4 霊点男子

「へ?」

 あまりに予想外な小鬼の回答に、わたしは固まる。

「えーと……今、なんて?」

「だから、ゼロだ。零点なんだ、こいつの徳ポイントは!」

「う……嘘でしょ?」

『え、マジ? ほんとにゼロ? それ、逆にすごくね?』

 ヤシロさんが半笑いで言う。まるで他人事のようだ。

「おい! ちょっとは恥じ入ったらどうなんだ! 徳がゼロなんて、おまいの年齢じゃ考えられないことだぞ、まったく嘆かわしい!」

『余計なお世話だ。ていうかそもそも、その集計システムって信頼できるもんなのか? 欠陥があるんじゃねえの? いくらおれでも、ゼロってことはねえだろ』

「それはない。ひと昔前までは行動監視役が個々の『徳通帳』に記録をするアナログ形式だったが、今では全自動徳監視システムが整備されたことで、徳のカウントもれは一切なくなった。徳の判定システムもより明確化されて、公平な徳付けができるようバージョンアップを繰り返した。システムが間違うはずがない」

 なんだかよくわからないけど、あの世もいろいろとハイテク化が進んでいるらしい。

「それに、徳貯金を増やすには、行動だけじゃ意味がないんだ。誰かの、何かの『役に立ちたい』という思いが伴わない限り、システムは徳として判定しない。こいつの行動は、全部中身が伴わないカラッポの偽善だったってことだ」

『言い過ぎィ! おれそんなクズ人間じゃねえぞ!』

「悪いがフォローできんな。システムの判断は絶対だ」

 なるほど。だんだんわかってきた。

「つまり、渡り賃として二百徳貯めないと、ヤシロさんはあの世に行けない……成仏できないってことね」

「そういうことだ。飲み込みが早くて助かるよ、エマ」

 小鬼がにこりと笑った。

「で、ここからが問題なんだ。三途の川が渡れなかった場合、幽霊として永遠にこの世をさまようことになっちまうんだ」

 え……永遠?

『永遠って……まじ勘弁なんだけど』

 ヤシロさんがげんなりした顔で言う。

 そりゃそうだ。幽霊としてこの世をさまよう。ちょっと聞くと楽しそうだけど、永遠となると、さすがに途中でいやになってしまうだろう。

「そういうわけで、おまいは幽霊のまま二百徳を獲得しなきゃならない。ただし期限は四十九日しじゅうくにちまでだ。四十九日は、上司が裁きを下してそれぞれの霊の行先を決める日だ。それまでに二百徳貯めれば、おまいは三途の川を渡って成仏することができる」

『そうは言われても、二百ってけっこうな数字じゃねえか!』

 ヤシロさんががなり立てる。

「そう難しいことじゃない。協力者だっているしな」

 小鬼がわたしを見てにやりと笑う。

 え、わたし?

「そうだ。エマと力を合わせて徳を積むんだ」

「いや、ちょっと待ってよ。なんでわたしなの?」

「さっき言っただろう。こいつの姿が見えて会話もできるのは、この世にはおまいさんしかいない」

「だからって、協力しなきゃいけない理由にはならないでしょ? そもそもこの人、泥棒だし!」

『いやだから返したし!』

 そう言うヤシロさんを思わずきっとにらんでしまう。ヤシロさんは視線をわたしからそらし、頭の後ろをかきながら言った。

『……悪かったよ。べつに、エマの金を狙ってたわけじゃないんだ。渡り賃が足りないってこいつから言われて雲から飛び出したとき、なんだか知らんがあのアパートに引き寄せられたんだ』

「死ぬ直前まで住んでた場所だからな。そういう場所には生前の意識の残留も多い、引き寄せられるのも無理はない」

『で、ふと見たら貯金箱らしきものがあったから、つい……いや、なんとなく気になって、見てただけだったんだよ。盗るつもりはなかった、本当だ。いきなりおまえが帰ってきたから驚いて、持ったまま飛び出ちまったんだ』

 本当、だろうか。ヤシロさんの顔をまじまじと見る。思えばまだきちんと知り合って間もないから、その顔がどういう気持ちを表しているのかは、いまいちよくわからなかった。

 でも、一応反省……しているように、見えなくもない。貯金箱が空だってことにどうやら気づいていないらしいのも、中を見ようとしなかったからだろう。

 そのとき、ふと疑問がわいた。

「待って。さっき腕が幹を突き抜けたみたいに、ヤシロさんはモノに触れないはずだよね。なのにどうして、わたしの貯金箱を『持つ』ことができたの?」

「それが、おいらにもわからないんだ。おそらく、エマの持ち物であることが関係しているとは思うんだが……現在、本部で調査中だ。このことも含めて、何から何まで異例尽くしなんだよ、今回の件は」

 そう言うと、小鬼は細いため息をついた。

「それにな。悪いがエマ、協力してもらわないと、おまいさんにとっても困ったことになるんだよ」

「え、わたしにとっても? どういうこと?」

「さっき言ったように、徳が足りなければこいつは永遠にこの世をさまようことになる。それも、おまいさんにとりついた状態でだ」

「……とりつく?」

「説明が難しいんだが、おまいさんとヤシロの間には特別な『縁』ができちまってるんだ。それはこいつが三途の川を渡らない限り、切れることはない。もっと言うと、まあずっと先の話になると思うが、おまいさんが死んだときにやっかいなことになるんだよ」

 何やら、急に不穏な話になってきた。わたしが死んだとき、だって?

