10 美少女と嘘
「そうですけど……あなたは?」
長日部君が言った。男子生徒は、毛先がツンツンと立った茶髪の頭を揺らすようにして近づいてくる。
「僕はイズミ。高瀬さんのクラスメイトで、委員会も一緒なんだ。会いたいなら、連れてきてあげようか?」
クラスメイトか。ということは、高瀬さんと同じく一年生。
願ってもない話だった。高校の中に入らずに済むのなら、それに越したことはない。
「お願いできますか? 僕、長日部流といいます。高瀬さんの中学の後輩です。話したいことがあると伝えてもらえますか」
「あ、やっぱり、見学じゃないんだろ」
どきりとする。男子生徒はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「いいよ、何か事情があるんだろ。ちょっとここで待っててくれる? ついでにあそこでおごってやるよ」
そうして校門の目の前にある喫茶店を指さした。ツタのもようが彫られた木の扉が、レトロな雰囲気をかもし出している。
返事をする間もなく、イズミさんは校門をくぐり、外階段へと走って行ってしまった。
「ねえ……このままだと、あのイズミって人も来そうな雰囲気だけど。どうするの?」
「べつにいいじゃないか、かえって好都合だよ」
長日部君はさらりと言った。
「どうして?」
「目的は糸を見ることだ。あのイズミという男にははっきりとした赤い糸があった。その相手が高瀬さんである可能性が高いとは思わない?」
なるほど。確かに、見ず知らずの中学生にこれだけ親切にするメリットは、彼にはない。わたしたちを口実に、高瀬さんと喫茶店で過ごすことが目的なのかもしれない。
「三メートルくらい近づけば、両者の糸はつながって見えるようになる。あの男が高瀬さんと一緒に来れば、赤い糸の先が高瀬さんなのかどうか、はっきりわかるようになる。遠く離れていると、糸は途中で見えなくなってしまうんだ」
そういうものなのか。
……ん。
ということはつまり、わたしの長日部君とつながる糸は、これだけ近づいている今、長日部君にはっきりと見えている……ってこと?
わたしは思わず後ずさる。
「あの……」
「ん?」
「わたしの糸、なるべく見ないでほしいんだけど」
校舎を見ていた長日部君は、少し驚いたようにわたしの顔を見た。
「見るなと言われても……どうしても目に入るよ」
「だからそこをなんとかして、目に入らないようにしてほしいの」
「それは難しい注文だな」
「難しくても、お願い。なんだか心をのぞかれてるみたいで、あんまりいい気分がしないから」
それは本心だった。
だってつまり、こういうことじゃないか。もし、もしわたしが長日部君のことをちょっとでも好きになったなら、糸の色が赤くなってしまう。
そしてこうして一緒にいる限り、それはすぐにバレてしまうのだ。
「そうか。確かに、そうだね」
長日部君は静かに言って、何かを考えるようにうつむいた。
「この力のことを話したの、君が初めてだから。糸を見られる人の気持ちなんて、考えたこともなかったよ。確かに、無作法だ。気をつけるよ」
そうして顔を上げ、やわらかな笑みを浮かべた。
わたしはその上品な笑顔に、少しの間見入ってしまった。
さっきの女子生徒が長日部君を見て微笑んだ理由がわかった気がする。この人の笑顔は、どこまでも純粋でごまかしがない。まっすぐな心がそのまま映し出されているように感じられて、見ていると気持ちがいいし、なんだか安心してしまうのだ。
(変人なんて言って、悪かったな……)
あくまでも、心の中で言った言葉ではあったのだけど。
わたしは長日部君の隣で、こっそりと反省をした。
*
しばらくして、イズミさんは高瀬さんを引き連れてきた。話はしてあったようで、そのまま流れるように喫茶店へと入る。
四人掛けのボックス席。長日部君の隣に座ったわたしは、向かいに腰かけた高瀬さんの顔をじっと見つめた。
印象が、まるで違った。長かった髪は肩の上で切りそろえられ、メガネもコンタクトにしたらしく、ぱっちりとした瞳が長いまつ毛にふちどられている様がよくわかった。「なかなかの」美少女どころじゃない、隣のイズミさんが浮かれるのも納得できる、完璧な美少女ぶりだった。
ただ、表情は相変わらず少なかった。にこりともせずに長日部君を見ると、どうしたの、と落ち着いた声で言った。
「突然すみません。この子、束原さんというんですが、黎開学園を目指してるんです。校風などをどうしても知っておきたいということで、生徒会の高瀬さんにお話しいただけたらなと思いまして」
わたしは思わず口を開けて隣の長日部君を見た。さっきは「僕たち」だったのに、今度は志望しているのはわたしだけって設定なの? しかも「どうしても」って! めちゃくちゃずうずうしいやつじゃん、わたし!
