15 小鬼と天使

 わたしは、ヤシロさんに自分の体を貸すことについて説明した。途中で長日部君が「僕は反対だ」と口を挟んだけれど、ヤシロさんは黙って話を聞いていた。

『本当に……本当に、漫画が描けるのか? 死んでるのに?』

 ヤシロさんが小鬼に尋ねた。

「ああ、できるさ。エマに感謝しろよ」

『でも……いまさら描いてどうするんだよ。死んでるのに』

「死んだら何もしちゃいけないの? 現に描ける方法が目の前にあるんだよ。道具だってある。何をためらうことがあるの?」

 わたしは机の上の漫画道具を指さした。それを見たヤシロさんは、目を丸くした。伸ばされた手の細い指が、インク瓶をすり抜ける。

『どうしたんだ、これ。盗んできたのか』

「おまいと一緒にするな。おいらが用意したんだ」

 ヤシロさんはゆっくりと道具を見て、なつかしそうに目を細めた。

 やっぱりこの人は、漫画が好きなんだ。描きたいんだ。

「ねえ、漫画描こう。描いて、完成させて、賞に投稿しようよ」

『へえ?』

 ヤシロさんが間抜けな声を出す。

「わたし、調べたの。漫画家になる方法。持ち込みはできないから、賞に投稿するのがいいと思うの」

『賞って……本気か?』

「うん」

『死んでるのに?』

「死人が投稿しちゃいけないなんてルール、ないでしょう」

 わたしがそう言うと、ヤシロさんは一瞬きょとんとした後に、大声で笑い始めた。今度はわたしがきょとんとする番だった。

『わかった。わかったよ』

 笑い過ぎたのか涙目になったヤシロさんは、いつもの調子で言った。

『そこまで言うなら、やってやろうじゃねえか。賞取ってやるよ。そんで……高瀬に、見せつけてやる。おれが学校行かずにみがいた、技術と努力の結晶をな』

 それを聞いた小鬼がにやりと笑った。わたしは長日部君を見てうなずき、成功したことを知らせた。

「よし、そうとなったら小鬼、見張りを頼む。ヤシロが変なことをしないように」

 長日部君が言うと、小鬼が顔に不満をにじませた。

「ええ? 一晩中ここで見張れってか?」

『なんだよ、こいつおれを何だと思ってるんだ? ちょっと顔がいいからって調子に乗ってんな』

 ヤシロさんの言葉が聞こえない長日部君は、小鬼に見張りの必要性を主張し続けている。

「わかったよ。そのかわり縁結びのほうは頼むぞ? おいヤシロ、おまいも漫画じゃなくてそっちが肝心なんだからな。きちんと縁結びに取り組むこと、それがエマの体を貸す条件だ。わかってるな?」

