第三章 デウス・リベリオン攻防
第22話 雌伏の時を過ぎて
そうして、数カ月が過ぎた。
毎日のように命の灯を削り、その度に冥府の一歩前から引きずり戻される。
体の中で、引きちぎれたところのない部位の方が少ない。
死んで、死んで。
叩きつけられて、叩き込んで、打ちつけて、打ち込んで、刻み込んで。
さながら鉄を聖なる剣に鍛えるように。
「ベルの強化の魔力付与があれば楽だったのだがな」
新しい術式を、フィドルの身体に刻み込むたびにソラはそうごちた。
死の淵を覗き続けた瞳に光は無くなっていた。
もっとよく見える水晶の目に代わった。
鉄塊のような大剣をふるうために、人の筋肉は損なわれ、魔族のものに変わった。
それらが拒絶反応を起こさないよう、刺青のように魔法文字が、全身に刻まれた。
ソラの言葉を借りると、サイボーグ化した。
人らしさが残っているとすれば。
胸の奥深く、種火のように燻り続ける怒り、憤り、殺意か。
迎える、何度目かもわからない、豹頭の魔神・オセとの対峙。
もはや体格で見劣りはしない。
かつての村の少年の姿はなく、数多の苦境を刻み込んだ熟達の傭兵、或いは蛮族の狂戦士の姿がそこにはあった。
フィドルは体を沈め、彼の首を落とすことだけに集中する。
辺境戦士の父から学んだ剣技は、青眼に相手を捕らえ、そこから小手、胴と剣尖を変化させていくわけだが、そもそもオセの目線の高さに合わせて向き合っては、こちらの腰が引ける構えになり、威力は半分にも三分の一にも落ちてしまう。
唸りを上げ、喉笛を狙う狼のように体は低く。それが導き出した最適解。
「オーウ、やってますなあ」
遠巻きに眺めるソラの隣に、同じく魔神・バルバトスが腰かけた。
使い魔であるフィドルに、ソラの意識が繋がっている。
まるで自分の隣に彼が来たような感触がある。
この奇妙な感覚にも、もう慣れた。
惑わされることなく、オセの牽制を剣の背で捌いた。
膝を付けば終わる。崩れそうな体制を整える。
「どうぞ、『異世界レストラン』のワールドバーガー。こちらはともかく、あいにくもう貴女に与える魔導書は尽きました。ありまセン」
「そう。意外と少ないものだな」
バーガーを受け取ると、さっそく包み紙を開いてソラは頬張った。
「人間の魔術師、中でも大魔道と呼ばれる者ですら、読破に何十年とかかるはずなンですがね」
「夢の世界で読んでいるからな。実質にはそれなりの時間を使っているさ。術式を習得しさえすれば消えることはない。転生者の特権だな」
「恐ろしいものですな。それは古龍族と同じ記憶の仕組みデス。彼らは忘れるということ、失うということを知らない」
頭の後ろで腕を組むと、バルバトスはそのまま後ろに寝ころんだ。
「フィドルのことは、アレイスタに話したか?」
「ええ、聞かれるままに。教えてくれたら、とっておきのワインを出すと言われたので」
ひらひらと手を振り、からかうような物言いだった。
「それで?」
「おや、怒らない」
「彼女の厄介さはよく知っているさ。抗える類の誘惑ではない」
証明するように、ソラは好物のバーガーをあっという間に平らげた。
「なに、いつもの満点の笑顔で喜ばれていましたよ。ところで彼女がこのことをデウス・リベリオンに伝えては、貴女、お困りになるのでは?」
「想定内さ。その魔界を裏切った態で奴らの懐に入り込む。計画に変わりはない」
「にゃははー、やっとりますにゃー!」
トテトテトテトテ、と何とも言えない足音をさせながら、シトリーもやってきた。
「ニュースにゃ、太陽の町セカンド・サンライズ、陥落しちゃったにぇ。防衛ラインは城塞都市サード・イエローと、相成りましたにゃ」
「おやおや。デウス・リベリオンも弛んできていますかネ」
「魔神が三人も入ってるからにぇ。ハボリム、フェネクス」
「あと、僕」
にこりと笑うと、バルバトスが自分を指さした。
「バルバトス公、あなたとは毎日のように会っていたように思うけど」
「僕の軍勢は分体である4人の王に率いられた軍デス。実質、小国が四つの国から攻められているようなものサ」
身を起こすと、ソラに伺うような目線をやる。
「おやおや? 転生者を滅ぼすというような貴女が、なぜ、顔を曇らせるのでショ」
「ふ、ぬかせ。この世界の人間のことなど、知ったことかよ」
「にゃははー、ソラちゃん、無理しちゃってーかわいーにぇ」
「すきに言うがいいさ」
ソラは面倒くさそうな顔でこれに応じる。
「このまま、魔王軍にいてはどうです? 魔王様も足掻くあなた方を好ましく思ってマス。オセも、彼の成長を楽しんでいる節がある、かと」
二メートルを超える長身から振るわれる、鋸の化け物のような大剣。
剣で正面から受ければ、剣ごとその身を裂かれる。
――相手の中段はこちらの上段の攻撃に匹敵する。
力を逃がしながら、受け流す。しかし、剣だけではない。
大剣を片手で振るい、空いた手は鉄鎧ごと切り裂く鋼鉄の爪。
こちらは空を裂き、掠めていっただけで内臓を持っていかれる。
今日もまた、脇から下が抉られた。
だが、ここで、踏みとどまる。腰を落とし、足を前に。
殺せ、殺せ。奴の頭に、剣をふるえ。
その牙で止められれば、剣など噛み砕かれる。
追いつかないほどの速度で、首を狙う。
しかし、しなやかなオセの体は身を引けばあっというまに刃圏から逃れる。
その後、地面が短くなったと感じるくらいの速度で詰められ、貧弱なこの身は容易く破壊されるだろう。
(だが退かない、食いつけ!!)
内臓を散らしながら、無理やりに、剣を伸ばす。
(届いた!)
オセの冠に刃が触れた。豹頭の獣に、驚愕の表情が浮かぶ。
ぱきり、と冠がはじけた。
そしてしかし、返しの刃で、フィドルの肉体は血をまき散らし、粉々にされた。
地面に落ち、その身はすぐに修復された。
ぜえぜえと呼気が乱れる。そこにオセが立ち、静かに見下ろされた。
「初めて当てたというのに。なぜ、そのまま振りぬかなかった」
「……」
「殺す気で俺に斬りかかったからこそ、初めて届いたのだ。ゆめ、そのイメージを忘れるな。剣など所詮、お前の殺意の代替――伸びた手足なのだ」
オセは端の欠けた冠を拾い、フィドルの頭に乗せた。
「見事だ。よくぞそこまで練り上げた」
「あ……」
ありがとうございます、その言葉を伝える前に、オセは背を向けた。
「オセ様~、おつかれさまにゃー」
オセの元まで飛んでいくと、シトリーは貴婦人の姿になり、ハンカチーフを差し出した。
「失せろ雌猫」
「つれないわね。額、切れていますよ?」
「わかっている」
にやり、とオセは笑った。
「……ふむ。奇しくも同じ日に仕上がったか。世話になったな。今日、経つとしよう」
すっく、とソラは立ち上がった。
「残念、振られてしまいましたか」
バルバトスはお手上げ、のポーズを取った。
「戦場には来ないことだ。次、あいつの前に立てば、敵として。容赦はしない」
飾り気のない言葉に、バルバトスは口笛で答えた。
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