第34話 分岐点
夢から醒めた夢、とでも表現すべきか。
フィドルはゆっくりと目を開けた。
頭に柔らかい感触があった。膝枕をされていた。
銀髪の魔女、ソラが頭を撫でている。
「ソラ、そんな心配そうな顔、しないでくれ」
自分でも驚くくらい、自動的に声が出た。
「涙はもう、無くしたものだと思っていたのに」
フィドルが目を閉じると、溜まった涙が伝っていった。
「夢の中だからかもな。サイボーグの身体ではない。お前の両親に与えられた、優しい目だよ」
「うん……」
安らぎを感じながら、フィドルはゆっくり、目を開いた。
「ミチホシ・マツダが失われ、再構築された世界もまた閉じられたか。今は浮いているような状態だが……恐らくは、お前の神殺しの剣が奴を貫いた時点、異世界レストラン崩壊のあとくらいにこれから引き戻されるだろう。起きた出来事を既視感を伴う夢と断じるか、そんな未来の可能性もあったかと考えるのかは、お前の自由だ」
「……」
「幸いに、お前との使い魔の儀式、まだ引っ掛かりがあったのかな。一番に会えてよかった。私の顔に触れてみてくれないか」
言われるがままに、フィドルは手を伸ばした。
「ふむ……ミツキの呪いは解けているようだ。男に触れられたら発情する、というヤツだ」
「その確認、必要か?」
「なあに、照れ隠しだとも。私にも人肌恋しい時はある」
フィドルの頭をどけると、ソラは立ち上がった。
「一番手ごわいカトレアの
「ここは?」
フィドルも立ち上がった。
白い、白い空間。なんの飾り気もなく、ただそこにある、空虚な場所だった。
「私の夢の中の工房だよ。せっかくだ、見ていくといい」
無機質な白い廊下を歩く。
部屋が仕切られていたが、どれも透明なガラスで内が見えた。
書庫。物置。部屋。
ベルが横たわるベッド。同じく、ミツキ、アレイスタと、まるで棺のように並ぶ。
「ベルの記憶の混濁だが、私と共に持ち込まれた仮死状態のこいつと、過去世界のベルが同調したのでは、と考えるられる」
「あれを、謝罪としてもいいのかな」
「謝ったベルも、己を見誤ったベルもまた、同じベルさ――」
「ミチホシは?」
「お前の咎人の剣で切られて失われた」
「……あのとき。あれは、俺の意思で彼を貫いた」
「まんまと私に騙されたな」
「いや。そうじゃない!」
強い口調で言うと、ソラは嘲笑をやめた。
「あっちで、ソラの前に立って。ソラの側についたのは、俺の意志なんだ」
「そうか。じゃあまあ、そういうことなんだろうな」
あきらめたようにソラは嘆息した。
「私はお前に切り殺されるつもりで会いに来ているのだがな。お人よしが過ぎるぞ」
「ミチホシがいなくなって。俺に殺されれば、転生前に戻れると考えたか?」
「やれやれ、ずいぶん頭が回るようになったものだ」
区画が変わり、ベッドだけが並ぶ広間に出た。
「魔族が恐ろしければ、工房に引き篭もればよいものか、とも思ったが。ここは時が停滞している。食材が腐らないのは助かるが、ここにいては何も変わらず、進まないんだろうな」
「……なんだと」
フィドルは、そこに横たわる人々を見て、絶句した。
「お前が目覚めたとき、傍らに顔のない死体があったろう。あれは、燃えた村に来た火事場泥棒、追剥ぎの無頼だ。さすがにあの時、男に触れられて発情する呪いをミツキから受けていたからな。殺さざるを得なかった。万一、村の者なら……」
「いや……」
絶句した。
「お前の村の住人たちだ。恋人もいる。本来の世界での話だ。フェネクスとベルの衝突から夢の工房に匿った。いない奴は? 全員いるか、確認してくれ」
聞いて、フィドルは膝から崩れた。
フェネクスの強襲。ベルの魔法……巻き込まれ、焼けた村。消えた村。
「なんだよお前……なんなんだよ、お前……」
ボロボロと、涙がこぼれた。
「守ってくれてたんじゃないか……!」
嗚咽と一緒に言葉を吐き出した。感謝しかなかった。
「ありがとう、ありが、とう、ありがとう」
失われた涙だって? とんでもない。とめどなく、とめどなくあふれてきた。
「それこそ見当違いだ。お前への交渉材料に用意していたにすぎない」
ソラ――なんてめんどくさい性分なんだろう。
フィドルは、「でも、」と前置きした。
「救ってくれたことには! 変わりない!!」
「私を殺せば工房は消え、彼らは解放される。村のみんなでやり直してはどうだ」
感情のこもらない言葉でソラは言う。
「それはできない。ベルを憎しみのまま殺したことで、俺はその資格を失ったんだ」
「私に嵌められて、な」
「違う! 断じて!」
向き直り、両手でソラの肩を持った。さすがにびっくりした表情になる。
「何度でも言うぞ。選んだのは俺だ! ソラ、あんたを信じて、あんたの目的を果たさせると約束した。それを違えることはできない!!」
しばらく、ソラは言葉を探している様子だった。やがて口を開く。
「……つくづく、ままならんヤツだな、お前は」
「そういう、性分だ。あんただって――」
は、と一度息を吐き出した。いちいち言葉にしてはきっと彼女は嫌がるだろう。
悪役になることで、フィドルをデウス・リベリオンに放り込んだ。
騙されていた自分がデウス・リベリオンのために尽くすと言って、疑う者はいないだろう。
ゆっくり、肩から手を離した。ソラはわずかに乱れたドレスローブの皴を直した。
「俺は行くぞ。魔王を倒す。そのときに、また会おう」
踵を返し、背中越しに伝えた。そのまま、道を進む。なぜかこちらに出口があると直感していた。
わざわざ振り返り、ソラの表情から答え合わせをすることはしなかった。
その必要は、無い。
その背が、引っ張られた。
「もう、お前が戦う必要はないんだ! わからんか、バカ者!」
涙交じりの声で、ソラがフィドルの背にすがった。
――いっそ、振り返られれば――しかし、フィドルはぎゅ、と唇を締めた。
「……悪いが、降りるつもりはない。もうちょっと村のみんなのことをお願いしたい。何のために魔王の配下から剣を学んだのか。何のために、あんたの腹案に乗ったか。それは、俺自身の思いを通すためなんだと思う」
一歩。踏み出すと、ソラが離れた。
さらに歩を進める。光が広がり――
きっと、現実に戻るんだろう。
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