第6章 第8話 軋む運命

「なんて……寂しいところ。」

 大導師の転移魔法によりヨツンヘイムへとたどり着いた三人のうち、草原を見回すようにしながら、フィアナが言う。

 ヨツンヘイムの草原にはあの日と変わらぬ風が吹き抜け、草に覆われた平地には様々な大きさの岩や低木が点在している。

 ジーク、シアルヴィも彼女と同様に草原を見回すが、それぞれの思いは異なっていた。


 そして直後、なにかに気づいたようにジーク、シアルヴィが同時に顔をあげると、二人は同時に先へと向かい駆け出していく。


「ま、待ってください!」

 フィアナが叫び追いかけようとするが、足の速い男二人にはとても追いつけない。

 だが、その叫びに気づいたように、ジークを追うように走っていたシアルヴィが振り返ると、フィアナのそばへと素早く駆け寄り、彼女の身体を横向きに、両手で背中と膝の後ろを支えるようにして抱え上げると再度、ジークを追って走り始める。


 その直後、前方のジークが何かに気づいたように左へ跳び、シアルヴィもまたフィアナを抱えたまま右へと跳ぶ。

 間隔のあいた二人の間を抜けるように、数騎の騎兵が砂煙をあげ駆け抜けていく。

「お前たちは!」

騎馬の一人がそう叫ぶのが聞こえたが、シアルヴィは振り向きもせず、さらに先へと駆けるジークを追う。


 やがて、その右側に高さは自身の腰ほど、幅はフィアナの背丈ほどもある岩を見つけたシアルヴィは、フィアナをその岩の陰へと下ろし、身を低くしているように合図を送る。そして、

「ここに隠れていろ!」

言うが早いか、その腰から一本の、細身の剣を引き抜いていた。


 その本来の得物えものはあの日、魔法に撃たれたジークの身柄と引き換えに差し出したため、その行方すら今は知れない。

 だが、彼の腰には今、大小二本の剣が帯びられていた。

 一本はジークが世界樹の頂を目指す際に使用したあの短剣。

 もう一本はかつて世界樹の神殿にいた神殿騎士が帯びていたという剣であり、ジークが樹上を目指していた間に、彼が大導師から賜ったものだった。

 それはシアルヴィにして、実戦用としてはあまりにも頼りなく思えたが、それでも丸腰よりはまだ救われた。


 そして、視線を上げた彼の目に映るのは、先の騎馬の一団を追うように、こちらへと駆け寄ってくる数体の大きな獣と、それよりは小さいものの数が多い、地上の巨獣を追うように飛行してくる、空を駆ける奇妙な獣。

 巨獣はその背にとても飛行はできそうにない、小さなコウモリのような羽を生やした、通常よりも二倍以上は大きな牛。

 空の獣は猫に似るが、それよりも二回りは大きく感じられる。前足はこちらもコウモリの翼のようであるが、それは彼らの体長よりも大きく、奇妙なコウモリ猫とでも言うべき姿でこちらへ向かい飛行してくる。


 はるか先を走っていたジークはすでにその剣で巨大な牛の一体を倒し、二体目へとその標的を移したようだが、討ち漏らした一体と飛行する猫の集団がシアルヴィらの方へと近寄ってくる。

 シアルヴィがフィアナから距離を取るように、獣の群れへと向かって駆け出す。


「シアルヴィさん!」

 彼方から聞こえるジークの声に呼応するように、シアルヴィは剣を水平に、牛と交差するようにしてその胴を薙ごうとする。

 しかし、

「――!」

 この世の牛とは異なる頑丈な皮膚を持つ魔界の牛に剣は折られ、それでもとっさに彼は腰から短剣を引き抜くと、自身の脇を通過する牛の脇腹へとそれを押し込む。

 短剣は牛の駆ける勢いのまま、その肋骨の下から大腿部を深々と切り裂くが、なお、その突進は止まらず、フィアナの隠れる岩のそばまで走り続ける。


「きゃあ!」

 自身のすぐそばで倒れる巨獣にフィアナは立ち上がり、岩から彼女の姿が飛び出す。牛を追うように飛んでいた猫の数体が戦うすべのない彼女を標的と認める。


「フィアナ!」

 すでに猫の数体を地に落としていたシアルヴィが即座に気づき、フィアナの方へと駆け寄ろうとするが、猫の爪はそれよりも早く彼女に迫る。


――剣に、本来の間合いがあったならば――


 だが死を覚悟し、目を閉じるフィアナと、彼女に手を伸ばすシアルヴィの上空の空気を切り裂くように、飛来した無数の光の矢が次々と猫を射抜いていく。

 つらぬかれた猫は二人を飛び越すようにしてはじかれた後大地へ落ちる。

 そして数度、けいれんするように身を震わせた後、砂となって大地へ溶ける。突き立っていた光の矢もまた、霧のように消え去っていく。

 見れば、彼女の脇で倒れた牛のような獣もまた、れきとなって崩れた後、砂となって溶けはじめていた。


「今のは――」

 フィアナが震える声でそう口にし、シアルヴィが矢が射られた方向を確認するように、ジークの方へと視線を移す。

 ジークは左手に剣をさげ、魔法を放った姿勢のまま、右手を正眼に伸ばしていた。


「あ、あの……」

 フィアナが胸の前で手を組み、彼へと向かい口を開くが、ジークは何も語らず、そのまま背中を向けてしまう。


 フィアナが胸の前で合わせた手を固く握り、唇を噛んで視線を落とす。

 ジークは魔族だ。だが、それでも彼は魔族を撃った。自分を――『人間』を助けるために。

 今までも魔族を相手に戦ったことがあるであろうことは、フィアナにも理解はできていた。だが、今までとは事情が違う。自分自身に対しての自覚がなかった頃と異なり、今、ジークの中には自分が魔族であるという認識がある。

