第3章 第9話 朝焼けの海へ
「――私は今まで、全てをかけてこの国のために戦ってきた――
なのに、この国が私に対する仕打ちはこれだというのか――」
「陛下のご命令だ。お前も帝国兵の一人なら分かっているだろう。
陛下のお言葉は、すべてに優先する。」
つぶやくように言うシアルヴィに対し、ヘイムダルの答えは冷たく響く。
「軍事裁判の必要などない。抵抗するようならその場で斬ってもかまわないとの仰せだ。 兵も用意されている……見ろ。」
ヘイムダルの声を受け、奥の岩山の影から姿を見せたのは、さらに十数人にはおよぼうかという帝国上級兵だった。
「――すべては――皇帝の手の内だったということか――」
謀られたのだと、シアルヴィは理解した。
シアルヴィの前に将軍の座をちらつかせておけば、本人がそれをのまずとも、出世欲と独占欲の強いウトガルドは必ず噛み付いてくる。
ウトガルド自体、技量はたいした男ではないものの、その剣の腕においては高く評価されるところであり、また彼の率いる上級兵にも手だれのものが多い。
『死神』の処刑には必要だと判断したのだろう。
だからこそ、同胞へと剣を向けたシアルヴィを皇帝は将軍に命じた。いや、命じたふりをしたのだ。
いや、ヒミンミョルグ攻略からもう、皇帝の策略は始まっていたのかもしれない。
これから先、戦闘は市街戦へと移る。 文民を斬らない『死神』なら、市街戦にその力は必要ない。
かの城砦戦こそが、彼をはかる最後の試験であったのだ。
もし城塞戦で非戦闘員をも殺せたなら理想。 彼が成せなかったとしても、あたりの兵士たちが果たせたのならそれでもよかったのだろう。
だが、シアルヴィは同国兵を殺害。逆に城塞内の民間人は逃がしていた。
それは事実上の反逆であり、またこれから先、『死神』が使えなくなることを皇帝に知らしめるには、十分すぎる結果だった。
文民を殺せない『死神』はもはや皇帝にとって、不穏分子の種でしかなくなっていた。
「必要のない人間は、斬り捨てるんだな――」
「……」
ヘイムダルは答えない。
無言のまま、次の魔法を唱えもせず、彼の姿を見下ろしている。
「いいだろう――かかって来い!
その身に刻め! これが『紅い死神』の最期だ!」
シアルヴィが双剣を抜き放つ。
結果など、はじめから分かっていた。
それでも、おとなしく斬られるわけにはいかない。
それは、『紅い死神』と呼ばれた男の最後の誇りだった。
普段なら上級帝国兵とはいえ『紅い死神』の前に敵うものは、そう多くはないはずだった。
しかし、先ほどの雷撃に傷ついた身体では、普段の力など出しようもなかった。
意思が身体に伝わりきらない。 剣に普段の速度は無く、かわしきれぬ攻撃が徐々にその身を傷つけていく。
劣勢は次第に色濃くなり、彼は追われ始めていた。
どれほど戦い続けたのだろう。
脚を引きずるようにして、撤退を余儀なくされた彼の前に、果てしなき視界が不意に開ける。
白み始める空。染まりゆく海。海へと張り出した崖の先端。
はるか下方に打ち付ける波は激しく、彼はその場に足を止めた。
「……ずいぶんと、てこずらせてくれたものだな……」
背後からかかる声。
振り向けばそこにはウトガルド、ヘイムダル、その後ろには十数人の上級兵。
用意された兵たちは、すでにその半数までが失われていた。
「その身一つで、ここまで抵抗できようとはな。 だが、それもここまでだ。
おとなしく、ここで斬られるんだな。」
ゆがんだ笑みを浮かべながら近づいてくるウトガルド。
シアルヴィがその目を見据えたまま、一歩下がる。
かかとの後ろからいくつかの小石が崖を下り、海の中へと消えていった。
「――お前になどにこの首はやれない――
私と共に逝くのだ――この首もまた、な――」
ゆっくりと両手を広げる。
すべての感情が閉鎖される。
周囲から急速に音が遠ざかっていく。
シアルヴィが一瞬
その身がゆっくりと後向きに倒れ、宙へと舞った。
ウトガルドが駆けるが間に合うはずもない。
水音だけを残し、彼の身体は逆巻く海へと飲み込まれていった――――
「――皮肉なものだ。 死のうとして飛び込んだ海流は、逆に海を越えて私を運び、あの孤児院近くの浜辺へとたどり着かせてくれた。
動けない状態だった私を介抱してくれたのが、その当時、あの孤児院にいた子供たちだったんだ。
……彼らに保護者はいなかった。 戦場へと向かい、そのまま戻ってきていないのだと子供たちには告げられた。
かつてそこにいた保護者の名はバルドル……私が……殺した男だった……
……私は、彼らの保護者となることを選んだ。
師の最期を看取った者だといった私の言葉を……彼らは、受け入れてくれた。
むろん、そんなことで、私の犯してきた罪の全てが洗い流されるとは思っていない。
だが、それで少しでも……この手にかけてきた者たちへの償いが出来るならと……
……そう……思っていた……
何人かの子供たちが孤児院を旅立って、また何人かの子供たちが入ってくる。
この繰り返しがずっと続けられると、そう思っていた。
……幸せだった……あの日までは……」
シアルヴィは静かに目を伏せる。
ジークには、かける言葉がなかった。
何を話しても、今のシアルヴィには苦痛でしかないであろうことは、彼にも容易に理解できた。
「彼らの言うことが本当なのだ。
今でこそ保父などをしていたが……、私は『死神』だ。
何をしたところで許されるはずもない罪をいくつも重ねてきた。
そして……何一つとして守れなかった……」
うつむき、自身を責めるように言うシアルヴィを、ジークはただ、静かに抱き寄せた。
「……あなたは……『死神』じゃありません……」
シアルヴィが震えているのが、感覚として伝わってくる。
「あなたは『死神』じゃない! あなたは……『死神』なんかじゃない!」
ジークにはただ、繰り返すことしかできなかった。
あふれ来る感情が喉を、声を震わせる。
唇を噛んだまま精一杯の想いで、彼はシアルヴィを抱き続けていた。
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