14 クッキーと幽霊

 机の上に、漫画用具一式が並べてある。いろいろなペンやインク、トーン、原稿用紙。シャーペンに消しゴム、定規。どれも生前、ヤシロさんが使っていたのと同じ種類のものらしい。

 小鬼がうまく調達してくれたようだ。わたしは安心して長日部君を振り返った。長日部君は、なるほど、という目でそれを見る。

「ヤシロに漫画を描かせるっていうのは、いいアイディアだよ」

「でしょう?」

 放課後、家にやって来た長日部君に、わたしはヤシロさんの夢のことを話していた。そしてわたしが思いついた計画のことも。

 ヤシロさんに漫画を描いてもらい、それを高瀬さんに見せる。

 きっと、ヤシロさんの中には心残りがあるのだ。見せてと言われた漫画を、とうとう見せられずに死んでしまったこと。あの夢は、きっとヤシロさんの無念を表しているに違いない。

 それを解消させてあげさえすれば、ヤシロさんの高瀬さんに対するかたくなな感情も、変わるかもしれない。

 そして、それを交換条件に、高瀬さんの縁結びを手伝わせるのだ。

 ただ、その前に、確認しなければいけないことがあるけれど。

「道具をそろえたのはいいとして、どうやって幽霊に漫画を描かせるんだ?」

 長日部君が言った。その通り、一番の問題はそこだ。普通に考えて、幽霊が漫画を描けるわけがない。

 小鬼によれば、ヤシロさんが触れるのは、あの貯金箱だけ。わたしの持ち物であっても、他のものはいっさい触れないんだそうだ。

 いまだにその理由はわからないみたいだけど、今はひとまず、それについて考える必要はない。

 小鬼と相談した結果、ヤシロさんが漫画を描く方法が、ひとつだけ見つかったんだ。

「眠っている間は死んでるのと似たような状態だって話、さっきしたでしょう」

「ああ」

 長日部君がうなずく。わたしはあらかじめ、昨日の夜小鬼から聞いた夢の話を、そのまま長日部君に伝えておいたのだ。

「それで、霊体が離れている間肉体がどうなってるかと言うと、留守になってるんだって。だから鍵さえあれば、他の霊体がその中に入れるらしいの」

「鍵? 鍵って?」

「縁と、お互いの意志さ」

 小鬼だった。いつ現れたのか、腕を組んでベッドの上にあぐらをかいていた。

「いつの間に」

「ヤシロはちょっと後に来るはずだ。おいらがうまく誘ったからな」

「教えてくれ、小鬼。縁とお互いの意志とはつまり、どういうことなんだ」

 長日部君が、真剣な表情で小鬼に詰め寄った。

「そのままだよ。縁と意志、どちらかでも欠ければ肉体への憑依ひょういはできない。つまりはヤシロとエマじゃないとできないってことさ。これも特例だぞ、許可を取るのにどれだけ苦労したことか! その道具一式も経費じゃ落ちないし! とんだ出費だよ」

 小鬼はぶつくさと文句を言う。

「え、ということはつまり……束原さんが眠っている間に、その体にヤシロが入って漫画を描く……ってこと?」

「そう。わたしの体を貸すの」

「だめだ!」

 長日部君は突然大声を出した。

「それはまずい。どう考えても危険だ」

「危険はない。おいらの管理下できちんと行うからな」

「そうじゃなくて、いくら死んでるとはいえ男子高校生が女子中学生の体に入るなんて……不健全だ。いろんなところを触り放題だし、トイレに行きたくなったらどうする?」

「あのね」

 わたしはあきれて言った。

「そういうこと考える長日部君のほうがどうかと思うけど」

「束原さんは、危機感が足りないよ。もっと自覚すべきだ」

 そのとき、天井からぬっとヤシロさんが顔を出した。さすがに驚いて声が出る。

「ぎゃっ!」

『来たぞ。クッキーはどこだ?』

「え? クッキー?」

「あ、ああ……今用意するって。エマ、悪いがそのクッキー、ヤシロに食べさせてやってくれ。そういう条件で今日は来てもらってるんだ」

 小鬼が言う。いつの間にか、ミニテーブルの上にクッキーの入った皿が置かれていた。小鬼が用意したらしい。

「クッキー? 幽霊がものを食べられるのか?」

 長日部君が尋ねる。

「幽霊だから、食べなくても問題ないんだけどな。エマみたいな存在がいる場合、エマの手を通せば食事が可能なんだ」

「手を通すって……」

「あーんってやつだ」

 小鬼は悪びれもせず、口を開けてみせた。

 ……いやいやいや。

 なんでわたしが、そんなことしなきゃいけないわけ?

