13 うわさの二人
ぱちり、と目が覚めた。
やわらかな朝日が差し込む部屋の中、見慣れた天井が無言でわたしを見下ろしている。
――すごく、リアルな夢だった。
まるでわたし自身がヤシロさんになって、実際に体験しているようかのようだった。
やっぱり、あれは……
「なるほどな」
「うわ!」
いきなりの声に、驚いて飛び起きる。見ると、机の上に小鬼がちょこんと座っていた。
「な、なんでいるの!」
「ちょっとな。なあエマ、今見た夢のこと、詳しく教えてくれよ」
「え……夢?」
「そう。見たんだろ、変な夢」
「そうだけど……なんで知ってるの?」
「いいから話すんだ」
言われるがまま、わたしは小鬼に夢の内容を話した。それを聞きながら、小鬼は何度もうなずいた。
「なるほどな。エマ、それはヤシロの生前の記憶だ。昨日おいらが確認したものにも同じ内容があったから、間違いない」
やっぱり……!
「でも、どうして夢にヤシロさんの記憶が?」
「たぶん、ヤシロとの間にできた『縁』の影響のひとつだな」
「縁? じゃあこの夢って、ヤシロさんが成仏しない限り、ずっと続くの?」
「その可能性はあるかもな」
ええ、そんな……。
いや、べつにいいんだけど、かといって、積極的に見たいわけでもない。それに……
「ヤシロさん、嫌がるんじゃない? 記憶を他人に見られるなんて、いい気分じゃないでしょ」
「エマは優しいんだな。おいらならそんなことは気にしないが」
「プライバシーの侵害ってやつよ」
「なるほど。だがおいらの推測だとたぶん、その夢はヤシロが見させてるもんだ。だから、罪悪感を感じる必要はないと思うぞ」
……え。
ヤシロさんが、見させてる?
「ああ。ヤシロの中にある強い思い、それがエマの夢に影響を及ぼしたんだよ。夢ってのは、言ってみれば異世界テレビみたいなもんなんだ。チャンネルは無数にある。あの世はもちろん、前世とか並行世界みたいに時空を超えたものまでいろいろさ。そこに死人の記憶があっても、何らおかしいことはない」
「へえ……。詳しいんだね」
「おいらは夢の管理人でもあるからな」
小鬼は胸を張って言う。
「夢を見ている間は、ヤシロみたいに死んでるのとおんなじような状態になるんだ。エマの意識、つまり霊体が体から抜け出て、この世ではないところをさまよってるようなもんなんだよ」
「この世では、ないところ?」
小鬼の言葉を、思わず繰り返す。
「それってつまり、夢を見てるときは死んでるのと同じってこと?」
「おんなじような状態、と言ったろ。生きている人間の肉体と霊体はきちんとつながっている。死人の場合は、そのつながりが切れてるってわけだ」
「それじゃあたとえば、夢を見てるとき、死んじゃった人と会えたりする? ほら、よく言うじゃない、夢枕に立つとか」
早口で言ったわたしに、小鬼はけげんそうな顔をした。
「可能性としてはゼロじゃあない。けど、会えるとするなら、霊体の状態でいる死人だけだ。三途の川を渡って成仏した後は、直接コミュニケーションを取ることはできない」
「直接? ってことは、間接的になら可能ってこと?」
「風や蝶を、死者の魂にたとえたりするだろう。そういう感じだよ。言葉を介して会話をすることはムリでも、死者の『思い』はこの世に影響を及ぼせる。まあ、ほとんどの人間が気づかないんだがな」
そっか、と答えた後で、小さな笑いがもれた。こんなこと聞いて、わたし、どうするつもりだったんだろう。
しばしの沈黙の後、小鬼が机の上からふわりと浮かび上がった。
「実は今朝ここに来たのは、エマの夢にノイズが生じたからなんだ」
「ノイズ?」
「通常、夢を見るときは、無意識にチャンネル選びをしてるんだ。自分で見る夢を選んでるってわけさ。でもエマの昨日の夢には、他からの干渉があった。普通ではありえないことだが、チャンネルが外から変えられたような状態になってたんだよ」
「それが、ヤシロさんのしわざってこと?」
「ああ。奴もたぶん、無意識だろうがな」
なるほど。ヤシロさんが無意識にわたしに伝えた思い……。
わたしが心の中をのぞきたい、なんて思ったから、ヤシロさんがそれに応えてくれたってことなんだろうか。
(それにしても……)
高瀬さんそっくりのヒロイン。縁結びを拒絶するヤシロさん。
これってやっぱり……そういうことなんだろうか。
もしそうなら、高瀬さんの縁結びをすることは考え直さなければならない。
でも、他に徳を貯めるいい方法があるんだろうか。
(うぅーん……ヤシロさん……漫画……高瀬さん……夢……)
ぐるぐると思考をめぐらせていたそのとき、ふとわたしの中に、ある考えが浮かんだ。
わたしは顔を上げ、その場でくるくると空中回転している小鬼を見た。
「ねえ、今日はヤシロさん捕まえられそう?」
「ああ、何としても捕まえて連れてくる。放課後、ここでいいな? 長日部も来るんだろ?」
「うん、連れてくる。で、ちょっと頼みがあるんだけど」
わたしがそう言うと、小鬼はぴくりと眉を上げた。
「何だ?」
「ちょっと、調達してほしいものがあるんだ」
*
「ねえ、エマ」
教室に入るなり、千里が声をかけてきた。
「ちょっと聞いたんだけどさ」
「何?」
「昨日、二組の長日部と自転車乗ってたって、ほんと?」
「へっ?」
声が裏返った。思わず辺りを見回してしまう。幸い、誰もこちらには注目していなかった。
「そ、それ、誰に聞いたの」
「二組の子。今朝会って聞いたんだけど、ほんとなの?」
(……み、見られてたのかっ……!)
