第四章 永劫回帰

第31話 もう一つの過去

 フィドル。 

 誰かが呼びかける。 自分の名前だと気づく。


 フィドル、フィドル。


 名前を呼んでくれるのは。転生者? 魔神? ソラ? 村のみんな。母。父。

 誰だ? 誰か、誰でもいい……フィドルは手を伸ばした。


「フィドル!」


 は、と目を開けた。心配そうにのぞき込むその顔は、ローサだった。

 右。左と。周囲を確認する。

 小鳥の囀り。風の音。木々のこすれ。

 紅を少しさした、ローサの顔。

 身を起こすと、その背を小さな手が支えてくれた。


「大丈夫? 疲れてるの?」

「……ローサ」


 考えるより先に、抱きしめた。


「きゃあああ!」

 少しの抵抗があったが、お構いなしに、強く抱きしめた。

 確かに伝わる体温。息遣い。――やがて、弛緩した。

 そして、自分の背中に手を回してくれた。


「……一体、どうしたの?」

「とても。とても、恐ろしい夢を見ていた」

「うん……うん」


 小さい子をあやすように、髪を撫でてくれた。


「ローサが、いなくなって。みんな、いなくなって」

「大丈夫だよ。よし、よし」


 ずっと、この時が続けばと思ったが。ゆっくりと体を離した。


「……え? あなただれ?」

「え」

「違う、後ろ……」


 急ぎ振り返ると、ばつ悪そうにミチホシが頭を搔いていた。


「お前!」


 足元の、自分の剣を手にした。


「待った待った! 落ち着け!」

「フィドル……! ほんとに待って、人だよ!」


 剣を構えた手首を、ローサに押さえつけられた。

 鬼相のまま、フィドルは剣を下ろした。

 

 肉体は、元々の人間のものに戻っているが、沁みついた技術は忘れていない。

 牽制のため剣を軽く振るい、ミチホシの足元に刃圏を示す地走りを生じさせた。

 

「……お前のあの剣、ベルの野郎の神殺しの剣だよな。

 アレフは鑑定済み……って言ってたんだけどな。魔女が隠してやがったか。

 まいった、俺のギフトは消えちまったらしい。最後に発動できたのは幸いだ」


 ミチホシは苦々しい顔で自分の胸のあたりをさすった。


「なんのことだ」

「俺のギフト『永劫回帰エターナルリターン』。まあ、死んだら、ある地点、死のきっかけになった地点に戻ってやり直せるって力だ……とはいえ、恩恵ギフトが消えた状態でこうなったのは初めてだ。おおっとと! また殺さないでくれよ、誤解を解きたい」


 臍あたりに剣を上げたフィドルをそう制した。


「誤解だって……?」

「ここに戻ったってことは……魔神フェネクスの襲来前か。そうか……そうだ! いまのお前さんの腕前なら、魔神フェネクスと戦うことができるんじゃないか? 力を貸してくれ」

「なんだと」

「村の悲劇を無かったことにするんだ。話はあと、人命最優先だろ!」


 踵を返すと、ミチホシはある方角を指さした。


「――いいだろう、乗った。

 ローサ。村に帰って、皆に安全なところに避難するよう伝えてくれ。

 この人は転生者のミチホシ・マツダ様だ、名前を出せば信用してくれるはず」

「嬉しいこと言ってくれんねえ。その調子でフィドルっちも俺のこと、信用してくれない?」


 人懐っこい笑顔で、手を頭の後ろで組む。


「それはできない。あんたの、行動で示してもらわないと。ローサ、頼む!」

「わかった!」


 気障かとは思ったが、ローサの腰のあたりを寄せ、髪に唇を当てた。

 彼女も、腕を強く握って決意を示してくれた。

 身を離すと、自分を頼もしいそうな目で見てくれた。


「フィドルも、気を付けてね……また、会えるよね」

「当たり前だ」


 たとえ、ミチホシの甘言だとしても。掴めるものは雲だろうが霧だろうが掴む。


「行くか! フィドルっち!」


 そうして、二人して駆けた。




「一番の高台、そこにいるはずだ」

「何が起きるんだ?」

「フェネクス襲来の報告を、カトレアたんから聞いて、俺とアレフ、ベルはシクス・インディゴに向かった。アレフは転移方陣、ベルは空飛んで。どうして俺も、と疑問を持つべきだった」

