第6章 第10話 人と魔の間で

 白い翼をはためかせ、空を駆けるジークの指先で『白の世界樹』が描かれていく。


 視線は正面に、ジークは自身の飛行する先をまっすぐ見据える。

 馬車を襲った竜の群れが飛んでいく先、遙かに見える城の尖塔。近づくにしたがい、尖塔はその頂から下層階へと、そして寄り添うような大きな城が屋根から徐々に、その姿を彼へと見せつけてくる。

 その周囲には鳥に似た、翼を持つ者達が多数飛び交い、ジークが追う竜の数体もまた集団の中へと溶け込んでいく。


 竜たちより下方へ向けて放たれるのは、馬車を襲ったものと同じであろう、炎をまとった吐息の軌跡。

 その下の、かろうじて屋根のみが見える城からも上方へと向かい、様々な魔法が打ち上がっているが、縦横に空を駆ける侵入者たちに、防衛の魔法はほとんど効果はないようだった。



 印が完成し、ジークは伸ばしていた指を固く握る。彼の意志に呼応するように、印がわずかに輝きを増す。


――大丈夫だ、暴発などさせない。

そして、自分が魔法を行使したところで、世界樹の余命に影響などない。


 その本来の記憶を取り戻し、世界樹の知識と完全に繋がったジークの意識が、世界樹に関わる記憶と知識を、余すところなく伝えてくる。

 その行使に必要なのは術者、つまり自分自身の生命のみであること。そして今、いかなる韻を唱えるべきかも。


 ジークは速度を上げ、右手に印を浮かべたまま、自身の思考に浮かんでくる、知識のままに韻を紡ぐ。唱える言葉は術者を中心とした真球をかたどる、『白の世界樹』の攻撃魔法、最大化、そして生命魔法の一種、浄化の韻。



 魔族の生命の源、いうなれば魔族の魂とは、人間界で死を迎えた者の魂が世界樹を通じてニヴルヘル――かつては冥界と呼ばれていた、世界樹の根が守る世界へと運ばれ、その大気に存在する特異な物質――人間には瘴気と呼ばれる冥界の物質と混ざり合うことによって、そこへと生まれる存在だった。

 そして、冥界の住民となった者がその死を迎えたとき、世界樹の根はそれを吸い上げ、今度はその枝葉を通じ、人間界に新たな生命の魂として解放する。世界樹はずっとそうして、人間界と冥界を繋ぐ魂のやりとりを営んできた。

 しかし現在、本来ならば世界樹によって濾しとられ、冥界へと残されるはずの瘴気は、魔族の魂と融合したまま、世界樹を通さない本来の道筋よって人間界へと運びこまれ、あるべきではない体に宿り、本来の魔族ではない、偽りの魔族として人間界に存在している。

 そして人間界において魔族の肉体が破壊されたとき――とりわけ魂としての力が強いものが破壊されたとき――内に宿っていたあるべきでない存在は、大気中へと放出され、離散し、時にはそこにある魂の抜け殻へと宿り、さも魔族が再びそこに現れたように、意志を持たない魔物としての復活を遂げる。

 すなわち、現在城を襲う竜を破壊するのみでは、完全にそれを制圧したとはいえない。倒した竜より放出された冥界の魂や瘴気によって、あの場に居合わせる人間たちがその死者たちも含め、また、魔族へと変わっていくかも知れないのだ。

 そう、あの日の平原でジークがその目にとらえた者のように。



 『白の世界樹』による浄化の魔法ならば、竜たちから放出された瘴気を除去し、新たな被害を食い止めることは可能だろう。


――だが――

 ジークは口を結び、一度その目を固く閉じる。


――これを放てば、自分は完全に『魔族』ではなくなるのかもしれない。

いや、魔族へと剣を向け、人の側に立ってきた自分は、すでに『魔族』ではないのかもしれない。


――それでも――


「――俺は、この世界を守りたい。」


 ジークの魔法が完成し、印がなおさら白く輝く。

 彼はそのまま速度を上げる。間近に迫った城からは彼を標的と認めた竜の一部がジークを目指し、空を駆ける。城を守る魔法兵の数人がそれを追うように、彼の存在をみとめたことが認識できる。

 ジークは竜を振り払うように、城壁を越え、尖塔を超え、巨大な城の敷地内へと飛び込んでいく。

 迫る竜の群れの中心、ジークは十字に両手を広げる。


「――力よ、我が意に従え!」


 ジークを中心に、白く輝く光の球が生みだされる。

 拡大していく真球は、城の尖塔を、屋根を、城壁を――そして飛行する竜の集団を、一体残らず飲み込んでいく。

 城を守る魔法兵たちはある者は伏せ、またある者は逃げ惑い、各々にその目を覆い、光から我が身を守ろうとする。


 やがて光が収まったとき、その場から、空を駆ける群れの姿は消え去っていた。

 城の外観も、魔法兵たちも何も変わらぬまま、ただ、群れの存在だけが、先ほどまでのその地点とは異なっていた。


 魔法兵の間から嵐のような、歓びの声がごうごう上がる。

 ジークは自身の視線と肩を落とし、しばし空中に静止していたが、やがてゆっくりと翼を使い、城庭へ降りる。疲弊しきったように膝をついた、その背中から翼が消える。

 城壁の上や城庭のすみ、さらに屋根の上でまでも、いまだ魔法兵たちは拳を振り上げ、歓びの声を響かせているが、その声にジークは、今すぐこの場から逃げ出したくなるほどの不快さと、居心地の悪さを感じていた。


「ジーク!」

 城門のあたりより、自身の名を呼ぶ声が聞こえ、ジークはわずかに顔を上げる。

 到着した馬車からシアルヴィが叫び、こちらへ向かい駆け寄ろうとする。ジークは目を伏せ、顔を背ける。

 その態度に何かを感じ取ったように、シアルヴィは城門とジークの、ほぼ中間地点で足を止める。

「今の、力は――」

 そのシアルヴィと並ぶように、こちらへと駆け寄ってきたユミルが言う。


「――ご覧に、なられたでしょう。」

 ジークはゆっくりと立ち上がると、シアルヴィと視線を合わせないまま、告白するようにユミルへと言う。

「俺の――いえ、私の罪は、濡れ衣などではありません。以前、私が初めてあなたと会ったとき、あなたはこう言われました。草原で、光の半球を見た者がいると。

――それは、あの日の私が無知なるままに暴発させた、この力です。あの日、私は力の制御を誤り、術を暴走させ、多数の魔法兵たちをあやめました。この国の兵たちの生を奪ったのは、間違いなく私自身です。

――どんな罰でもお受けします。そのために、私はここへとやってきたのです。」


「ジーク……」

シアルヴィの声が小さく漏れる。

 遅れて駆け寄ってきたフィアナが、シアルヴィの背中の後ろで足を止めると視線を下げ、祈るように両手を口の前で合わせている。


 ユミルは判断をしかねているように、首をかしいで眉を寄せる。

 しかし、やがてジークの方へと歩み寄ると、肩を叩くようにしてジークを城の方へと向け、背中を叩いて彼に進むよう促す。

 一度肩越しにジークはシアルヴィらを振り返り見るが、すぐに視線は正面に戻され、その背中に触れるユミルに付き添われたまま、ジークの姿は人垣の向こうの、城の中へと消えていった。

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