千里の顔は、興味に満ちていながらも、どこか不安そうだった。わたしはあわてて首を振る。
「何それ、知らない知らない全然知らない。人違いじゃない?」
そうしてあははと笑い飛ばす。
「そうなの? ならいいんだけど。エマが変なことに巻き込まれてるんじゃないかと思って、心配だったんだ」
「あはは、ないない。オカルトとか興味ないし」
そのとき、ぽんぽんと肩を叩かれた。振り返ると、隣の席の男子が立っている。
「束原、呼んでるぞ」
そうして親指で示した先に、教室の入り口に立つ長日部君が見えた。わたしは笑顔が固まるのを感じた。長日部君はいつもの涼しい表情で、こちらに向かって手を振っている。
「エマ? あれって、長日部……」
千里の言葉を聞かないうちに、わたしは立ち上がった。
「なんか知らないけど、あっちも噂立てられたのかもね? たぶんその確認! きっとそう!」
そんなことを苦しまぎれに言いながら、わたしは長日部君のもとへ向かった。クラスメイトの、千里の視線を背中に痛く感じる。
「束原さん、おはよう」
「おはようじゃない。こっち来て」
小さくそう言って、わたしは長日部君の横をすり抜けて階段を下りた。柱の陰に隠れて責めるように言う。
「何の用? 目立つから、学校では声かけないでくれないかな。噂になってるの」
「噂? 何の?」
長日部君はきょとんとして言う。この男はまったく、鈍感なのか何なのか、クラスメイトたちの視線もまったく気にならないらしい。
「昨日わたしと自転車に乗ってたって噂。聞いてないの?」
「知らないな」
長日部君は表情を変えずに言う。
「わたし、人違いだって言っちゃったから、何か聞かれたら長日部君も否定しといてよ」
「どうして?」
「どうしてって……変なふうに思われていろいろ言われるの、いやじゃない」
「ああ、なるほど」
ようやく理解したのか、長日部君はうなずいた。
「わかった。今後、気をつけることにするよ」
わたしはなんだか、拍子抜けした。本当にわかってるんだろうか。たぶん間違いないことは、わたしのことを女子としては一ミリも意識してない、ってことだけだ。
「実は昨日、高瀬さんから電話がかかってきたんだ」
「え、ほんと?」
思わず声が大きくなる。昨日の夢の映像が、頭をよぎった。
「高瀬さん、なんだって?」
「ヤシロが亡くなったのは本当かって。詳しく知りたいってね。それは束原さんがよく知ってるからって言って、明日三人で会う約束したんだけど、まずかったかな」
「ううん。実はわたしも、高瀬さんと話したいと思ってたの。ちょうどよかった」
「話したいことって?」
「昨日のこと、ちゃんと謝りたかったのと……それから、ヤシロさんのお母さんのこと」
「お母さん?」
わたしは長日部君に、昨日ヤシロさんのお母さんと話したことを伝えた。
「そうか、そんなことが……。お母さんが会いたがるってことは、高瀬さんはヤシロにとって、相当特別な存在だったのかもしれないね」
「うん。そう思う」
そう、ヤシロが高瀬さんを憎んでいるはずがない。そのあたりを、今日はっきりさせなければいけない。
「約束は、明日の何時なの?」
「四時半に、昨日の喫茶店で待ってるって」
「わかった。そうだ、今日、小鬼がヤシロさんを捕まえて連れてきてくれることになってるの。うちに集合なんだけど、来れる?」
「もちろん。それじゃ、今日も明日も現地集合ってことにしよう。僕と一緒にいると、またいやな思いするだろうし」
「え……」
長日部君の言葉に、胸がずきんと鳴った。
確かにさっき、「いや」だとは言ったけど……そういう意味じゃ、ない。
「じゃあ、また後で」
長日部君はそう言うと、くるりと背を向けて階段に向かおうとした。
「……ちょっと!」
そう言うと同時に、わたしは長日部君の腕をつかんでいた。
「長日部君がいやってわけじゃないよ、べつに」
言ってから、驚いた。はっとして手を離す。
なんでこんなこと、わざわざ伝えているんだろう。恥ずかしさに、顔が熱くなるのを感じる。
長日部君は、きょとんとした顔でわたしを見ていた。
「あの……ただ、いろいろと噂されるのがいやなだけであって、べつに一緒にいるのがいやとか、そういうわけじゃないから」
わたしの言葉を聞き終わると、長日部君は、ふっと笑った。
――あ、まただ。この、きれいな笑顔。
「わかってるよ。それは、僕も同じだ」
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