第4章 第3話 決意

――この世界において魔法として存在する能力には、現在八つの属性が存在する。

火、水、風、雷、闇、光、生命、空間。

 このうち八つ目の属性となる空間魔法は操ることが特に困難であり、その操作には非常に高い魔法力が必要になる。


 魔法はその属性に対応する、ときに紋章とも呼ばれる、魔法陣にも似たいんを描き、その効果に対応するいんを唱えることで発動する。


 一つの印から発動される魔法であっても、その韻が違えば、その効果は全く別のものになる。

 また、印のみで発動させることも可能ではあるが、その効果は韻を伴うそれに比べれば、ごく原始的なものである。

 例として火の魔法を考えた場合、印だけの発動ではそれは単なる火球に過ぎないが、炸裂の韻と組み合わせることで爆発の魔法に、拡散の韻と組み合わせた場合は炎の雨となってその対象へと向けることが出来る。

 なお、より高度な韻であるほど、その発動にはより高い魔法力が必要とされることを追記しておく――



「違う……」

比較的大きな国境都市の公立図書館。

 壁へと向かい、立てられていた本の一冊へと目を通していたジークの手がふと停止する。

「違う……ない……どうして……?」

彼が目を通していたのは魔法について述べられている一冊の魔道書だった。

 そこには魔法を操る上で必要なさまざまな知識、さらにはその発動条件までが事細かに記されていたが、そこに描かれた印、すなわち魔法発動の条件となる紋章の中に、彼は自身の操るそれを見つけることができずにいた。