「ふうん。そんなにここに来たいの?」
高瀬さんは表情を変えずにわたしを見て、一口水を飲んだ。
「わかるよ、おれもすごいあこがれてたから。小学校のときから目指してたしな」
聞いてもいないのにイズミさんがしゃべり出す。高瀬さんはそんなイズミさんにかまわず言った。
「ここ、けっこう大変だよ。行事も部活も盛んだし、授業は予習必須。寝る時間を削らないといけないぐらい忙しい」
「そりゃ高瀬さんだからだろ。何たって高瀬さん、生徒会だけじゃなくて各行事の実行委員とか総務、新聞委員にも所属してるから。そりゃ有名なんだよ」
「でもまあ、いろいろな経験ができるっていうのはあるかもね」
高瀬さんはさっきから声のトーンをまったく変えない。血が通っているのか不思議になるほど、表情も動きも最小限の、なんだか人形のような人だった。だからその高瀬さんに、
「どうしてここを目指しているの」
と聞かれたとき、わたしは身が縮こまるのを感じ、しどろもどろになりながら言った。
「えーっと、ですね。この高校に入れば、将来の選択肢がその、いろいろと増えるのではと思いまして……」
「将来ね。なにか夢でもあるの?」
言われた途端、胸がうずいた。「夢」という言葉が、脳裏にぼんやりとした記憶を浮かび上がらせる。
わたしはそれを振り払うように、すぐさま首を振った。
「いえ、まだ、はっきりとは……」
「束原さんは漫画を描くんですよ」
「は?」
その瞬間、テーブルの下の長日部君の足が、ぽん、とわたしの足に当たった。話を合わせろ、という意味らしい。
しかたない。わたしは覚悟を決めて息を吸う。
「そうなんですよ。漫画家を目指してまして」
「へえ、すごい! おれにも読ませてよ」
イズミさんが本当に感心したように言った。
「いや、まだ見せられるようなものではないんです」
そう言ってわたしはあははと笑ってみせた。うう、長日部君め。あとで文句を言ってやる。
「漫画家、ね。それならうちの学校にこだわること、ないんじゃない?」
高瀬さんは、小さく息をついた。
「漫画を描くなら、もっと頑張らずにすむ高校のほうがいいと思う」
そのとき、注文した紅茶が運ばれてきて、高瀬さんの前に置かれた。高瀬さんはティーサーバーのフタを指でなぞりながら、何かを考えるような表情になった。
「もっとも、ちゃんと学業と両立できるようにはすべきね。学校に行かずに漫画だけにのめりこむようなことにならないよう、気をつけたほうがいい。たまにそういう、浅はかな考えの人がいるみたいだから」
その瞬間、わたしははっとした。
学校に行かずに、漫画だけにのめりこむ。
それは間違いなく、ヤシロさんのことだった。
「……あさ、はか?」
思わず声が出た。
「漫画を描くことは、浅はかなことなんですか?」
高瀬さんが、ぴくりと眉を上げてわたしを見る。
「そう言ったつもりはないけど。わたしはただ、勉強は大事だって」
「わたしは、『優等生』と言われています」
言葉をさえぎるように言ったわたしに、高瀬さんは固まった。わたしは続ける。
「でもわたしは、優等生になりたくてなったわけじゃありません。人からそう呼ばれることに、抵抗を感じています。それは、わたしの本当の姿ではないからです」
止まらない言葉に、ひざの上に置いた拳がぶるりと震えた。
「高瀬さんは、違うんですか。自分の一部分だけしか見ていない人に優等生だと決めつけられて、いらだったりしないんですか」
高瀬さんは、何かを確かめるようにじっとわたしを見つめた。
「あなたは、何が言いたいの?」
「学校に行く時間を惜しんで漫画にのめりこんだ人の人生を、浅はかだなんて言葉で片づけないでください。彼は――懸命に、生きていたんです」
――この先も未来が続いていくことを、少しも疑わずに。
隣の長日部君が、小さく息をのんだ音がした。とまどったような笑みできょろきょろ首を動かすイズミさんの横で、高瀬さんは静かに目を見開いた。
「……彼?」
「束原さん」
突然立ち上がったわたしに、長日部君が声をかける。
「――高瀬さん」
心の中にもやもやと渦巻く思いが、わたしの口を動かした。
「わたしのこと、覚えてませんか。何度かアパートで、会ってるじゃないですか」
高瀬さんは、けげんそうに眉間にしわを寄せた。そうして、わたしの顔をじっと見つめる。
ややあって、その桃色のくちびるが薄く開いた。
「もしかして、あなた……」
「わたし、ヤシロさんと同じアパートに住んでるんです。ヤシロさんは、おととい、亡くなりました」
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