第6章 第7話 再びヨツンヘイムへ

「これで、残る世界樹は精霊の森に立つ一本のみとなったわけですね。」

 神殿の門を出た場所で、屋根を見上げた大導師が言う。

 周囲は万緑の彩る森に囲まれてはいるものの、彼らの見やる視線の先、神殿の屋根の上には黒緑色の残骸と化した世界樹であったものが山となって被さっており、その裾野ははるか先まで森を覆う。

 すでに『奇跡の泉』の流れは見えず、黒い山の頂には、樹上の楽園にたたずんでいた若い大樹が墓標のように突き立っている。今はかろうじて緑に覆われたその姿も、楽園を失い、母なる世界樹を失っては、枯れゆくことはまぬがれないだろう。

 大導師の後ろではジーク、シアルヴィ、そしてフィアナが彼女と同様、哀れな姿をさらす世界樹へと視線を向けたまま、三者三様の表情を浮かべている。


「それで――あなた方はこれからどうなされるおつもりですか?」

黙祷を捧げるように祈りの姿勢を取った後、後ろに立つジークらへと振り向き、大導師は問う。


「――俺は、アーサーを助けに行きます。」


 凜として響くジークの声に、シアルヴィが今までにない視線でジークを見やる。

 ジークは精悍な顔つきで大導師を見据え、その背には彼と共に落下してきた白銀の剣が背負われている。

 刀身もつかも、そしてつばも、全てが白銀で彩られた一本の長剣。しかしただ一つ、鍔の中心に光るなつめ型の宝石だけは鮮やかな黒緑色を呈しており、白銀が占める剣の中、自らの存在を主張するように、不思議な輝きを放っている。


 すでに、ジークの背中に翼はない。

 人間の感覚からすれば彼の――自身の意志で発現させることのできる白い翼は、それが見えていない状態なら、翼など幻影であったのではないかという感覚さえある。


 だがシアルヴィに対していえばそれは、帝都より脱走したあの日、かすむ視界にとらえたそれが自身の幻覚などではなかったという確信を与え、また、自分がまたしてもこの青年に助けられたのだという、感謝にも、詫びにも似た感情を与えさせていた。

 そして、その口調もたたずまいも、すべてが今まで自身の見てきたジークのものとは異なる――もしも彼をよく知らぬ者なら、瓜二つの別人と入れ替わった、と言われても信じてしまうほどに異なる雰囲気を持つその青年に対しても、シアルヴィは自然とその存在を受け入れていた。

 ただ、嬉しさとも寂しさともつかない感覚だけは、彼の心を深くかき乱していた。



「アーサーは……彼は現在、魔界の王子です。」

ジークはさらに言葉を続ける。

「帝国が魔界の力を利用しているというのなら、アーサーはきっと、その中心にいたことでしょう。王子である彼を奪還することできたなら、俺たちにも魔族と――帝国と戦う手段は見えてくると、俺は、そう考えます。」


「では、帝国へ?」

ジークの言葉を受けて、大導師が問う。

「いえ――今のまま帝国へと戻っても、同じ結果になるだけでしょう。帝国は現在、魔界の力と、そのために世界樹の力すら利用する大きな組織になっている。このままではアーサーを助けるどころか、帝国内へと立ち入ることすら容易ではありません。」

「では、一体どちらへ?」

「――ヨツンヘイムへ。」


 ジークの言葉に、その場に居合わせた全員の視線が彼へと向かう。

「ヨツンヘイムは魔法の扱いにけた国です。彼らの力を借りることができれば、魔族に囲まれた帝国へと近づき、そして、その力に抵抗することも可能かもしれません。」

そして一呼吸置き、ジークは続ける。

「それに――俺は今のままではアーサーにあうことなどできません。

 ――俺はあの日、ヨツンヘイムで世界樹の力を暴発させ、多くの兵たちを犠牲にしました。その罪は裁かれるべきであり、それを済まさないままでは、俺は、とてもアーサーに顔向けなどできないのです。」