「つまり、どういうことなの」

「たとえエマの徳貯金が渡り賃に足りていようとも、川を渡れないヤシロとの縁は死後も切れることはないから、それにひっぱられる形でエマも三途の川は渡れない。つまり、ヤシロと同じ運命をたどることになっちまうってことさ。永遠にさまよう幽霊、二人目の出来上がりだ」

「なっ……!」

 驚きのあまり、声が出なくなる。

 幽霊として永遠にさまよう? この人と?

『なるほど、道連れってわけか。二人なら、永遠にさまようのも悪くないかもな』

「ちょっと、本気で言ってるの!?」

『半分くらいはな』

 ヤシロさんは、にやりと笑った。じょ、冗談じゃない!

「だからおまいさんには悪いが、協力してもらわないといけない。霊界としても、そんな浮遊霊を二人も出すわけにはいかないんだ」

「それって、他に方法はないの? どうしても、わたしが協力してヤシロさんの徳貯金を貯めないとだめ?」

「申し訳ないが、方法はこれしかないんだ。ヤシロの死を取り消せれば一番いいんだが、『よみがえり』は数百年に一度の割合でしか決裁されないからな。ハナから承認が下りないことがわかってる稟議書を作るほど、無駄な仕事はないだろ」

 よくわからないけれど、あの世はハイテク化されてるだけでなく、日本の会社と同じく縦割りで、お役所的なところがあるらしい。小鬼もいろいろと苦労しているんだろう。

 って、今はそれどころじゃない。わたしの死後の運命がかかってるんだから。

 永遠にこの世をさまよう浮遊霊……そんなの、絶対に嫌だ。

 もちろん、今でもこれを全部「幻覚」だと片づけて帰ることはできる。だけど、本当だったら?

 わたしは、クスノキの前に立っているヤシロさんを見た。その表情は暗く、どこか寂しげに見えた。

「ヤシロさん。ひとつ、教えて」

 言われたヤシロさんが、顔を上げる。

「昨日の朝、自転車でどこに行くつもりだったの? 普段は家から出ないのに、どうしてあの日に限って出かけようと思ったの?」

 それは、心のどこかでずっとひっかかっていたことだった。

 だって、そうじゃない? いつも通り家で過ごして、外にさえ出なければ、死なずに済んだんだから。

『あー……それは……』

 ヤシロさんは視線をそらし、言いにくそうに口ごもった。そうして、やっと聞こえるような小さな声で言った。

『バイト情報誌を買いに、本屋に……』

「……バイト、情報誌?」

「本当だ、エマ。こいつは、社会復帰に向けて第一歩を踏み出そうとしていたんだ」

 小鬼が言う。

「社会復帰って……高校は?」

『いや、高校は、やめようと思ってた。学費が無駄だろ』

 なるほど。ヤシロさんなりに、いろいろと考えた結果の行動だったんだ。

「なあ、エマ。今回のことは、ヤシロの死を未然に防げなかった霊界の落ち度でもある。たまたま最後にしゃべっただけのおまいさんを巻き込んじまうのは、おいらとしても心苦しい。けど、ヤシロを成仏させるには、エマの協力が絶対必要なんだ。頼むよ」

 小鬼が手を合わせて言った。

 その緑色の目がきらりと光るのを見たわたしは、はあっと息をついた。

「わかった。協力する」

「本当か!?」

 小鬼がぱっと顔を輝かせる。ヤシロさんは、にやりと笑った。

『決まりだな。んじゃそろそろおひらきにして、続きは明日にするか。じゃあな、おれはもう寝る』

 ヤシロさんはそう言うとふわりと空に浮かび上がり、あっという間に見えなくなった。

 境内にわたしと二人残された小鬼は、ほう、と息をもらした。

「よかった、安心したよ。ありがとう、エマ。霊界を代表して感謝する」

「いや、いいよべつに。協力するって言っても、しかたなく、だし」

 わたしのその言葉にも、小鬼はうれしそうに微笑んだ。

「明日、学校が終わったらまたここに来てくれ。今後のことを話し合おう。待ってるからな!」

 そう言うなり、小鬼は空へ溶け込むように消えていった。

 途端に、あたりが静かな夜気に包まれる。

(幻覚じゃ、なかった……んだよね)

 わたしは一人になった境内で、二人の消えていった空――いくつかの星が瞬く夜空を、しばらく見上げていた。

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