第5章 第5話 迫られる決断

「……ここは、一体?」

どれほど時が経っただろう。

 閉ざされた部屋の中、ジークは静かに目を開いた。


 ゆっくりと身を起こし、辺りに目を走らせる。

 建物の中であることは間違いない。

 石造りの壁と床、木を打ち付けただけの粗末な寝床。鉄製の扉は重々しく、簡単に開きそうにないことはすぐにわかる。

 窓は一つ。自分の背丈よりも高い位置にあるその窓からは冷たい風が吹き込んでおり、そこには縦に数本、鉄の格子がはめられていた。


 青年は寝床を離れると窓の下へと歩みを進め、そして見上げる。

 跳躍し、伸ばした手を格子へかけると懸垂けんすいの要領で体を引き上げ、格子へと額をあてると、その隙間から外の様子を窺おうとする。


 地面は見えない。視線の先には白い石造りの城壁が見える。

 だがその位置は低く、彼は自分が随分高い位置にいるのだと気づく。

 さらに先には険しい山々。

 その頂に雪を抱き、茶色い岩肌を露出させる表情は、ヨツンヘイムのものとも、アルスターのものとも異なっていた。


 ここがどこであるのか。一つの可能性が思い浮かぶが、その国の風景を知らない以上、そうだと断言することはできない。

 それにヨツンヘイム北部からその国はきっと遠い。

 もしもそうであるのなら、自分は随分と長く眠っていたということになる。


 格子から手を放し、床へと降りる。

「どこなんだろう……ここは。」

再び言ってから彼はゆっくりと、その手の平へと視線を落とす。


「……もう二度と、失いたくない……?」

あの時の感情を唇へと乗せ、視線の先の右手を固く握る。

 あの時、シアルヴィへ手を伸ばそうとした時、自分は確かにそう思っていた。

 しかし、なぜ――


「前にも確か……こういうことがあった。」

確信は、ない。

 だが、そうとしか思えぬ感覚が彼の中には戻りつつあった。


「シアルヴィさん……」

 落馬した後の記憶はない。シアルヴィはどうしただろう。

 彼のことだ。自分を捨てて逃げるような人間ではない。

 だとしたら共に拘束され、この場所に連れてこられている可能性は十分にあった。

「あなたは今、どこにいますか……?」


 応えるように響くのは、金属の錠が外れる音。

 背後の扉が開き、あわてて振り返ったジークがその後ろの壁へと背中をつける。


 現れたのは黒髪の青年。年齢的にはジークとほとんど変わりはしない。

 だが背中に剣を背負い、漆黒の服に彩られた雰囲気は、一介の兵とはとても思えず、ジークの感覚を言い知れぬ不安が支配していった。

 そして、その予想を肯定するかのように、あの朝孤児院を訪れた者達と同じ――帝国軍服をまとった兵士二人を後ろに従え、青年はゆっくりと彼の部屋――牢の中へと侵入してくる。


――この男は危険だ。

全ての感覚がそう教えてくるが、背後に壁がある状況では身を引くことすらかなわない。

「押さえろ!」

青年の命が響くと共に、兵士二人が機敏な動きで脇へと回り、ジークの腕を両側から抱き込むと、背中を押さえて膝をつかせる。


「放せ!」

足掻いてみても、両側を屈強な男二人に抑えられていては、その抵抗は意味をなさない。

 黒髪の青年が近づいてくる。

 そして、視線を合わせるようにわずかにかがみ、冷たい笑みを浮かべると、ジークに対して語りかけるのだった。

「そろそろ、目を覚ます頃だと思っていたよ。」

「――!」

 その目に精一杯の抵抗を込めてジークは見上げる。

 黒髪の青年の赤と琥珀、左右で色をたがえた瞳が獲物でも見据えるように、ジークのことを見下ろしている。


「ここから出せ!それにシアルヴィさんは、シアルヴィさんはどうした!」

不安を押しのけようとするかのように、声を荒げるジークの言葉。

 だがそれに対し、黒髪の青年はおかしそうに口元を抑えると、立ち上がりながらゆっくり振り向き、ジークの視線の先へ一つの何かを落としてみせた。


 ジークの視界を一枚の幕が遮って落ちる。

 床へと落ちた一枚の布。最初は、その意味が理解できなかった。

 だが、元々は白であっただろうその布を、元の色もわからぬほど赤黒く、まだらに染めるものの正体に気づいた時、そしてその布が何であったのかに気づいた時、ジークにはわが身の震えをどうすることもできなかった。


 それは、一枚のスカーフ。シアルヴィが常に首元に巻いていたもの。

 そして、それを染めているものの正体とは――



「シアルヴィさんを、どうした!」

感じたのは、予感。

 それでも飲まれまいと声の震えを必死に抑え、食って掛かるジークに返されたのは、青年の、あまりにも非情な答えだった。


「――刑は決まって、すでに執行されたよ。」


 ジークの視界が闇に飲まれる。意識が遠くなり、力が抜けるが、倒れることすら許されない。

 兵士二人にその意識ごと引き上げられ、彼は下を向いたまま、ただ唇を噛むことしかできなかった。


「なぜだ――」

「ん?」

「なぜだ! なぜ、シアルヴィさんを!」

言って直後、ジークはある事実に気づく。

――そうなのだ、シアルヴィは――


「わかりきったことを聞くんだね、君は。」

ジークの思考を見透かしたかのように青年が振り返り、ふたたび彼の前へと膝を曲げる。

「彼はもともと死刑囚だ。執行中の逃亡により、それがいままで伸びていたに過ぎない。

 それとも、君は聞かされていなかったかな?」

「――」

「それにね――」


 突如頭部に走った痛みが、ジークを強引に上へと向かせる。黒髪の青年が、彼の長い前髪をその根元からつかみ引き上げていた。

 ジークの目に、青年の冷たい瞳が映る。

「本来なら君にだって、彼と同じ刑が処されたって不思議じゃない。」

「――!」

驚愕するジークに青年はさらに言葉を続ける。


「君は『死神』をそうと知りつつ、ずっと一緒に行動していた。そればかりじゃない。

 君は彼と一緒に、アルスターでもヨツンヘイムでも、僕らの邪魔をしてくれたね。」

ジークは答えない。

 先に告げられた言葉により、思考のほとんどは停止していた。

 ただ青年の伝えた言葉に、そうなるのもいいかもしれないなど、半ば絶望的な答えも彼の中には渦巻いていた。


「でもね――」

言って青年はジークの髪からその手を放す。

「僕は、君を評価しているんだ。」

「え――?」

「ヨツンヘイム平原での君の魔法。実に見事だったよ。」

「!」

――この男、知っている――!?


 だが、なぜだと思う間もないほどに、青年の言葉は容赦なく続く。

「魔法兵を魔族化させ、アールヴヘイムもろともヨツンヘイムまで制圧する計画。まさか君一人に邪魔されようとは、思いもしなかった。

 ……素晴らしい力だよ。その力、ぜひ僕の手元で発揮してほしい。

 君も気づいているんだろう? 自分は人間じゃない。ましてあんなバケモノすら蹴散らせる力を持つような存在なんて、人の中で生きていけるはずなんてないってこと。」

「それは――」

「もちろん断っても構わない。その場合、僕らは君をあの『死神』と同じところへ、送ってあげるつもりでいるよ。」


 ゆっくりと青年は立ち上がり、彼から一歩後ろへ下がる。

 追うようにジークがそれを見上げる。

 見下すような視線を投げかけ、最低限の感情を込めた言葉で青年は迫る。


「選択肢は君にある。さあ、選ぶがいい。

 ――服従か、それとも死か――」

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