「しかし――」

「大丈夫です。帝国が魔界の力を利用する以上、アーサーの存在は必須であるはず。加えて、俺に世界樹が宿っていると彼らが気づいている以上、帝国は必ず、また俺たちを捕えようとするでしょう。アーサーが俺たちを呼び寄せる手段であると彼らが気づいているのなら、彼がすぐに処断されることはないはずです。」

「――そうではない!」

大導師とジークの会話にシアルヴィが割って入り、異を唱える。ジークの視線がシアルヴィへ向かう。


「ジーク、君も気づいているだろう。ヨツンヘイムは帝国と繋がっている。そうでなければヨツンヘイムで撃たれた私達が、帝国へと送られていた理由がつかない。ヨツンヘイムへ戻れば、また、彼らによって――今度は命さえ奪われるかもしれないんだ。」

シアルヴィの言葉に、ジークは一度目を閉じ、顔を伏せる。しかし、やがてしっかりとその目を見据えると、

「それでも、行きます。」

そう、シアルヴィへと告げるのだった。


 わずかな、それでいてあまりにも長い沈黙が流れる。

 シアルヴィはジークを見据えたまま微笑を浮かべる。わかっていた。ジークの決意は変わりはしない。それは彼の見てきた、今までのジークの行動からも明白だった。

 そして彼は、ゆるく開かれた右手をジークの胸の前へと静かに差し出す。

 ジークが一度、シアルヴィの顔とその手を交互に見やり、そしてはっきりとした笑顔を浮かべると、固くその手を握り返す。

 シアルヴィはそのままジークを引き寄せ、先ほどよりも軽く、ジークの肩を優しく抱く。


―― 一緒に、いきましょう――


 互いに言葉の必要などない。繋がる手とふれあう肩がお互いの意志の重なりを感じさせていた。



「――それでは、目的地はヨツンヘイム北の平原。『白の世界樹』が発動した地点でよろしいのですね。」

 大導師からかけられた声にジーク、シアルヴィは顔を上げると繋いだ手を離し、そちらを見やる。

「目的地?」

ジークが問いかけるのと同時に大導師は指を動かし、魔法発動の印を描く。描かれた印が淡い緑の輝きを見せる。


「――空間魔法――」

シアルヴィが印の意味に気づき、ジークがシアルヴィと大導師を交互に見やる。

「まさか、あなたも転移魔法を?」

シアルヴィの問いに、大導師はかすかに笑みを浮かべる。

「今ならまだ、世界樹の力を借り受け、あなた方を送ることもできるはずです。ですが、この世界樹はすぐに枯れ果てることでしょう。もはやここへと帰ることさえできはしない。本当に最後の転移魔法――それでも、意志は変わりませんか?」

シアルヴィがジークへ視線を送る。ジークはしっかりと頷いてみせる。


「フィアナ。」

大導師が傍らの少女を呼び、フィアナが驚いたように大導師を見る。

「あなたも、この方達とともにお行きなさい。」

フィアナが無言のまま首を左右に振る。

「ジークさん。シアルヴィさん。」

大導師は正面に立つ二人に向かったまま、穏やかな口調で呼びかける。

「私達の守ってきた世界樹は今、その役目を終え、力尽きようとしています。ですがあなた方はまだ世界のためになすべきことをされようとしている。どうか、フィアナに――この子に、あなたたちの目的のお手伝いをさせてやってはもらえませんか。」


 ジーク、シアルヴィは互いに示し合わせたように、しっかりと頷くとフィアナに近づき、彼女の背中に互いの手を交差させるようにして優しく触れる。大導師は数歩下がり、転移の韻を唱え始める。

 その韻に一瞬、シアルヴィがわずかに首をかしぎ、直後、彼らの足下より立ち上がった白い光が、彼らの姿を光の中へと飲み込んでいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る