第3章 第4話 不死者の群れ
何が起こっているのかわからない。 先ほどから訳の分からないことばかりが起こる。
それでも唯一つ確かなこと。それは、自分のなすべきこと――
辺りを見回す。建物の影に、いくつもの影がこちらを
人に似た影ではあるが、感じ取られる気配は人のそれではない。
動こうとするが、先ほどから続く頭痛は、すでに耐え難いまでにその身を締め続けていた。
逃げなければ――
感情ばかりが急くが、動くことさえままならない。
膝を折り、大地へと突っ伏したまま、ジークはその場から動くことさえできずにいた。
かすかに自分の名を呼ぶ声が聞こえる。
もうここにはいないはずのその声の主に、それでもその姿を探し、顔を上げた彼に気づいたのか、視線の先の人影はまっすぐこちらへと駆けよってくる。
そして視線を合わせるように、彼の前にその身を低くしたのだった。
「ジーク、しっかりしろ!」
――シアルヴィさん――
身をかがめるように、自らを覗き込む相手。
だがその存在に感じた一瞬の安堵が、それまでかろうじて保たれていた彼の意識を一気に奪い去っていった。
「――町の人たちは、全員逃がしました――ぼくたちも――」
その真意を確かめる間もなく、言葉を最後に自身の腕の中へ崩れ落ちたジークの身体を、だがシアルヴィはしっかりと抱き止めていた。
「――よくがんばった――ジーク。」
瞳を閉じた友を、シアルヴィは静かに大地へと横たわらせる。
その身に外傷がないことにかすかに安堵し、精神的なものがその行動を奪った原因だと気づく。
実際、精神的な苦痛から引き起こされる症状に、ジークの身体が悲鳴を上げたことは今までにも幾度となく繰り返されていたことだった。
それでも、意識まで奪われるようなことは今までにはないことだったが、シアルヴィはその理由を孤児院の喪失、そしてこの町の襲撃という、自身の責任として受け止めていた。
「あとは――私に任せてゆっくり休め――」
シアルヴィはゆっくりと立ち上がり、あたりへと目を走らせる。
今、自分たちがいるのは町の中央付近、町で唯一の聖堂の前。
あたりには民家が立ち並び、食料品や日用品を扱う店の存在も見える。
その間を埋めるようにして立つ、人ではないものたち。
町の入り口からここへ来るまでにも
――
伝承や英雄譚に登場する、死に切れぬ屍たち。 武装した白骨、腐敗しゆく骸、布を纏った実体なき霊体。
伝承などでその存在は知られてはいても、こうして目にすることなどまずないと思っていた。
いや、存在すら信じてはいなかった――昨日までは。
だが、昨日目にした忌まわしきものが、シアルヴィにそれらの存在を信じる準備をさせていた。
そして、同時に不安を与えていた。
この魔物たちは、あの犠牲になった少女と同じ存在ではないのかと。
その不安を吹き飛ばしたのは、それまで彼らのそばに在りながら一瞬にして存在を消された民家だった。
内部からの爆風に破壊され白煙を上げるその地点に、その中に立ついくつもの影を確認するのに、そう時間はかからなかった。
現れたのは、十数体には及ぼうかという不死者の群れ。
建物を破壊したというよりも、爆発と共に建物内に現れたといったほうが近いだろう。
見れば、白煙は町のあらゆる場所から立ち上っている。
丘の上から見えたものも、おそらくはこうしたものの結果。
迷っている場合ではない。このまま放っておけば、同じ被害を増やすだけだ。
そして、いずれは人命さえも。
シアルヴィは腰の双剣へと手をかけ、自身の背後に横たわる友へと視線を向ける。
眠るように瞳を閉じたその存在にかすかに目を細め、口の中へわずかな言葉を残すと彼は、すばやく正面へと向かい直し、その双剣を一気に引き抜いていた。
―― 一瞬の対峙。
数度の銀光を閃かせ、距離をとったシアルヴィを追うように倒れる数体の不死者。
骸は黒き土へと還り、霊体は大気に四散し、白骨は乾いた音を残し大地に転がるが、それもすぐに土へと還る。
――実体なき骸か――
もともと不死者に仲間を思う感情などない。
ただ目の前にいる敵を倒すことだけが、彼らに許された唯一の感情。
だが戦闘用の思考すらほとんど失われているその存在など、ある程度鍛えられた剣士なら恐るるに足る存在ではなかった。
再び彼が地を蹴り、不死者の群れへと飛び込んでいく。
左の剣で繰り出される剣を受け止め、霊体の放つ火球を身をかがめてかわすと同時に、間近の骸がその右の剣に倒れる。
さらに身を起こすと同時に、両側に展開する双剣が数体の不死者を土へと還す。
一瞬空になった体の前面を狙おうとする白骨も、すぐに脇から薙がれた剣によって破壊され、同時に背後に回っていた骸もまた、その剣の
――炎――
意識を回復し、大地に横たわったままその光景を見ていたジークに、彼の存在はそう映った。
触れるものからその数を減じていく不死者の群れの中で、圧倒的な俊敏さを持ってそれらの中央に立ち、真紅の長髪をその動きに任せる存在は、まさに炎そのものだった。
だが――
「だめだ――」
ジークの言葉は風に消される。
「だめだ――戦わないで――!」
なぜ、そう感じたのかは分からない。
だがかろうじて声になったその言葉は、距離のあるシアルヴィには届いていないようだった。
幾度目かの火球を身をかがめてかわそうとしたシアルヴィの身体が、勢いのまま前方へと投げ出されたのは、その直後のことだった。
そのまま膝をつき、一瞬にして無防備になった背後に白骨の剣が迫り――しかし直後、彼の上空の空気は一瞬にして切り裂かれた。
「――!」
地に膝をついたまま、シアルヴィが背中越しに振り返る。
「――ジーク!」
目に映るのは、かすかに息を弾ませ、一本の剣を両手に構える青年の姿。
「シアルヴィさん、戦えますか!」
大丈夫ですか、ではなく、戦えますか――
ジークは気付いているのだ。今のシアルヴィの状態に。
そして、大丈夫か、などの問いかけが戦場において全く無意味だということにも。
「――ああ、もちろんだ!」
シアルヴィが身を起こし、再び双剣を構えなおす。
衣服を通して腹部に血がにじみ出てくる。
速やかに決着をつけなければ、開いた傷は再び自身を死の淵へといざなうだろう。
「――行きます!」
声を合図に背中越しにタイミングを計り、二人は同時に逆方向へと駆けだしていた。
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