「どうしてなんだ」 

「こうなることをあいつ、カトレアたんはわかっていたとしか思えない。俺はあいつに聞いたことがある、お前のギフトはどんなん? ってな。曰く、『ハッピーエンドを目指す』だってよ。そんときゃ意味は分からなかった」


 駆ける、駆ける。

 かつての肉体なら、とっくに悲鳴を上げているはずだが、足は止まらない。


 魔神オセはいった、

『ニンゲンは精神が肉体を凌駕する生き物、それゆえに神の写し身と呼ばれる』と。

 今まさに、フィドルはその境地にいた。


「俺に変えさせるためだったんだと思う。きっと、悪い分岐を――」

「あ、マツダさん」


 丘の頂上、白いスーツ姿の、ベル・ブラフォードがいた。

 フィドルは最警戒の構えを取った。


「フィドルっち、それには及ばねえ。早いな! ベル!」

「あれー。ということはー、アレフさんも着いてます?」


 やや緊張感に欠けたが、ベルは温和に微笑んでいた。


「いや、まださ。

 そう、あの日、アレフと俺より、ベルが先に着いたんだ。そしてヤツが来た」


 空が光る。太陽から、金色の鳥が飛び出してきた。


「魔神、フェネクスが来たんだ!」


 その羽ばたきで、空気さえも燐燐と炎に変わった錯覚さえ覚えた。

 輝く翼、慈愛に満ちた青い瞳。鳴き声の代わりに彼女は詠うように唱えた。


無礼なめし事 おそき事 つつがむ事無く なだめよう」


 風に乗ってその声が一同に届く。


に。儚し人の子よ。我が名をのたまろう。詠炎候フェネクス。足らうざる玉達たましいぐ」

 囂囂ごうと炎、光の強さが増す。

 くちばしの先、羽の先端、それらすべてに、ランプの先のような火種が灯る。


『戦士であれ、相手が魔術師と対峙することもあろう』


 魔神オセの言葉を思い出す。


『されど、億すことはない。

 剣を極めた先には、己の理力を刃と化し、敵を断つ剣技もある』


 足を地に、腰まで根を張るように力を込める。

 背を逸らし、膂力を握った剣に乗せる。

 殺意を以って、剣をふるう。


剣技スキル遠当ソニックエッジて』!」


 フィドルは渾身に振りかぶった。空を裂き、真空の刃がフェネクスを捉えた。

 はじける音とともに、炎の羽が削げた。

 しかし、すぐに炎が揺らぎ再生する。


「村の戦士ですか……やりますね!」


 ベルは感嘆の声を上げた。


「これは負けていられないな。『飛翔ジャンプ』、『氷刃アイシクルエッジ』!」


 ベルは軽やかに空を舞い、瞬時に氷の刃を幾重にも飛ばした。


「戯言。炎であれば氷と? 果無し!」


 天翔の羽ばたき一つで、強力な炎が氷をいともたやすく呑み込んだ。


「『羽ばたき《フライト》』『魔力付与エンチャント斬撃カット』『超魔力付与ハイエンチャント疾風属性エアリアル』『貫通ペネトレイト黒鉄ブラックランス』」


 フィドルの体が舞い、強力な魔力付与が与えられるのを感じた。

 ベルの強化魔法に相違ない。その精度、速さよ。

 強力な魔力のぶつかり合いは霧となりフェネクスの目をくらませている。

 それはこちらも同じ条件だった。しかし、フィドルにはそこにある敵意を読み取る獣の嗅覚があり、差し障りなかった。

 跳躍はフェネクスの懐にまで迫り、振り下ろした剣には、確かな手ごたえがあった。魔神の気配の霧散を感じる。

 地面に着地し煙が晴れるときにはフェネクスの姿は消えていた。


「ぃよっし!」


 ミチホシがガッツポーズをした。


「まあ、順当な結果ですね」


 格好をつけてベルが前髪を払った。


「……やった……のか?」


 着地と同時に、村に目をやる。

 村に炎は上がっていない。


「変わった。変えられたのか!?」

「気ぃ抜くなフィドルっち! 

 こっから本番さ。ベル、魔力探知をしてくれ。魔女が潜んでいるはずだ!!」

「ソラのことか?」


 ミチホシの方に向き直るまでもなく。


「――その必要はないさ」


 パチ、パチ、パチ、と拍手をしながら、ソラが木陰から姿を現した。



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