第42話 黒の深淵にて

 どこまでも落下していく。


「ソラ! どこだ、見えない!」


 声が届いているかは不安だった。嵐の夜の様な風音が耳をつんざく。


「こっちから……いくから、ちょっと待て!」


 声はかき消される。しかし、その手が引っ張られた。


「よかった!」

「武器を落っことすような間抜けはしていないだろうな」

「お、おう!」

 自分の背中の獲物を確かめた。

「ところで、落ちながらその剣は振れそうか」


 なんだと、と聞き返すより、目の前を巨大な爪が掠めていった。


「うわ!」


 体が動き、一閃した。塊に確かな手ごたえ。しかし弾き飛ばされ、下降の速度が上がり、二人して逆さまになった。


「虚無の空間か……広がり続けるルル=ドラ-ジの全貌と、キリュウの仮想世界が混ざって、とんでもなくカオスな状態だ」


 死体の色のような紫色、いや青白いというべきか。どちらでもいい、不吉な色の煙の中を、二人は落下していた。互いの身をよじり、何とか姿勢を正す。縦でもに回り始めたらきっと収拾がつかなくなる。

 外の煙、形容しがたい常に形を変えるそれ、虚無は隙あらば自分も飲み込んでやろうと狙っている。あざ笑う目、大声で威迫し心を折らんとする大きな口、そこから除く官能的な舌と、鋸のような牙。どれもが、「お前達はもう、終わりだ」と追いつめてくる。


「きゃあああああ―――――ツ!!」


 甲高い悲鳴。


「は、はああ!? カトレア!? あっのバカ娘、飛び降りたか! おい、あいつのところまで泳ぐぞ、力を貸せ!」

「泳ぐって」


 試しに手を掻いてみたら、少しカトレアの方に近づいた。向こうは右に左に、ぶれて落下し続けている。このままでは危険だ。


「もっと! 勢いをつけろバカ者!」

「ソラもやれよ!」

「そんな間抜けなモーションとれるか! それに、お前にしがみつくのがこちらはやっとなんだ、わかれ!!」

「ああ、もう」


 我ながら締まらない。ここまで、ソラが片腕を失っていたことすら失念していた。

 左手を素rの腰に添え、右手とバタ足で必死に推進し、カトレアを掴んだ。


「あああああ、ありが、とおおおお」

「ありがとうじゃないよ……さ、さすがに、疲れが」

「カトレア! なぜ飛び降りた、お前は我々を観測する命綱だぞ!」

「そ、そんなのわかんないわよ! だったらそう言ってよ!」

「こっちは万が一の時、お前が残っていれば何とかしてくれるだろうと……わかれよ、それくらい……」


 今までにないほどの長い溜息をソラはついた。


「なんなの、これ魔女デレルート!?」

「だまれ、このゲーム脳!! どうとでもなるだろ、その攻略ノートがあれば!」

「初回は攻略本無しでプレイする主義なのよ」

「あー! もーいい! お前ら転生者に期待した私が浅はかだった!」


 互いに手を持ち合い、態勢を整えていく。


「ところでこれ、どこまで落ちるの……?」

「物理法則的には加速していくのだろうが、どうやら身体に影響はないな……むしろ少し慣れてきた」


 ソラはフィドルから離れると腕を組み、胡坐の姿勢を取る。


「大丈夫なの……?」


 カトレアもそっと離れた。


「攻略ノートみてくれ。このままでは無限に落ち続けて、詰む」

「……さっきは待ってろって怒ったくせに……どうするつもりだったのよ」

「何とかなると思ったんだ。一応ルルだってお前達の一味だろうし、この世界の女神のフレイヤだっているんだ。こちらがアクションを取れば何らかのリアクションがあるはず」


 とんっ。


 唐突に、足場ができたように、着地した。


現実仮想チェンジング・ワールド』 


暗がりに、声が響く。黒い空間に、無数の数字が流れていく。やがて、その数字が様々な物質に姿を変えていった。魔王の謁見の間に似ていたが、神聖な神殿を思わせる基調だった。 

