第3章 第2話 仕組まれた罠
シアルヴィは一人、帝国へ向かう街道へと進路をとっていた。
離別は、彼とて本意ではなかった。
だが、自分はもうジークのそばにいることはできない。
帝国兵に――かつての同胞に自身の存在が知られた以上、自分が誰かのそばにいることは許されない。
自分に残されたのはこの復讐心だけ。 永遠に続く罪の意識だけ。
ただ一人、傷ついた身体を引きずるようにしながら、彼の心は再び、深い罪の意識に苛まれていた。
――この感覚は――!
少女に付き添っていたシアルヴィがその気配に気づいたのは、ジークが出かけてから、どれほどにもならないときだった。
その傍らにあった剣をつかむと、彼は一気に階段を駆け下りていた。
「せんせい?」
「――君たちは家の中にいるんだ! 決して外には出るんじゃない。いいね!」
普段見せぬ保父の姿にうわずった声で問いかける少年にそう告げ、彼はそのまま外へと飛び出していく。
すでに一度訪問していたその招かれざる存在に、今度は彼も心構えはしていた。
だが彼を待ち受けていたのは、その想像をはるかに超える、闇に包まれた時間だった。
来訪者たちは明らかに前回よりその数を増していた。
いや、数だけではない。
兵士たちの気から感じとられる力量は前回のそれよりも明らかに高い。
同じ衣服をまとっていても、精鋭部隊だけが持つその気配はどうしようもないほど強く感じられ、それは周囲を完全に包んでいた。
そして、薄ら笑いを浮かべ来訪者らの先頭に立つのは先日の朝と同じ、かの甲冑の男だった。
だが、今回まとっているのは甲冑ではない。
黒紫に染められ、金の縁取りの施されたその衣装は、前回の甲冑以上に彼が高位のものであることを示している。
また、前回は兜に隠されていたその表情が今回ははっきりと確認できた。
「ウトガルド――」
「ウトガルドさま、だ。貴様はまだ自分の置かれている状況が分かってないのか?」
その相手にシアルヴィは一瞬、その双剣の片方を友に預けたことを後悔する。
しかしすぐに残された一振を構えなおすと、次に来るべき瞬間に備えていた。
相手の自信が伊達や酔狂でないことは彼にはよく分かっていた。
そして悔やんでいた。
先日、彼に止めを刺しておかなかったことを。
「どうした。剣が一本ではないか。 さすがの『紅い死神』も七年という時の中では、その鎌も錆付いたとみえるな。」
「――ご冗談を。 あなた方の相手など、剣一本で十分だと言っているのですよ。
先日も同じようにして追い返されたというのに、あなたはもうお忘れですか?」
「追い返す? 間の抜けたことを。――われわれは追い返されたのではない。自ら
――ふざけたことを――
シアルヴィがそう言おうとした瞬間だった。
派手な音と共に階上の窓が砕け、思わずそちらへ目をやった彼の眼前に直後、異形の塊が飛び降りてくる。
金属音が響く。
落下とともに『それ』から繰り出された刃を、シアルヴィはとっさにその剣で打ち払い、返す刃をその胸に向ける。
だが着地と同時に後ろへ跳ぶ『それ』に、シアルヴィの剣は浅く皮膚を薙いだだけだった。
むろん、並の剣士ではこうはいかない。
最初の一撃に倒れるか、あるいはよけようとして次なる刃を無防備で受けるかのどちらかになる。
『それ』もこの相手の強さにはすぐに気づいたのだろう。 身を引いたまま喉の奥で、獣の声で唸りを上げる。
だがシアルヴィにしてもまた、距離をとった『それ』に初めて、それが今まで彼が目にしたこともないものだと認識し、 見たことのない『それ』に不安と、猜疑心にも似た感情を感じ取っていた。
見た目は獣に近い。
だが熊のような容姿に赤い瞳、二足歩行し左右の指先に曲刀の様な爪を持つ獣など、この世界には居るものではない。
先に彼を襲った一撃もその爪によるものだろう。
――戦闘能力なら、中の上程度といったところか。
左右それぞれ五本の爪は厄介だが、それでも戦闘能力なら自分に分がある。
このとき確かにシアルヴィはそう感じていた。
だが――
魔獣が再び大地を蹴る。
シアルヴィへと一気に間合いを詰めるが、その十本の爪も相手の一本の剣の前に、全くとしてそれに傷をつけることが許されない。
逆に、シアルヴィの視線が絶えず魔獣を射抜いている。
少しでも隙があれば斬るとでも言いたげに。
「いいことをおしえてやろうか。」
爪を捌きながら隙をうかがうシアルヴィに、ウトガルドが脇から声をかける。
「瘴気というものを知っているだろう?」
「……?」
「魔界とかいう世界の物質らしいな。 それを人間が摂取すれば、どうなるか考えたことはあるか?」
「――!」
「勘の良いお前のことだ。もう気づいたのだろう?」
「まさか――!」
「まだ未完成だ。変態が始まるのに時間はかかる。だが何日かかろうと、宿主の意識が消えされば、瘴気に宿る魔性は外へと出る。そう、そんな風にな――」
金属音を残し、はじかれた剣が宙へと舞う。
力負けしたのか、あるいは他の要素が大きかったのか。シアルヴィの剣は大きくはじかれ、その手を抜けると自らの後ろへ距離をとって突き立っていた。
「まさか――エリアンなのか――」
ウトガルドはゆがんだ笑みを浮かべる。
それで答えは十分だった。
「ついでに言っておいてやる。戻す方法があるとは思うな。 われわれはせいぜい高みの見物とさせてもらおう。
よろこべ! 愛する者の手で、あの世に送ってもらえるのだからな!」
丸腰のシアルヴィに魔獣の爪が迫り、そして赤い飛沫が散った。
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