第4章 第5話 密約

 木作りの大きな扉が開かれる。

 扉の先には広々とした空間が広がり、その奥には階段も見える。

 入ってきた人物に気付いた数人の兵士たちが席を立ち、頭を下げて挨拶をする。

 隊長が、応じるようにして微笑を返し、振り返るとその客人たちを宿の中へと案内する。


 こういった街の宿屋では一階部分を食堂兼酒場、二階部分を寝所とする宿屋も少なくない。

 この隊が取っていた宿もまた、そういったものの一つだった。


 兵士たちは一階部分、思い思いの場所に展開し、彼らの隊長を迎え入れる。

 だが、彼に続き入ってきたその客人に気付いたとき、兵士たちの間にはざわめきが広がっていく。

 しかし若い隊長は別段それを気にする様子もなく、食堂の片隅に長椅子つきの客席を見つけると二人の客人を案内し、自分もまた彼らと向かい合うように、一つの椅子へと落ち着くのだった。



「ジーク、彼はリーヴだ。五年前まであの孤児院にいた。

 ……今ではアールヴヘイム義勇軍の隊長だそうだ。」

シアルヴィに紹介され、リーヴが頭を下げる。


「シアルヴィ先生と知り合いだということは、君もあの孤児院にいたんだね。……懐かしいよ。」

「……」

ジークは無言だった。

 告げなければいけないことはあったはずなのに、こういう形で出会うとなると、どう告げればいいのか分からなくなる。

 加えて、先ほどから感じる得体の知れない感覚も、いまだそこに存在している。

 だがまさか、この相手に不信感を抱くことなどできるはずがない。

 彼もまたシアルヴィの教え子であり、愛されていた相手であることには変わりないのだから。

 続く沈黙。あたりの空気が重苦しくなっていくのを感じる。



「……リーヴ、説明してくれないか。先の話がどういうことなのか。」

しばしのときが流れ、沈黙を破るようにしてシアルヴィがリーヴに語りかける。

「え……でも……」

リーヴの視線がわずかに浮き、ふたたびジークの目線へと戻される。

 その内容が、初めて出会う相手を目の前にして話せるものではないのもあってか、彼の目は隠し切れない不安と疑問をありありとその場に示していた。


「……心配はいらない。彼もまた信頼できる相手だ。 帝国に関する事実なら、彼は私以上に知りたがっている。 そして、彼にはそれを知る権利が存在している。」

だが、リーヴの不安を見透かしたようにシアルヴィは語りかけ、そして付け加えるのだった。

 いや、あるいはそれこそが彼の目的であったのか。

「――彼は、あの場所の最後の姿を目にしている。」

「……!」

告げられた事実に、リーヴの目は大きく見開かれていた。


「まさか、あなたがここにいた理由も……、アルスターが襲われたって……まさか、孤児院は……」

「……すまない……」

目を伏せるシアルヴィ。答えはそれで十分だった。

 乗り出すようにして問いかけていたリーヴの身体が大きく傾き、そのまま床へと転げ落ちる。


 やがてリーヴはかすれるような声を残し、椅子を頼りによろめくようにして立ち上がると、こちらを見ようともせず、壁を頼りに店の奥へと歩みを向ける。

 追おうとするジークを、シアルヴィは腕をつかみ、引き止めていた。

 言葉ではなく、その目に追うなという感情を込めて。

 その深く悲しい瞳に、ジークもまたリーヴを追えぬまま、席にて彼を待つ以外に出来ることはなくなっていた。



 既に日が落ちたのだろう。外からさらに数人の兵士たちが帰ってくる。

 夕食を控え、あたりが騒がしくなる頃、ようやくリーヴが奥の部屋から姿を見せる。

 事実を知らされる前と同じに見える表情だが、赤く染まった目は真なる感情をそこに示し、彼の孤児院に寄せる深い愛情を、ジークは改めて知らされた気がしていた。


「全部、話します。僕らの任務のことも……」

リーヴが席につき、頃合を計ったように次々と料理が運ばれてくる。

 兵士たちが食事へと手をかけ、あたりは急に騒々しくなる。 ただ一つの席を除いて。

 彼らは出された料理に手をつけようともせず、そのまま会話を続けていた。


「数日前のことなのですが、ヨツンヘイムが国境付近に軍を展開しているという情報が入りました。あの国は表面上こそ中立ですが、内面では帝国とつながっている……この噂は、あなたも知っていることかと思いますが。」


 魔法王国ヨツンヘイム。

 沈黙の王国という別名でも呼ばれるこの国は常に ――かつての戦争の時も―― 帝国、アールヴヘイムどちらにも肩入れせぬまま、その中立を保ち続けていた。

 だが、帝国支配が大陸全体に及ぼうかという時代にその支配を受けない王国は、実は内部で帝国とつながっているのではないかという推測は、常に黒い噂として存在していた。


「……おりしも、諸国連合が帝国兵に襲われたという話も伝わってきました。

 南からは帝国、そして北から帝国、ヨツンヘイム両軍に攻められたとしたら、この国にそれを守りきるすべはありません。だから、そうなる前に、ヨツンヘイムだけでも止めておかないと……」


 ここまで言って、リーヴは机の上に身を乗り出し、小さな声で二人に伝える。

「僕らは、密命を受けてヨツンヘイムへ向かっています。……届けるのは、アールヴヘイム議会の決定した密約。国王の命令を受けて、それを届けるのが僕らの役目です。」

「……密約?」

「アールヴヘイム、ヨツンヘイム間の不可侵条約。その締結を彼らに促す書状です。」

「……もし、それが受け入れられない場合は。」


 ヨツンヘイムが受け入れる可能性は低いだろう。

 もし本当に帝国と内部でつながっているとするなら、帝国、アールヴヘイム間が戦争を始めようかとするこの時期、この国と密約を結ぶであろうことは考えにくい。

 万一それが帝国にまで知られようものなら、帝国の牙はヨツンヘイムそのものにも向かうかもしれないのだ。


「その場合は……戦闘もやむを得ません。」

「国境にいるヨツンヘイム兵がどれほどの規模なのか、わかってもいないのにか?」

 広い宿屋とはいえ、その一階部分に収まるだけの兵士。

 一国の軍を相手にするには明らかに人員不足だった。


 この者たちは、助からない。それは誰しもが、そう思えるような状況だった。

 おそらくはリーヴ自身も分かっているのだろう。だが、分かったところでどうしようもない。

 アールヴヘイムに戦力はない。それは――七年も前から分かっていた。


「さあ、食べましょうよ。せっかくのご飯が、冷めてしまいますから。」

気分を一転するかのようにリーヴが笑顔を浮かべると、それまで彼らを邪魔しないよう机の端へ置かれていた料理を、それぞれ自分と客人の前へと移動させる。


 だがこのとき、強がって微笑むその表情が目の前の客人らに更なる決意を抱かせていたことなど、当のリーヴには知る由もなかったのだった。

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