12 のぞき夢
「あの子、友達少なかったんだけど、昨日のお通夜には何人か来てくれたの」
ヤシロさんのお母さんはそう言いながら、湯のみに温かいお茶を注ぎ足してくれた。
「みんな高校のクラスメイトでね。中学校のときのお友達は連絡先がわからなくて、誰にも伝えていないの」
そうか。つまり高瀬さんも、ヤシロさんのことは、わたしに聞くまで知らなかったってことだ。
やっぱり、悪いことをした。それに、ヤシロさんとのことをろくに聞きもしないで、思い込みでひどい言葉を言ってしまったこと、謝らなきゃ。
もう一度、高瀬さんときちんと話をしよう。
「ただね」
お母さんが、思い出すような表情になる。
「学校に行かなくなってから、家までプリントを届けに来てくれていた女の子がいたの。その子にはお礼も言いたかったし、知らせたかったんだけど」
わたしは湯のみに伸ばそうとした手を止めた。
「それって、もしかして……高瀬遥さんですか?」
わたしの言葉に、お母さんは目を丸くした。
「そう、高瀬さん! どうして知ってるの?」
「あ、ええと……その、中学の先輩なんです。このアパートに来てたのを、何度か見ました。それにさっき、高瀬さんの通ってる高校に行って、会ってきたばかりなんです」
「高校に?」
「あ、はい。えっと、高瀬さんの高校……黎開学園高校は、わたしの、志望校でして」
それを聞いたお母さんは、驚いた表情のままうなずいた。
「志望校」だなんて、お母さんにも嘘をついてしまった。でも、誰かに迷惑をかける嘘じゃないし、これくらいは許される、かな。
「それじゃあ……高瀬さんと連絡を取れるのね?」
「ええと、わたしは今日初めて会ったんですけど、一緒に会いに行った友達が高瀬さんの部活の後輩なので、もしかしたら電話番号とか知ってるかもしれません。でも……」
わたしはそこで言葉を止めた。
「実は、ヤシロさんが亡くなったってこと、もう伝えてしまったんです。その……話の流れで」
ごめんなさい、と最後に付け加えた。伝えたというか、捨て台詞のように吐き出して、反応も見ないまま外に飛び出してしまったんだけど。
「そうなの。よかった」
お母さんは、ほっとしたように微笑んだ。
「高瀬さんのこと、ずっと心にひっかかっていたの。エマちゃん、もしよかったら伝言をお願いできるかしら。都合のいいときに、ユウに会いに来てくれるとうれしいって」
「それは、もちろん! 必ず伝えます」
お母さんはにっこりと笑った。そうして立ち上がると、
「ちょっと見てほしいものがあるの」
と言って隣の部屋のふすまを開けた。
隙間からのぞくと、ベージュのジャケットとチェック柄のズボンが壁にかかっているのが見えた。高校の制服……? そうか、ヤシロさんの部屋だ。
お母さんはすぐに戻ってくると、かなりの量の紙の束をテーブルの上に置いた。
「描きかけの漫画。どれも未完成だった。生きているときは絶対に見せてくれなかったから、わたしが読んだって知ったらあの子、怒るかもしれないわね」
そう言って、束の中の一枚をわたしに手渡してくれた。
それは初めて見る、ヤシロさんの漫画だった。
「でも、誰の目にも触れないままこれが埋もれてしまうのは、とても悲しいと思ったの。だから、どうしても誰かに見て欲しくて」
わたしは、テーブルの上に置かれた漫画を一枚ずつ手に取っていった。
ペンで描かれているもの、鉛筆の下書きのままのもの、ベタ塗りやトーンまで終えているもの、いろいろな状態のものがあった。
荒削りで、雑で、絵も大味だ。でも、そこからは確かに生きていたヤシロさんの熱が、息吹が感じられた。
ヤシロさんは、確かに生きていた。
ついこの前まで、わたしのすぐ近くで。わたしの知らない間に、こんなにもがんばって、夢と向き合いながら生きていた。
わたしはヤシロさんの絵をじっと見つめた。
やがてその絵がじんわりとにじんだかと思うと、小さな涙が頬を伝った。
*
家に帰ったわたしは一人、窓から夜空を見上げていた。
結局ヤシロさんはあれ以降、姿を現さなかった。今頃、どこかでふてくされているんだろうか。
ヤシロさんのお母さんの言葉を思い出す。生前は、よく笑っていたというヤシロさん。わかる気がする。口と態度は悪いけれども、ヤシロさんは悪い人ではない。子供っぽい一面もあるせいか、どこか憎めないのだ。
高瀬さんも、そうだったんじゃないだろうか。