 黒の騎士、キリュウ。そして、その傍らに立つ女神フレイヤ。


「ルル=ドラ-ジのデータ化は終了している。かなり大きな不具合だったが、強力な魔王を飲み込む力と役割を与えてやった。封印の地になった……という感じかな」

「お疲れ様だよっ、キリュウ。あと、カトレアも。ルルもね」


 両手を広げ、フレイヤは歓迎を示した。


『うーっす。なんかでっかくなって変な感じなんだけどさー。ねえねえ、俺の形も作ってよキリュウ』

「そうはいかない。そこからまた広がって、今度こそ飲み込まれるからな」

『ちぇー。あんまりつまらないと、勝手に作っちゃうぞ。スライムは単純構造だからね、そんな時間かかんないと思うぜー?』

「それより、身体を広げてもらってアレフを見つけて欲しい。どうも多層世界に彼女と共に送られたみたいだから。彼には、君の制御プログラムを任せたい」

『おまえさー、なーんで俺の制御するための対策に俺を使うのよ。おかしーだろ』

「そこは型にハマらず頼むよ」

「「スライムだけに!!」」


 上手に言葉を合わせると、キリュウはフィドルに向き直った。


「そういうわけだ、フィドル。お前もよくやってくれた。いい演者だったよ」


 キリュウは握手を求め、近づいた。


『あんまそういうケレン味の強い言い方すなー。諸悪の根源にされちまうぞー』

「すまない、そんなつもりはないんだ。本来、イレギュラー……少々度の過ぎた、混迷させるギフトを消滅させるのはベルの役目だったんだが。しかしフィドル、君は彼よりずっとうまく、招かれざる者の懐に入ってくれた」

「俺にソラを殺せというのか?」


 申し訳なさそうにキリュウは首を横に振った。


「違うさ、そうじゃないだろ? 君にはソラの願いを叶えてやって欲しい。その神殺しの剣による死は、与えられたギフトごと、元の世界に送り返す。そのために君の力が必要なんだ」


「なるほどな」

「なるほど」

「ああー……はいはい、なるほど」


 フィドル、ソラ、カトレアの順に頷く。


「悪い、その剣もうないんだ。オセに認めてもらうために使ってしまった」

「私としても、残念だ」

『あー、あの剣かー。ベルを作り直してすればなんとかできるけど、あいつまだこの世界にいるんよ。俺が作り出すのは多層世界だからな、被っちまったら対消滅しちゃう。ごめんな』


「そうか……それで、ベルはどこに?」


 一瞬、眉に力が入ったが、キリュウはすぐに平静に問うた。


「私の工房に眠らせてある。ミツキと、アレイスタも。エカテリナとアレフは多層世界に。ミチホシは……まあ、知っての通りだ」

「解放を」

「まあ、焦るなよ。魔王ホウマは、役割を終えて消えたか? それとも初めからキリュウ、お前が作った自作自演のお前自身か? 思えば名前も安直だ、マオーを逆さまから読んでホウマ」

「悪いが、問答は無用。俺が魔女を討てばいいか。そうすればベルたちが解放される。この身はギフトの効果で魔女となるだろう。そうなれば、フィドル、お前は俺を殺すはず」

「なるほど、やはり考え方が魔王なのね。初めからは、そうではなかった……と、信じたいけど。絶対王者・桐生正史郎、ゲンメツだわ」

「ソラは殺させない」

「その行動に意味はない。『チェンジング・ワールド・オーバーシフト』」

 

 キリュウの胸の上に、破壊不能アンブレイカブルの文字が浮かぶ。


「意味があるか、決めるのは俺だ」


 フィドルは剣を構えた。しばしの沈黙の後、キリュウも剣を抜いた。


「気をつけろ、そいつはこの世界のシステムが構築される前から女神によって呼ばれたチートキャラ。さしずめ転生者のテスト版、β版のチーターすなわち」

『あー待て待て。魔女よおー、オメー、それ言いたかっただけだろお?』

「その名も、ビーt……ふむ。まあな。負ける通りはない。全力で行け、フィドル。いわゆる先行販売の勇者なんざ体験版だよ」

「俺の住む世界を、そう易々と変えさせない」

「……」


 目を閉じると、キリュウは現実仮想の世界を解除した。


「そうだな。よそう、俺では役不足だ。オセとの闘いの後では、道化になるだけか」


 そういうと、剣を鞘に戻す。

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