ。
許してくれ母さん、父さん、妹よ。
悪いのはすべてこの『呪い』のせいなんだ。
――――――――――
今日から新学期が始まる。
学校へ着き、今日から後輩となる妹を教室まで案内した後、体育館での極めて形式的な始業式を終え、僕は2年B組の教室へと向かう。
「おっはよー。今年もクラス同じだね。よろしく。」
僕の席の後方で男の声が聞こえたが、僕に向かって言ったわけではない。
「うん、今年もよろしくね。」
そう受け答えしたのは、1年の時も同じクラスだった
彼女はいわゆる優等生に分類される生徒で、おっとりとした性格で男女、先生を問わずの人気者である。
そんな彼女に送られたラブレターの数は相当のものらしく、本人さえ把握しきれていないというのは校内でも有名な話だ。
「あの、坂東君も、また同じクラスだね、よろしくね。」
宮崎さんは僕の手前右の席らしく、座りながらそう僕に話しかける。
彼女はカースト最底辺の僕に対しても、このように優しく声をかけてくれる。
その話し方には気品と穏やかさがあり、綿毛のようなふんわりとした印象がある。
「あ、うん、よろしく。」
僕は一言だけそう返し、イヤホンを装着して文庫本を開き、ホームルームが始まるまでの少しの時間をやり過ごすことにした。
そこでふと、宮崎さんに初めて会った時の事を思い出した。
僕はこの学園に入学してきてまず、休み時間の過ごし方について頭を悩ませていた。
前提として、
そこで目を付けたのは、図書館だ。
うちの図書館は教室棟から少し離れたところにあり、アクセスの面で不便である。
そのため、生徒はたまに訪れるくらいである。
それに加えてさすが県内屈指の進学校ということで、それなりに広いスペースがあり設備も充実しているため、快適に時間を過ごせる。
それらを考慮して、校内で一番安全な場所というとまずはここだという結論に至った。
この話が宮崎さんと何の関係があるのかというと、そのたまに訪れていた生徒というのが宮崎さんなのだ。
図書館内でよく目が合うことはあっても特に会話することもなかったので、どういう本が好きだとか、どういう時によく来るのだとか、そういったプライベートなことは一切わからない。
しかし少し気になっているのは、彼女はいつも一人で図書館へ来ていた点だ。
友達が少ないというわけでもなさそうだし、休み時間は同級生の女子と雑談することが多かったように思う。
もしかしたら宮崎さんにも、あまり人に知られたくない秘密でもあるのだろうか。
それ以上について考えるのはやめることにした。
詮索しすぎるのはあまり好ましいことではないし、単なる僕の考えすぎである可能性の方が高いだろうから。
―キーンコーンカーンコーーーン―――
「はーーい。席についてくださーーい。」
眼鏡をかけたスラっとした印象の男性が教室の扉を開け、供託へと足を運んでいく。
僕はイヤホンを外し、文庫本にしおりを挟んで閉じ、机の中へとしまう。
皆が座り終えたタイミングで咳ばらいを一つした後、彼はその口を開き始めた。
「今日から皆さんの担任を務めます。
今年の担任は普通そうで良かった、というのが第一印象だった。
去年の担任にはあまりいい思い出がないので、”普通そう”という印象が僕にとっては一番の朗報だった。
「早速だけど、みんなにも自己紹介をしてほしいと思います。じゃあ、出席番号1番の阿部からお願いね。」
こういう場面での自己紹介は、できる限り無難なほうが好ましいだろう。
一つ注意しなければならないのが、暗い声では話さないことだ。
元気良すぎるのも目立つが、暗すぎるのもそれはそれでかえって怖い印象を持たれるため、極力目立たないようにするには、"おとなしそうな子だなー"くらいの印象を持ってもらう程度の声で話すのがベストだ。
話題に関してだが、みんなの内容を聞いている限り、趣味と1年時のクラスを言う人が多数だ。
これに則ってシンプルに行こう。そう、できるだけシンプルに。
「じゃ、次は坂東だな。」
「はい、1年の時はC組でした。坂東雄輔です。ちゅみは読書です。よろしくお願いします。」
あ、やべ、噛んだ。
内心大焦りしながら、僕は席に座った。
ああ、恥ずかしい。
人前で口を開くのが久々でしゃべり方を忘れてしまっていたようだ。
『プスッ』程度の軽い笑いが干名から起こっていたが、まだ笑ってくれるだけありがたいと思わなければならない。
ああ、恥ずかしい。
「はいありがとう。それじゃあ次は、」
何事もなかったかのように森川先生はそう言い、次の生徒を指名していく。
変にいじらないでくれてありがとう、森川先生。
もう既に僕の中では、森川先生はある程度信頼できる人物になった。
なんやかんや皆の自己紹介は進み、次は宮崎さんの番になった。
「それじゃ次、宮崎。」
先生がそう言ったので、僕は右斜め前の席に座っている宮崎さんに視線を向けた。
その時の宮崎さんは、若干緊張しているような印象だった。
「はい、1年の時はC組でした。宮崎唯です。えっと・・・ちゅみはお菓子作りです。よ、よろしくお願いします。」
後半になるにつれてしどろもどろしながら彼女はそう言って、席に着いた。
今確かに”ちゅみ”と聞こえたぞ。
別に噛んだような話し方ではなかったし、意図して言ったようだった。
僕のことを庇ってくれたんだろうか。
あまり話したことないけど宮崎さんってやっぱり優しいんだなあと思った。
あと普通に可愛かった。
瞬間、僕の脳裏に電撃が走るようにとある言葉が思い浮かんだ。ふと
『あれ、宮崎さん、ひょっとして僕の事好きなんじゃね?』
陰キャ男が女子に優しくされたときにふと思うこと選手権殿堂入りでおなじみの”アレ”だ。
僕の見た目は『キモキモ眼鏡』のおかげで女性から好かれることは皆無なのだが、それを介さず優しくしてくれる人がいると、普通にうれしくて心が少し踊る。
しかしダメだ、己が背負っている物の大きさを見誤ってはいけない。
もし告白して付き合うにしろ振られるにしろ、『呪い』のせいでいいことなんて一つもないんだ。
「はいありがとう。みんなそんなに緊張しなくてもいいぞ。軽い自己紹介でいいんだからなー。」
先生が半笑いでそう言っている中、宮崎さんはふとこちらを振り向いて、照れた顔でニコッと微笑んだ。
はい、可愛い。
・・・ダメだ、背負ってる物見誤りそう。
宮崎さんは底なしに優しい人物で、僕がこれまで出会った人の中でも1,2を争う程である。
あと、可愛い。
”『呪い』なんてなかったらなぁ”なんて思っていても仕方がないことはこの6年間で痛いほどわかってきたはずだろ。
あんまり動揺するもんじゃないよ。
そう心の中で唱え、落ち着かせることにした。
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