『いや、まあ、それは、わかってるんだけどな……』

 歯切れの悪いヤシロさんにわたしは言った。

「やっぱり、高瀬さんの縁結びはしたくない?」

『したくないわけじゃねえよ』

「高瀬さんの幸せな姿、見たくないの?」

『もちろん、見たくないわけでもねえ』

「できることなら、生きているうちに自分の手で幸せにしたかった?」

『ああ……って違う! なに言い出すんだおまえ!』

「でもね、今からでもできるんだよ。高瀬さんを幸せにすること」

「そうだぞ、ヤシロ」

 長日部君が、わたしの言葉の後押しをする。

「愛した人のために残せる、ある意味最高のプレゼントだと思うぞ。つらい気持ちはわかるが、ここは束原さんのためにも、大人になってくれないだろうか」

『おめーに言われたくねえよ! って、愛してねえしべつに!』

 ヤシロさんは長日部君を拳で殴った。もちろん、すかっと突き抜ける。

『やること自体は問題ねーんだ。だが、あいつを誰かと結ぶのは、かなり難しいと思うぞ』

「どうして?」

『わからないか? 人を寄せ付けないんだよ、あいつは。自分から誰かを好きになるなんて、考えられねえ』

 確かに、赤い糸どころか、ほとんどの糸が白か透明だったわけだしね。

 わたしは高瀬さんの糸のことをヤシロさんに伝え、その後でヤシロさんの言葉を長日部君に伝えた。

「小鬼。縁結びと同じくらいたくさんの徳を得られる行為は、他にないのか?」

 長日部君に問われた小鬼は、再びあの巻物を取り出した。


 人の命を救う、八百徳。

 無縁の死亡者をとむらう、七百徳。

 身寄りのない子供を引き取って育てる、六百徳。


 ……無理なものばっかりだ。

 その中でも、できそうなものと言ったら……。

「あ、これは? 行いの良くない者をさとして正しい道に導く、四百徳」

「不良の更生か? だめだだめだ、ヤシロ自体が不良みたいなもんじゃないか」

『言ったな小鬼。おれは不良じゃねえ、一緒にするな』

 ヤシロさんの言葉の途中で、長日部君が首を振る。

「だめだよ。束原さんを不良と接触させるわけにはいかない。それにヤシロのような不良幽霊が、真面目に取り組めることだとも思えない」

『てめえ……』

「現実的に考えて、高瀬との縁結びが一番実現可能なんじゃないか? 高瀬だって女の子だ。男に興味がまったくないってことはないだろう」

 小鬼の言葉に、ヤシロさんは大きく息をついた。

『わかった。やる、やるよ。これ以上ないってくらい最高の縁結びを、高瀬にお見舞いしてやりゃいいんだろ?』

「本当に? いいのね?」

 念を押すわたし。ヤシロさんは「ああ」と答え、腕を伸ばしてミニテーブルを指した。

『だからいい加減、クッキー食わせてくれ。我慢の限界だ』


  *


 その日の夜、わたしは小鬼の子守歌を聞きながら眠りについた。後で聞いたことだけれど、その子守歌にはすぐに眠りに落ちる効果があるらしかった。

 わたしは夢を見た。今度はヤシロさんの記憶ではなく、長日部君の出てくる夢だった。内容は思い出せないけれど、とにかく甘い心地のする楽しい夢だった。それは目覚めた後、長日部君の顔を思い浮かべてしばらくぼうっとしてしまうほど、濃く長いものだった。

「おはよう、エマ」

 小鬼が天井からふわふわと現れる。

「本当に一晩中見張っててくれたの?」

「ああ、長日部にあそこまで頼まれたからな。さすがのおいらも徹夜仕事は初めてだよ」

「それはお疲れ様。ヤシロさんは?」

「どこかで寝てくるって外に出てったよ。ところで、出来ばえはどうだ? おいらは漫画のことは詳しくなくって、よくわからないんだ」

 小鬼はそう言って机の上を指さした。そこには鉛筆で線の描かれた原稿がきっちり二十枚置かれていた。

「すごい……本当に、描いたんだ」

 原稿を手に取りながら、腕が少しだるいことに気づいた。そうだ、わたしのこの腕が、この漫画を描いたのだ。疲れているに決まっている。

「ネームだね。最後まで描けてるみたい。ずいぶんがんばったんだ」

「ネーム?」

「鉛筆で描く、下書きみたいなもの」

 一日でネームを終わらせるとは、すごい速さだ。よっぽど描きたい思いがあったんだろうか。

「へえ、ずいぶん雑なんだな。これが主人公か?」

 小鬼は一ページ目の一番大きいコマに描かれている丸顔の生き物を指さした。

「そうみたいね。天使だって。なんだか小鬼に似てる」

「ええ、そうか? おいらのほうが男前だと思うが……これだけ雑だと、天使ってより幽霊みたいだな」

 わたしは思わず笑ってしまう。ヤシロさんの雑でぼんやりとした線の集合体は、確かに幽霊に見える。

 内容は、縁結びの使命を負った天使が男子高校生のもとに下り立ち、一人の女子生徒とどうにか恋仲にさせようと奮闘するストーリーだった。特に目新しさはないものの、この天使のキャラクターがとても生き生きとしていて好感が持てた。楽しんで描いた様子が、勢いのある線を通して伝わってくる。

 わたしが何よりうれしかったのは、この女子生徒が夢で見たのと同じように、高瀬さんにそっくりだったことだ。

「確かに、高瀬にそっくりだな」

 小鬼が言う。

「するとこの男子高校生は、ヤシロか? ずいぶん男前になってるが」

「そうかもね。でも漫画の登場人物なんて、大体こんなふうに美化されてるものでしょ」

「ふうん。それにしても、おいらが天使ねえ」

 ネームを眺める小鬼の横顔を見ながら、わたしはふと思って尋ねた。

「そういえばあなた小鬼って言ってるけど、本当に鬼なの?」

 小鬼はわたしを見ると、少し迷ったような表情をした。そうして、ゆっくりと首を振る。

「いや、もとは人間だ。事情があって生まれることのできなかった赤ん坊の霊体が変化したもの、と思ってくれればいい」

(え……)

 わたしは声を失った。

 生まれることのできなかった、赤ん坊……。

 まさか、小鬼にそんな秘密があったなんて。

 小鬼は続ける。

「そういう霊体は、あの世とこの世の境目で働くことで修業して、転生の準備をするのさ」

「修行? じゃあ、小鬼も今、修業中なの?」

「そうさ。修業期間は、自分の気が済むまで。川を渡りたいと思うまで、だ。ちなみに修業は義務じゃない。すぐに転生をすることもできる。が、大半は修業を選ぶね」

「どうして?」

「どうしてだろうね。生きられなかった人生への未練、みたいなもんかもしれないね。転生しちまったら、もうおいらはおいらでなくなるからな」

 小鬼はそうして肩をすくめてみせた。

「あなたみたいな存在は、たくさんいるの?」

「ああ。入れ替わりはあるけどね」

「……いつまで続けるつもり?」

「わからない。忙しいことは忙しいが、けっこう楽しいんだ。まだ当分は、川で働くかな」

 三途の川、か。

 そのむこう側は、まったくの未知の世界だ。

 川を渡ったら、どんな世界が待っているんだろう。

「そりゃ機密事項だ。言えない」

 心を読んだ小鬼が言う。

「……怖い、場所なの?」

 小鬼は笑った。

「だから、何も言えないって。だけど、そうだな。いろいろ想像するといい。自分の好きなように」

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