第4章 第4話 夕闇の街で
国境都市、ミーズ。
アルスター諸国連合最後の都市にして、アールヴヘイム、ヨツンヘイムへの中継点ともなる諸国連合最大の街。
この街より北はアルスター諸国連合。
南へ向かえば、東にアールヴヘイム、西にヨツンヘイム領が広がる。
この東西の二国は国境を接するものの、その国境は険しい山々の連なりであり、その往来には山脈を北へ、あるいは南へと迂回することが多い。
北側を通る場合、その道筋には当然この街も含まれることになり、結果として人の往来も多いこの街にはさまざまな物流が、そして繁栄がもたらされてきた。
だが、今この街にはどこか闇が感じられる。
通りを行き交う人の数は
その顔はどこか険しく、悲しみや絶望も感じられる。
街の入り口の門柱へと背中を預け、目を伏せていたシアルヴィが、まぶたに映る光の変化に気付きふと顔を上げる。
赤く染まり始める空。国境の街に夕闇が迫り始める。
彼の友はまだ、街に入ったきり帰ってきてはいない。
――たまには、こんな日があってもかまわない。
この街への到着は日がまだ空の頂にある時刻だった。
彼は友に告げた。今日一日は自由に過ごしてかまわないと。
明日にはアールヴヘイム、もしくはヨツンヘイムへと入ることになるが、それで旅が楽になるわけでもない。
いや、戦場に近づくため、なお過酷なものになる可能性のほうが高い。
このあたりで休息は必要なのだと思う。
これから先、こういう日は取れなくなるかもしれないのだから。
目を開けば、いやおう無しに自分に注がれる視線の意味に気付かされる。
通りを行く者たち。指を指す者、
注がれる視線は冷たく、風に混じって聞こえる声は自身のかつての呼ばれ名を告げる。
アルスターではあの日まで、自分が過去を隠して生きることは可能だった。
自分がすでに亡き者だとされていたことが最大の理由であったことは言うまでも無いが、それ以前に、長い距離を移動した情報は、彼らに伝わる前にその正確さを欠いていた。
疑う者がいなかったわけではないが、それでも変わり始めた彼の前ではその疑いは、どれほどの時も立たずに立ち消えていった。
だがそれもここまでアールヴヘイムに近づいていては、そしてかの国が再び侵略国と化した今では、もはや誤魔化すことは出来なくなっていた。
自分がこの身であり続ける限り、自分からその名が消されることはない。
再び目を伏せ、シアルヴィは門柱へと寄りかかろうとする。そのときだった。
「――先生?」
不意にかかった声に彼は視線を元へと戻す。視線の先には一人の青年。
「シアルヴィ先生、ですよね。」
一瞬人違いかとも思ったが、青年の見ているのは明らかに自分だった。
妙に懐かしいその呼ばれ名。
孤児院が失われた今、自分がそう呼ばれることは決してないと思っていた。
記憶をたどり、自分をその名で呼ぶものを探し、
「……リーヴ、なのか?」
疑問を残し問いかけるシアルヴィに対し、青年ははっきりとうなずいていた。
「まさかこんなところでお会いできるなんて、思ってもみませんでした。」
言って青年、リーヴは笑いかける。
シアルヴィにしてもその感情は同じだった。
だがその青年の衣服が、その胸元に輝く紋章が、彼に素直に喜ぶことのできない感情を与えていた。
アールヴヘイム国章。階級を示す階級章。それは、一般兵では付けられるはずのないものだった。
「君は今年で
「そうです。あの孤児院でお世話になってから、もう五年になりますね。」
「その制服……アールヴヘイム軍のものだな。だが、一般兵のものではないだろう。
隊長クラスにでもならないと支給されないものであるはずだ。」
孤児院にいた頃、彼は穏やかな性格の持ち主だった。
人を傷つける事を嫌い、つねに他者を思いやろうとしていたその彼が軍に、それも隊長となっていることなど、かつてのリーヴを知るシアルヴィにはすぐには信じられることではなかった。
「……スラシルが、弟が死にました……」
わずかな静寂が流れ、シアルヴィの問いかけに表情を曇らせた青年が、小さな声でそう答える。
スラシル、それは彼の弟の名であり、またかつては兄とともにシアルヴィの孤児院で生活していた少年だった。
「孤児院を去ってから僕らは最初、ヒミンビョルグに住んでいました。 たとえ一度は離れたとしても、僕らの故郷はいつまでもあの町だけでしたから。
……でも一年前、帝国の襲撃を受けて、そのときに……」
「……」
「それで、僕は軍に参加したんです。 国のために、弟のために、僕にも出来ることはあると思って。」
そこまで言って、リーヴは一度大きく息を吐く。
「……今ここに僕がいたのも、軍の任務なんです。 帝国へ抵抗するため……ヨツンヘイムへ向かうようにと……」
リーヴの表情が大きく陰る。
「……この近くに、僕の隊がとっている宿があるんです。一緒に、来てくれませんか?」
「……ああ。」
断ることなど出来なかった。
この言葉の意味を自分は知っている。そうさせてしまった理由も、十分すぎるほど分かっている。
ジークが街から出てきたのは、まさにそのときだった。
シアルヴィに気付き、駆け寄ろうとするジーク。
しかし間近まで近づいた彼は、一瞬その身に何かを感じたように、思わず足を止めるとそちらへと視線を向けるのだった。
相手はシアルヴィの脇に立つ青年。
突如現れたジークにわずかに
「リーヴです。はじめまして。」
「……はじめまして。」
はじめまして、ではなかった。
この青年は先ほど、広場で目にした相手だった。
だが先ほどとは明らかに異なる雰囲気が、今、彼の周囲からは感じられる。
それが何ゆえであるのかなどジークには確かめるすべはなかったが、この感覚に感じる奇妙な既知感は、彼に何かを訴えるように感じられた。
「それでは、向かいましょうか。」
リーヴがそう告げ、先にたって歩き始める。
彼の周囲を包む雰囲気に一抹の不安は感じたものの、それでもジークもまた彼とともに大通りを歩み始めるのだった。
日はその片鱗のみを地上に残し、あたりには夕闇が広がっていた。
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