 ――それでも、彼は魔族を撃った。そして、それをせざるをえなかったのは――


 フィアナの心境に気づいたように、うつむいたままの彼女の肩に、シアルヴィが優しくその手で触れる。フィアナが寄り添うように、シアルヴィの胸へとひたいを寄せる。

 その時だった。


「あなた方は――」

 背後からかかった声にシアルヴィは、背中にフィアナを隠すように振り向き、相手を見る。

 フィアナはシアルヴィの身体に寄り添ったまま、恐れを抱いた目でおずおずと見上げる。

 ジークもまた気づいていたようで、彼らから随分と離れた場所で、すでにこちらへと向き直っている。


 現れたのは先に彼らと交差するようにして、魔獣の群れから逃げ出していた、あの、騎馬の一団だった。

 ヨツンヘイム兵の衣服をまとい、馬に乗る男たちは全部で四人。そして、その先頭に立ち、馬上から彼らを見下ろす一人の男は――

「ユミル――」


 すでに見知った男の名前をシアルヴィが呼ぶ。

 自身の後ろにしがみつくようにして身を隠すフィアナをさらにかばおうとするかのように、その左腕を脇へと広げ、シアルヴィは威嚇いかくを込めた目でユミルを見上げる。


 だが彼の予想に反し、ユミルは滑るようにして馬から降りると姿勢を正し、深々と頭を下げるのだった。

 事態が飲み込めず、困惑するシアルヴィにユミルは語る。

「すまなかった。どうか、我々のしてしまったことを許して欲しい。」


「――どういうことです。」

 いぶかしげな表情でシアルヴィがきく。ユミルは一度彼と視線を合わせ、再びうつむいてから語り始める。

「あの日、貴公らの言っていたことは正しかった。帝国は、我々と同盟を結んだあの頃の帝国とは変わっていた。」


 シアルヴィは沈黙をもって応える。まだユミルを信用することなどできない。そう言って、また自分たちを攻撃するつもりかも知れないのだ。

 ユミルはさらに言葉を続ける。

「信用できないのも無理はない。だがこれだけは信じて欲しい。我々は決して、貴公らを帝国に差し出すようなことはしていない。」

「――何を言われる。あの日、私達を撃ったのは、間違いなくこの国の魔法兵でしょう。」

「そうだ。確かに我々は貴公らを撃った。だがその後我々が馬車を待つわずかな間に、現れた異形の兵たちによって、貴公らは連れ去られてしまったのだ。」


「それを、今ここで私達に信用せよと――そう、おっしゃられるのですか。」

 すでに自身の傍らまで歩み寄っていたジークに、一瞥いちべつをやってからシアルヴィは言う。

 言葉遣いこそ丁寧なものの、その口調にはいきどおりが滲み出ていた。無理もない。

 この国の街道で魔法に撃たれ、帝国へと身柄が移されてからまだ半月と経ってはいないというのに、その間に引き起こされたことを考えれば、彼が憤らない理由はない。


「わかっている。我々が貴公らにしてしまったことを考えれば、すぐに信じられるはずはないのだろう。だが、先刻貴公らは我々を追う獣たちと戦い、それによって間違いなく我々は助けられた。――今、貴公らの戦うべき相手と、我々の戦っている相手は同じではないのか?」

 そして一呼吸置き、ユミルは続ける。

「残念だが、我々の力でだけでは、あの異形の侵略者達に対抗しうるだけの力はない。――こんなことを頼める筋がないことぐらいはわかっている。だがそれでも貴公らに申し入れたい。どうか我々に、力を貸してはもらえないだろうか。」


 シアルヴィは一度ゆっくりと息を吐き、その判断を仰ぐように、傍らに立つジークを見る。

 ジークは下へとおろした両の拳を固く握り、視線を大地に、一文字いちもんじに口を結んでいる。

「ジークさん……」

 シアルヴィにしがみついたままのフィアナが小さく口にし、応えるようにジークは顔を上げるとユミルを見据える。


「――わかりました。」

 ジークの出した答えにシアルヴィが悲しい微笑を浮かべ、彼の背中に張り付いたままのフィアナの両手が強い力で衣服を握る。

 反して、ユミルの表情は明るくなり、彼の後ろに立つ三人の騎士も互いに顔を見合わせ安堵の表情を浮かべている。



「ならばまずは王都へ。頼むぞ、宿場町へ早馬を!」

 ユミルが振り向くと後ろに控える騎士たちへと告げ、そのうちの二人が競い合うように馬の腹を蹴ると彼らの視線の先へと駆け出す。


「――ジーク。」

 再び視線を落としたジークに対し、ユミルたちには聞こえないであろう小さな声でシアルヴィが言う。

 固く目を閉じ、口を結ぶその表情は葛藤か、あるいは苦しみか。

 馬の駆けた方向を見るユミルたちの後ろで、その背に神官の少女を隠したまま、シアルヴィは友の肩を、ただ、静かに抱き寄せていた。

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