第15話 ファースト・レッドエリア ー日暮れー
セカンド・オレンジでほとんどの商隊は留まり、ファースト・レッドへ向かうのはフィドルとソラだけであった。
「ここからは『夢渡り』で進むとしよう」
「『夢渡り』?」
「お前もすでに体験しただろう、辺境のシクス・インディゴの村から、フィフス・ブルーを飛ばし、一瞬で王都に辿った」
「あ」
思わず頭を押さえた。
そうか、そういえば。村を滅ぼされた、その日の夜には王都にいた。
今思い返せばあり得ないことだ。
「ふふ、覚えてなくて無理はない。初めて体感しては、夢で見た出来事と同じく記憶に留まりにくい。私の行使できるウィッチクラフトワークのひとつだよ。知り合いのいる町なら、そいつの夢の中を通って瞬時に到着できる」
「だったら隊商に紛れなくてもよかったんじゃ……」
「気軽に言ってくれるなよ。周りに多くの人の精神――夢があったら、経路を探すのがものすごい手間なんだ。お前と二人きりの時でなければ使えん」
ソラはその場で商家の娘の変装を解く。つまり、服を脱ぎ始めた。
「わああ! 着替えるならひとこと、言ってくれえ!」
「いちいち騒ぐな」
魔女の皮帽子を正すと、フィドルの額に手を当てた。
「‘銀扉の扇の漏れ光、夢の世界の秘密の扉を前に鍵を手に、微睡の世界に招かれる『オーバーランド・ドリームスペースウォーク』夢渡り’」
ふ、と浮遊感が来たかと思ったら、見知らぬ民家の中にいた。
心の準備ができていなくて、一瞬の戸惑いはあった。
しかしそれを上回る驚きがあった。
そこには、体中に包帯を巻いた少女がいたのである。
独特のすえた匂い、暗がりながら、包帯の隙間から斑点が見えた。
恐らく……性病の、末期だ。
「ま、じょ……さ、ま」
「起こしてしまったか、ユウリ」
ソラは優しく少女の額に触れた。
「きた、な……よごれ、ます」
「痛みが引くポーションだ。体を起こすのも辛いだろう、マシな時に、飲むといい」
空っぽの器の置かれたチェストに、小瓶を置く。
置いたそこから、羽虫が数匹飛んで離れた。
「あ、りが……」
少女は何とか身体を起こした。一度小瓶を掴むも、何度も指を滑らす。
「いくぞ、フィドル」
「待って」
フィドルは小瓶のふたを開け、ユウリという少女の口に運んだ。
こくん、こくん、と、飲んだ。ほとんどは口の端からこぼれていく。
無言で、ユウリは再び横になる。
「ここがファースト。その辺境の、魔王の本拠地から最も離れた村だ」
「ああ……」
目を逸らしてはいけないと思った。そのうち、ユウリの呼吸が止まった。
安らかな寝顔――死に顔だった。
「……毒だったのか?」
治る薬だとは最初から思ってなかったが。
それでもフィドルは、魔女の奇跡、転生者の奇跡に僅かながら期待していた。
「ここには諜報活動で何度か訪れた。彼女と面識ができたのは私にとっては不幸だったかもな。いや、不幸ではないな。誰とも接触することのない身の上で都合がよかった。そう、それだけに過ぎん」
淡々と、表情を浮かべることもなく呟いた。冷酷ではなく、冷徹。
「それでも、ソラは……」
言葉をうまく選べなかった。
看取った、と言ってもよいかもしれない、しかし、救うことはできなかった。
……いや、きっと救ったんだ。そう思わないと、あんまりだ。
せめて、この、たった一度名前を聞いただけの少女に。
フィドルは鎮魂を祈るにとどまった。
ぼろ切れとトタン板を合わせた居住と呼ぶにはあまりにもお粗末なものがずらりと並び、生きているのか死んでいるのかわからない人間が身を寄せていた。
「魔族すら興味を失った村だ。あまり見るな」
時折、獣の様な呻きが聞こえる。これが人間の出す声なのか。
道の端では腐乱死体に、死体のような人間が群がり、肉を削いでいた。
「おお……おおおおおお!」
二人ほどが錆びた蛮刀をフィドルたち振り上げてきた。
ろくに食べてないふらふらの姿。フィドルは蹴りで一人を吹っ飛ばすと、ひいひいと折れた手をフィドルに見せつけてきた。
「あああ……」
助けを求めるそぶり、己の加害を棚に上げ、訴えてくる。
もう一人はソラを見ながら、自分のズボンの中に手を入れた。
ソラが杖で顔を横殴りにしたら、そのまま倒れて動かなくなった。
「私の手を煩わせないで欲しいな」
「……すまん」
「まあ気にするな。噛みついてきた野犬を追い払ったに過ぎん。同情しても、餌をくれてやって餌付けしてる暇はないぞ」
「ここには未来がない。これが負けるということか」
腐った臭気を吐き捨てるように、フィドルは呟いた。
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