 回復魔法である以上、その属性は生命である可能性が最も高い。

 事実、生命属性の魔法欄には回復魔法の項目も含まれている。

 だがその項に書かれている紋章は、彼が魔法を唱えるときに用いるそれとは明らかに異なっている。

 まさかと思い一通りの紋章には目を通すが、そのいずれもが彼が印とする紋章に一致するものではなかった。


「でも、この力は幻じゃない……」

本を開いた状態のまま左手に抱え、力を抜いた右手のひらへと視線を移す。

 かの紋章を描き、韻を唱えたとき、この右手は確かに効果をそこへ示していた。

 柔らかな光。人を癒すことの出来る力。

 存在しない紋章。だが、その力は確かに存在していた。

 今、自分の傍らにいてくれる大切な人を助けられたこと、それが何よりの証拠ではないか。


「ユグドラシルの……紋章……?」

ジークはふとつぶやいていた。

 この紋章は、書物で得た知識によるものではない。 ユグドラシルと対話し、その果てに自分の中に与えられた力。


 本来の『神聖なる一つの生命』が『全てを癒せる大樹』へと。

 人の伝承がこれほどまでに変えられるほど、あの場所に立ち続けていたであろうユグドラシル。

 『彼』の知識が、現在伝えられているそれと異なっているとしても、あるいは現在では失われているとしても不思議はない時間が、かの大樹の中には流れていたのだろうか。


「失われた紋章?  だとしたら、ぼくのこの力はなんのために?」

本を左手に抱えたまま、ふたたびそれを始めの項からめくりはじた彼の手が、ある項でふと止められる。

「これは……?」

だが彼の思考は直後、一瞬にして現実へと引き戻されていた。



 時を告げる鐘が響く。 窓へと目をやったジークが思わず声を上げる。

 窓の外には茜色の空。

 夢中になっているうちに、ずいぶん時間を取られてしまっていた。


「――いけない! 」

ジークはすぐさま本を元へと戻し、図書館を飛び出すと街の広場へ駆け出していく。


 そして友の元へと帰ろうと急ぐ、そんな彼の目にふと、広場を挟んで反対側、大きな雑貨店の前に立つ一人の青年の姿が映った。

 玄関の先で店主らしき女性と向かい合い、こちらに背中を向ける青年。

 普段なら気にもせず見逃してしまいそうな青年だが、ジークの足をその場へ留めさせたのは、その青年の雰囲気だった。


「……似ている。」

青年が身に着けていたのは黒色の軍服。

 国が異なれば軍服ももちろん異なっている。

 しかしそれは、彼がこの世界の軍服を見慣れていないためか、それともきっちりと着られたそれに既知感を覚えたためなのか。

 その青年に、ジークはあの朝、孤児院を訪れた兵士たちと似たものを感じ取っていた。


「それじゃあ、明日にはもうヨツンヘイムへ向かうんだね。」

「今までお世話になりました。……ここでのことは忘れませんから。」

風に乗って、二人の会話が聞こえてくる。

 だが一見普通に思えるその会話には、どこか悲しみと絶望が含まれていた。


「……頑張ってくるんだよ。あんたらにはまだしなくちゃいけないことがあるんだろ。」

「……ありがとう……お元気で……」

――今の会話は、まるで――

重苦しいまでの重圧。

 その意味を感じ取り、ジークはそのまま動けなくなっていた。


 やがてきびすを返し街の入口へと向かう青年の姿が確認できる。

 年齢的にはまだ若い、ジークとどれほども変わらないような青年だった。

 きっちりと着られた軍服。

 一文字に口を結び、真っ直ぐに正面を見据えた目にはどこか隠し切れない悲しみが感じられ、一瞬首元に輝いた銀の紋章は、彼の逃れられない枷のように感じられた。

 ジークが思わず、彼を追うようにしてその場を駆け出す。

たが広場の噴水のわきを抜け、その姿を探そうとしたとき、彼は大通りの人混みにのまれ、すでにその姿を探すことはできなくなっていた。


「いらっしゃい、お客さん旅の人かい?」

背後からかかった女主人の声に、ジークは振り返る。

「あの……今の人は……?」

やはりあの青年が気になったのだろう。

 視線だけは青年の駆けて行った方へとやりながら問いかけるジークに、女主人は悲しい笑みを浮かべるとこう答えていた。

「アールヴヘイム義勇軍の隊長さんだってさ。まだ、あんなに若いのにね。」

「……」

「あの子達の部隊もね、まだどれほども年のいってない子が多いんだよ。 そう、ちょうどあんたぐらいの年頃だね。」

「……」

「そんなまだ年端もいかない子にまでね、人殺しさせるなんてさ。 どうしてそんな時代になっちまったんだろうね。」

「……とめることは……出来ないんですか。」

「出来たらいいんだろうけど、もう、どうすることもできないよ。

 ……でもね、思うんだよ。 もし七年前までのあの戦いがなかったとしたらさ。今、こんなことには絶対なってなかったと思うのにね。」


 その言葉の意味は、もはや聞くまでもなかった。

 既に今までにも、同じ内容の言葉は何度も耳にしてきた。

 沈黙を破り、新たな力を得た帝国の脅威に脅かされた民が繰り返すのは、その言葉だけだった。


 彼らは恨んでいた。帝国を、帝国に仕えていた者を、そして帝国に脅かされていた過去を。

 そして恐れ、あるいは投げ出していた。現在を、それに続く未来を。

 自分たちでは何も、行動を起こさぬまま。


「あんたもさ、剣士なんだろ。 でもね、若い命を散らすようなことは絶対にしたらいけないよ。 あんたたち若い子達には、生きてやらなきゃいけないことは必ずあるんだからね。」

「……違う。……間違えてる、そんなの……」

「え……?」


 過去の上に現在はある。それはまぎれもない事実。

 だがそのために、現在を生きるものたちが犠牲となるのを黙って見過ごしていいはずはない。 過去を理由に、現在の生を奪うことなど誰にも出来ない。 過去は、現在を投げ出していい理由にはならない。


 過去をいくら恨んだところで、現在は何も変わらない。

 何もせぬまま過去を恨むぐらいなら、現在できることをしたほうがいい。

――人はなぜ、過去から逃れては生きていけない?


「――ぼくは、そんなこと認めない!」

そう言い残し身を翻すと、彼はそのまま青年を追うように飛び出していく。


 自分には過去はない。

 過去が取り戻されたとき自身がどうなるのかなど、今はまだ分からない。

 だがそれでも今だけは、自分は、自分の感情に素直でありたい。


――ぼくは、もう誰も傷つけたくない!

今一度そう強く感情を抱くと、彼は大通りへ向かい駆け出していた。

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