第6章 第3話 『白の世界樹』
「ここは、一体?」
周囲を見渡し、ジークが思わず声を上げる。
案内されたのは礼拝堂のような空間だった。
広々とした空間は白い壁と床、そして同じく白い天井に覆われている。高い位置にはアーチ窓があり、大きく葉を広げた樹木が描かれたステンドグラスより、暖かな光が差し込んでいる。
通常の礼拝堂ならばいくつもの長椅子が並んでいるものだが、この空間にはそういった物は存在しない。
また、祭壇らしき場所も、祭壇という言葉から連想されるものとはかけ離れていた。
そこに崇拝の対象とされる神の像の姿はなく、代わりに直方体や立方体に削り出された巨石を乱雑に積み上げたような、幾何学的な建造物が鎮座している。
天井まであとわずかという高さまで積み上がった黒緑色のその表面は所々白い苔のようなものに覆われているが、それが苔でないことはすぐにわかる。おそらくは温泉のそばに析出する硫黄のようなものが、巨石の表面へと付着している。
そして、白に覆われるこの広間の中、その建造物の上だけは天井板が貼られておらず、その上方には黒い開口部が確認できた。
「さて、先ほどのお話の続きでしたね。」
奇妙な祭壇を背にしてジーク、シアルヴィへと向かうと、大導師はゆっくりと話し始める。彼女の脇では相変わらずフィアナが、無口なままでうつむいている。
「……ですが、その前に、少しお話を戻しましょうか。ジークさん、あなたは自身の中に宿る世界樹の力が、いかなるものかご存じですか。」
「……」
ジークは少し言葉に詰まる。正面を向いていた視線が下へと落ちる。
最初は、回復魔法を操る力だと思っていた。
だがミーズの図書館で、それは誤りだと気づいた。
あの魔道書で説明されていた
――なお、八つの印以外に、現在では失われた印も存在する。
全ての印の上位に位置し、あらゆる魔法を行使することのできる印。
その名を『黒の世界樹』という――
その言葉の意味を当時は理解できなかった。
だが、あのヨツンヘイムの平原で、自分はそれを思い知った。
回復の印だと思っていた印。だが、自分の恐怖故に紡いだ言葉は
「ぼくは――この力が怖いです。」
やがて下を向いたままジークは言う。
「ぼくはこの力を癒やしの力だと思っていました。けれど、そうじゃなかった。ぼくに宿るこの力は、この印は――『黒の世界樹』と呼ばれるものだったのですか。」
ジークの言葉に、シアルヴィがわずかにその目を大きくする。
大導師の女性は静かに答える。
「残念ですが、あなたのその力は、『黒の世界樹』ではありません。」
ジークが驚いたように顔を上げる。
「『黒の世界樹』は世界樹の根が守る世界、現在魔界と呼ばれる世界の力を借り受けるものでした。かつて――現在巨大湖となっている世界樹の主枝が失われたとき、戦った英雄が行使していたのがその力でした。ですが、英雄の死と共に『黒の世界樹』はその印ごと失われ、現在どこで継承されているのかすらわかってはいません。」
「それじゃあ……」
「ですが、世界樹にはもう一つ、守るべき世界がありました。この世界――人間界です。魔界の世界樹の力を『黒の世界樹』と呼ぶのなら、人間界の力はさしずめ『白の世界樹』。――ジークさん、あなたが現在その身に宿している力の正体です。」
「――!」
「すべての印の源流とされ、その頂点に位置し、術者の生命を世界樹へと捧げることで発動する印――。その印と契約したものはその他のあらゆる印が行使不能となりますが、唱える韻によってあらゆる事象を起こすことのできる印。――それが『世界樹の印』なのです。」
「術者の――生命――!?」
シアルヴィが声を上げる。
「それでは――世界樹の力を使い続けたものは――」
「いずれ、生命としての役目を終え、世界樹の元へと還ることになるでしょう。――永遠に――」
「待ってください!」
ジークが会話に割って入る。
「先ほどあなたは、世界樹は急速に力を失っていると言われました。ですが、ぼくはつい最近まで、その力を行使することができていたんです。――世界樹が力を失っているのは、ぼくが、力を使っているからだというのですか?」
「――私にも、その理由はわかりません。ただ、世界樹は枯れようとしている。それは、間違いのない事実なのでしょう。」
そう言って大導師は祭壇へと向かい上を見上げる。視線の先には天井の代わりに広がる黒い空洞。
「かつてこの祭壇には、この上にある世界樹の
「ジーク!」
シアルヴィの叫びに、大導師が上を向いていた視線を戻す。大導師の横を駆け抜けたジークが、祭壇の巨石へととりつき登ろうとしている。
「お待ちなさい。」
大導師もまた、穏やかな口調でジークを止める。
「お願いです……! 行かせてください……!」
床よりも一段上がった祭壇の上、巨石にすがりつくようにしてジークが言う。
大導師がしばらくその姿を見つめた後、ゆっくりと大きく息を吐き出す。
やがて、
「フィアナ。」
大導師は振り向き、傍らの少女へと視線を投げかける。
フィアナが一度小さく跳ね、やがて
それは、一本の短剣だった。
今ジークが登ろうとしている祭壇とほぼ同じ色、黒緑色の刀身を持つ片刃の短剣。極めて装飾の少ない無骨な短剣の、刃の部分はジークの肘から手首ほどの長さがある。
「これは……?」
「古くよりこの神殿で、フィアナの名を継ぐ者によって継承されてきた短剣です。必ず、あなたの役に立つことでしょう。」
問いかけるジークに大導師が答える。ジークが再度短剣へと視線を落とす。そして、
「――ありがとうございます。」
そう言うと彼は短剣を片手に握ったまま、目前にそびえる巨石の上へと両手をかけた。
「ジーク。」
再びシアルヴィが、今度は落ち着いた口調でその名を呼んだ。
「必ず――無事で――」
振り向いたジークが真っ直ぐにその目を見やり、そしてしっかりと頷いてみせる。
そしてシアルヴィが一度目を伏せ、再度視線を上げたとき、銀髪の青年はしなやかに身体をひるがえし、闇の広がる空間の中へとその身を飛び込ませていたのだった。
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