人形のようだった高瀬さんの表情が、大きく動いた瞬間を思い出す。ヤシロさんが亡くなったことを伝えたときだ。目を大きく見開き、くちびるを震わせたあの表情。
ヤシロさんはどうなんだろう。長日部君の言ったように高瀬さんを憎んでいたとは、今はもう思えなくなっていた。ヤシロさんのお母さんの話を聞いて、ヤシロさんの漫画を見せてもらったせいかもしれない。
漫画を全部見ることはできなかったけれど、あそこにあったのは、あふれ出るような「喜び」だった。誰かを憎みながら書いたなんて、とても思えなかった。
ヤシロさんに、高瀬さん。
二人は、何を思い、何を考えていたんだろう。
ちょこっとだけでいい。ちょこっとだけでいいから、二人の心の中を、そっとのぞくことができたら……。
(まあ、そんなの無理な話か……)
わたしはヤシロさんが寝そべっていたベッドに倒れ込んだ。といってもヤシロさんは浮いていたから、直接布団に触れていたわけじゃない。もしそうだったら、早い段階で怒ってどかしていた。
そういえば、貯金箱にだけ触れたって話。調査中って言っていたけど、あれは一体どうなっているんだろう。
もしかしたら、お父さんのこと、関係あったりするのかな。
いや、それはないか。死んじゃったのは、もう何年も前のことなんだから。
ふう、と息をついて壁側に体を向ける。
(縁結び……うまくいくのかな)
いくら高瀬さんと誰かの縁を結ぼうとしたところで、ヤシロさんにやる気がない以上、どうにもならない。
方法を考え直した方がいいんだろうか。でも、二百徳貯めるとなると、難しい。時間だって、そんなにたくさんあるわけじゃないのに。
(また明日、ちゃんとみんなで話し合わなきゃ……)
そのとき、急にまぶたが重くなった。疲れと眠気にいっぺんに襲われたように、体がだるくなる。
わたしは目を閉じ、そのまま眠ってしまった。
――目の前が、白いノイズのようなもので覆われている。次第にそのノイズは鮮明な映像になっていった。ペンを動かす右手と、原稿。
漫画を描いているようだ。不思議な夢だ、と思った。どうしてか、これが夢だとわかっていた。眠りが浅いんだろうか。
そのとき、ピンポーン、と、聞き慣れたチャイム音が鳴った。
右手の主は、立ち上がってだるそうに玄関に向かった。その途中にあるダイニングテーブルの上に、せんべいの大袋が乗っかっている。
この部屋は、どこかで見たことがある。いや、ここは、さっき見たばかりの場所だ。これは……
「またおまえかよ」
どきっとした。それは、ヤシロさんの声だった。
ドアののぞき窓のむこうに見えているのは……わたしがアパートで何度か見かけていた、中学生時代の高瀬さんだ。
「またって何。心配して来てあげてるのに。開けてよ」
「やだね」
……やっぱり、ここはヤシロさんの部屋だ。
そしてこれは、単なる夢じゃない。
ヤシロさんの、生きていたときの記憶だ。
でも、どうして。
「いい加減現実を見なさいよ。高校にも行かないつもり? どうして自分で人生つぶすような真似をするのよ」
「うるさい。何もわからないくせに、外からごちゃごちゃ言うな」
「漫画、進んでるの」
ヤシロさんは一瞬黙り、原稿のある部屋のほうを振り返った。
「関係ないだろ」
「進んでないんでしょ。家にこもってる人間に、面白い漫画が描けるわけないもの」
「見てから言えよ」
「じゃあ見せてよ」
そこでヤシロさんは、ぽりぽりと頭をかいた。ドア越しの会話は続く。
「まだ、できてない」
「ほらご覧なさい。外に出なかったら、視野が狭くなるだけ。いろいろな経験を積んでこそ、面白い発想が出てくるんじゃないの。漫画なんて、何歳になっても描けるでしょう。今はきちんと学校に行きなさいよ。わたしはね、あなたのためを思って言ってるの」
「母親みたいなこと言うなよ」
「冗談じゃない。学級委員として、クラスメイトとして言ってるの。このままじゃ、クラスの中に居場所なくなるからね」
「もうねえよ」
「あるよ、まだ」
「ねえって」
「わたしが作ってあげるから」
ヤシロさんは、また黙った。額と拳をドアに当て、浅く呼吸をしている。
「……いいからもう、帰ってくれ。迷惑だ」
そう言うと、外から聞こえる高瀬さんの声を無視して机に向かった。机の上には、描きかけの原稿。
そこに描かれたヒロインは、髪型から顔から、すべてが高瀬さんにそっくりだった。
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