第4章 第1話 真実を求めて

――不知と誤算。

それが、七年に及ぶ帝国の沈黙についてのジークの問いに対する、シアルヴィが出した答えだった。


 帝国上層部が『紅い死神』の処刑を正式に公表したのは、彼が海へと消えて、一週間にもならないときだった。

 亡骸こそ見つけられなかったものの、海へと消えた時点で彼がかなりの傷を追っていたこと、また帝都近くの海域は潮の流れが強く、五体満足であったとしてもそこへ落ちればまず生存は不可能。

 これ以上待ったところで亡骸が上がることもないというのがその理由だった。


 彼らからしてみればその公表は、いかなる戦歴者であったとしても、裏切りにはかのような結末が待ち受けるという、見せしめとしての意味合いが強かったのだろう。

 だがその公表がもたらしたものは、彼らの思惑とはまったく逆の結果だった。


 彼らは気づいていなかった。 自国の民たちの感情に、そして自分たち直属の兵たちの感情にさえも。

 そして、それこそが彼らの最大の誤算だった。


 『紅い死神』がまだ帝国内にいたころから、急速すぎる領土の拡大は国内の至るところで不満を生み始めていた。

 税の高騰や、街を戦場の一部にされた住民たちの怒りは少しずつ膨らんでおり、しかし彼らの多くはその思考をおおっぴらにすることが出来ぬまま、怒りを蓄積させていた。

 また、急速な戦場の拡大は同時に人員の不足も招き、明らかに人員不足と見える領土は随所に点在し、後期のころともなれば、いくつかの拠点でその守備を傭兵に頼っているような状態までが発生していた。

 そして彼らの中にもまた、帝国上層部に不満を持ちながらも粛清を恐れ、思い切った行動を起こせないものたちは少なからずいた。

 そんな中、彼らの元へと届いたのが『紅い死神』処刑の報告だった。


 『紅い死神』ほどではなかったとはいえ、戦場において戦歴を挙げていた心ある兵たちの中には、自分もいずれは同様、用済みとなれば同じ処分が下されるのではないかという不安、ひいては不満が表れ始め、結果彼らは次々に離反。

 それを受け、そんな彼らの粛清を恐れていた一部の傭兵たちは野へとくだり、 またあるものは各地で暴動の首謀者となっていった。

 不満をためていた人民たちの行動も加わった暴動は、侵略に兵力をさき、各地で人員不足を引き起こしていた帝国には、すでに収めることはできなかった。

 結果、領土は徐々に縮小。 各地で帝国支配から独立した小国が乱立する事態になっていた。


 しかし、それらの国々の多くは国力、軍事力に乏しく、一年ほど前から急速に力をつけ始めた帝国の前には、ふたたびその領国と化す事を余儀なくされ、新たな力を得た帝国は再び、その領土をこの大陸全体へと広げようとしていた。



「――帝国が!?  一年前から急に?」

ジークがテーブルの上へと身を乗り出す。

 支えを揺らされ、立てかけられていた剣の数本がけたたましい音とともに床へと転がる。

 シアルヴィが落ち着くよう掌を下に軽く手を振ってみせ、座ったままかがみこむと、その双剣を拾い上げる。

 ジークもまたあわてるように身をかがめると、足元から自身の剣を拾い上げた。


 一年前。それは彼がシアルヴィに保護されたのと、ほとんど同じ時期にあたった。

 ジークの感情に気づいているのかいないのか、シアルヴィは双剣を再びテーブルへと立てかけると、ゆっくりと続きを語りはじめる。

 彼らがいるのは宿屋の一室。

 安宿ではあるが、アルスターを追われた彼らにとって、それは久々の温もりのある空間だった。


「……それまでおとなしくしていた帝国が、なぜ急にそれほどの力をつけたのかはわからない。

 だが見てきたものの話では、彼らの兵とは、およそ人ではない姿をしていたものだということだった。」

「……まさか、アルスターを襲った不死者たちは……!」

「可能性は、十分にあるだろうな。」


 ジーク、そしてシアルヴィの脳裏には、数日前アルスターで目にした不死者の群れが、今なお鮮明に焼き付けられていた。

 もしあれが新たな帝国の戦力だというのなら、彼らは人間兵をくことなく確実に領土を拡大することが出来る。

 知能は人間に比べはるかに劣るとはいえ、数をそろえることができれば、他国の兵力を削ぐことは十分に可能であるはずだ。

 だが彼らは一体何処からそれを手に入れたのか。


「なぜ、そんなことが出来るんだ……」

ジークの声はかすかに震えていた。

 剣を握る手に力が入る。

 恐れではない。抑えきれない、やり場のない怒りだった。

「人間同士なのに、どうしてそんなことができるんだ。 なぜ、魔族までを犠牲にして……!」

「――!」


 ジークの発した言葉に、一瞬シアルヴィが驚きの表情を見せる。

 ふとジークの、人ではありえない容姿の理由が、その原因と重なって感じられる。 魔族を思う感情。人ではない容姿。

――まさか、ジークも?


 だが、一瞬自分の中に生じた感情をかき消すように、シアルヴィはかすかに首を振った。

 その正体が何であれ、ジークがジークであることになんら関係はない。

 しかしこのまま帝国との戦いに彼を巻き込んでいけば、いずれ来る結果は、今からでも容易に想像はついた。


「ジーク。」

彼が落ち着くのを待って、シアルヴィは語りかける。

「本当に、心は変わらないのか?」

ジークが首を縦に振り、肯定の意志を表現する。

「帝国を許せないのは、ぼくだって同じです。」

どうにか落ち着いたのか、ジークはようやく椅子へと腰掛け、その剣を自身の傍らへと立てかける。


 バスタード・ソード――垂直に立てれば、主の胸までもありそうなその長さは、 小柄なジークには大きすぎるようにも見えた。

 しかし、この比較的大きな街の武具店の中、彼自身が最も扱いやすいと感じたのはこの剣だった。

 刀身が長く、そして重く、扱いには技量を必要とする剣。

 それでもその剣を選んだ理由は、おそらく彼の記憶の中にあるのだろう。

 それは、その剣に似た武器を取り、戦っていたであろう記憶。


 しかしそれでもシアルヴィは、ジークをこの戦いには巻き込みたくないと感じていた。

 アルスターで起きた事象のすべての原因は自分にあり、ジークはただ巻き込まれたに過ぎない。

 だが、もしこのまま自分とともに行動を続ければ、今まで以上の苦難が彼の身に降りかかる可能性は十分にある。ここで別れようと言うシアルヴィに対して、しかし、ジークが首を縦に振ることはなかった。

――自分もあなたとともに戦いたい。

 あんなことをする帝国を、自分も許すことは出来ない――


 その答えは、もはや変えようもなかった。

 彼は再びその言葉をシアルヴィへと伝え、そして、こう付け加えた。

「それに、ぼくの記憶は帝国にある気がするんです。 ……ぼくは、行かなければいけないんです。」

 それは思考ではなかった。 感覚を含めた意識のすべてが、彼にそう告げているようだった。


「ぼくは、すべてを知りたい。この世界のこと、ぼく自身のこと。

 もうだれも、ぼくのせいで傷つけたくはないから――」

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