「頼むよ、エマ」

 小鬼が懇願するように言うと、長日部君がわめいた。

「だめだ、極めて危険な行為だ。手をかみちぎられるかもしれない」

『おれは狂犬かよ!』

 ヤシロさんはそう言って長日部君をにらんだけれど、もちろん長日部君にはその声は聞こえていない。

『幽霊になってから、味気ない毎日にうんざりしてんだ。クッキーくらいの楽しみには、協力してくれよ』

 協力、ね。

「じゃあ、その前にひとつ聞きたいんだけど」

 わたしはヤシロさんに言った。ヤシロさんは全身を天井から現すと、

『なんだよ急に』

 と言って足から床に着地した。

「ヤシロさんって、高瀬さんのこと好きなの?」

「え?」

 小鬼が目をぱちくりとさせた。ヤシロさんはわたしを見たまま固まっている。

「ね、そうでしょ。好きなんでしょう。だから縁結びを嫌がったんでしょう」

 それは、あの夢を見て気づいたことだった。あの高瀬さんそっくりのヒロインを見たら、誰だってそう考えるだろう。

 もしそうであれば、縁結びは、高瀬さんではなく他の人でする必要がある。

「そうか、そういうことだったのか。それなら納得がいく」

 長日部君がうなずいた。

『ばっ』

 ヤシロさんはそれだけ言うとぴょんと飛び上がって天井の隅に移動し、顔だけ生首のように出して言った。

『ばっかじゃねーの。ありえねえだろ、そんなん』

「あ、そう。じゃあ、縁結び協力してくれるよね?」

『え?』

 ヤシロさんは再びわたしを見て固まった。

「好きじゃないなら問題ないでしょう? ただそれを確認したかったの」

『え? いや……ていうか……だからって縁結びしなきゃいけない理由にはならねえだろ』

「じゅうぶんなるさ。おまいにはもう、他に縁結びできるような人間がいないからな」

 小鬼が言った。

「その通り。どうなの? 高瀬さんの縁結び、やるの? やらないの?」

『いや……でも……』

 ヤシロさんは全身を現すと、窓の前までふわりと移動した。そうして、遠くを見るような目で外を見る。

『高瀬は、おれのことを憎んでる』

「……え?」

 そうつぶやいたわたしを、長日部君が問うような目つきで見た。ヤシロさんは静かに続ける。

『小鬼の言ってた呪いとやらも、きっと高瀬が関わってる。呪うほどにおれを憎んでたあいつに対して、おれが何をできるって言うんだよ。あいつはおれを、否定したんだ。おれの手助けであいつが幸せになったところで、それはあいつにとっては嘘の幸せだ。憎んでた相手が自分の幸せに関わってるなんて知ったら、いい気持ちしないだろ』

 言い終わると、ヤシロさんは振り返った。

 その言葉だけでなく、わたしはヤシロさんの表情にも驚きを感じていた。それは、初めて見る真剣な顔つきだった。

『もちろん、あいつがそれを知ることはない。でも、おれがあいつの人生に割り込むって事実は変わらねえだろ。おれにはそんな資格、ねえんだよ』

 長日部君が、黙ったままわたしを見つめている。ヤシロさんの言葉を伝えなくては、と思うほど、胸が痛み、気ばかり焦って、言葉が出てこなかった。

「おまい、そんなことを……」

 ぽつりと言った小鬼を仰ぎ見て、ヤシロさんが続けた。

『調査結果、まだ出てないのか? でもおれにはわかる。おれを憎んで死なせたのは、高瀬だ』

「違う」

 ようやく言葉が出た。三人がいっせいにわたしに目を向ける。

「高瀬さんじゃない。それは絶対に、違う」

『……エマ。おまえ、高瀬を知ってるのか?』

 目を細めて尋ねるヤシロさんに、わたしはうなずく。

「知ってるよ。会いに行ったから」

『会いに? 高瀬にか?』

「そう。高瀬さんは絶対に、ヤシロさんのことを憎んでなんかいない。まして呪いなんて、絶対にありえない」

 それはほとんど確信に近かった。あの夢を見て、二人の言葉とその裏にある思いを間近で感じたわたしには、高瀬さんがヤシロさんを呪うなんてとても思えなかったのだ。

「高瀬さんは、ヤシロさんにただ学校に来てほしかったんだよ。そのうえでちゃんと漫画を描いて、見せてほしかったんだと思う。憎んでない。憎んでたら、わざわざ家まで通ったりしない」

 ヤシロさんが驚いたようにわたしを見る。

『おまえ……何か聞いたのか』

「なんでもいいでしょ。ねえヤシロさん、悔しくないの? このまま高瀬さんに漫画を見せられずに終わってしまって」

 黙ったままのヤシロさん。そのすぐそばで、長日部君が黙ってわたしの言葉を聞いている。

「ヤシロさんの真価を、高瀬さんに見せてあげなよ。どれだけ漫画に力を注いでいたか、どれだけ人生を賭けようとしていたのか、それを教えてあげなよ。高瀬さんだって、きっとそれを望んでる」

 小鬼が不安げにヤシロさんの顔を盗み見る。ヤシロさんは、ふっと乾いた笑いをもらした。

『そんなこと、いまさら無理に決まってんだろ』

「できる。できるんだよ。今からだって、描けるんだよ。漫画が」

『はぁ? 何言ってんだ。死んでるんだぞ。描けるわけねえだろ』

「描ける。幽霊だって、描けるの。わたしの協力さえあればね」

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