第40話 憎悪

 以前見た物とは違うが、赤い豪華な、この場には似つかわしくないドレスを身に纏い、エミリアは優雅にその場に降り立つ。


「ザーク様はどうされたんですか……」


 第二隊の騎士に掴まれたままのエレノアはエミリアを真っ直ぐ見据えて問う。


「私の婚約者の名前を気軽に呼ばないでくださる?」


 エレノアの問に、エミリアはふん、と鼻で笑った。


「まだ……そんなことを言っているんですか?」


 どこまでも自分に妄信的なエミリアにエレノアは不気味さを感じて身震いをした。


「カーメレン団長の命は今やエミリア様の手中。お前と離婚するのも時間の問題だ」

「……! 脅したんですか?!」


 グランの言葉に、エレノアはもしかして、と焦燥感に駆られた。


「まあ、何て人聞きの悪い。毒を取り除く代わりに、この離婚届にサインをしてくださるよう言っただけですわ」


 ひらりと離婚届の用紙をエミリアが見せる。エレノアは心臓が跳ねながらそれを見る。しかし、用紙は白紙のままだった。


(サイン……されてない)


 エレノアが少し安堵したのち、エミリアは美しい笑顔を歪めた。


「何でなの?! 自分の命よりもこんなゴミとの結婚の方が大事だっていうの?!」


 ぐしゃりと用紙を握り潰し、エミリアは騎士に合図をした。


 騎士はエレノアをエミリアの前に跪かせる。


「ザーク様を愛しているなら、ちゃんと治療して! エミリア様!!」


 騎士に押さえつけられながらも、エレノアは必死でエミリアに訴えた。


「だから、私の愛しい方を馴れ馴れしく呼ばないでくださる?」


 エレノアの訴えはエミリアには届かず、彼女は目に怒りを宿し、エレノアを見下ろした。


「ああ、でも私の愛しい方ですから、死なない程度に毒の軽減はしてますのよ?」

「さすが団長です。毒に耐える体力があるみたいですね」


(この人たちは……人の命がかかっているのに何を言っているの……?)


 自分たちが世界の中心かのように、当然のように話すエミリアとグランに、エレノアは怒りがこみあげる。


「人を救う力があるのに、何であなたは……!」

「あら、だからでしょう? 私は特別ですもの。誰を救うかは、私が決めて良いのですわ」


 エレノアの問いかけにエミリアは愉悦に浸っている。


「本当はあなたからサインさせようと思ったのだけれど、イザーク様からしないと意味が無いですものね。あなたは捨てられるのよ」

「それに死んだ相手のサインはいりませんからね」

「なに……?」


 エミリアの後に続いたグランの言葉に、エレノアは恐怖を感じた。


「お前は、団長に婚約破棄されたのを苦に自害した、って筋書きさ。まあ、お前みたいな孤児が一人死んだくらい何ともないが、公爵家が絡むと面倒だからな」

「安心して? 死んだことにするだけですから。あなたは一生ここで私たちのために働くんだから。良かったわね? 本当は殺したいのに、神官長がダメだって言うから」


 エミリアからは狂気が感じられる。本当にエレノアを殺したかったのだろう。


「あら……」


 騎士に押さえつけられ、両手を床についていたエレノアの指にエミリアが目をとめる。


「なんて似つかわしくないものを……!」


 エレノアの薬指にはめられたイザークからの指輪を取り上げると、エミリアはそれを掲げるように見る。


「返して!! ……うっ……」


 反射的にエミリアに飛びつこうとしたエレノアは、騎士によってその場に縫い止められてしまう。


「ミモザはカーメレン公爵家の家紋。このサファイアも、イザーク様の瞳の色ですわ。……イザーク様ったら、私への贈り物をこんな泥棒に預けるなんて……」

「泥棒はそっちじゃない!!」


 エミリアは溜息を吐きながらも、指輪を自身の指にはめた。エレノアの抗議もまったく耳に届いていない。


「エミリア様を泥棒呼ばわりとは!」

「あっ……!」


 騎士に押さえつけられていたエレノアは、顔をグランによって蹴られて倒れ込む。


「泥棒はあなたでしょう? 私のイザーク様を横取りしたのだから」


 瞳に憎悪を宿らせ、今度はエミリアがエレノアの手を踏みつける。


「痛っ……」

「ふん、やっぱり汚い手ね」


 エミリアとグランは笑いながらも何度もエレノアを痛みつけた。


「エミリア様、使い物にならなくなりますのでそのへんで……」


 痛みに耐えながらも遠くなりそうな意識の中、神官長の声が入口から聞こえる。


「ふん、何でこんな卑しい子を」


 止めに入った神官長にエミリアは口惜しそうに言うも、神官長は宥めるように続けた。


「エレノアの聖水はあなたが作ったことになっています。大聖女の地位を揺るぎない物にするためにも何とぞ……」

「まあ、死ぬまで私の役に立てるのだから良かったわね。イザーク様も私が幸せにしてあげますから、安心してここにいなさい」


(ザーク様……会いたい……。一緒に私が幸せになりたかった。してあげたかった……)


 意識が遠のきそうになりながら、エレノアの脳裏にはイザークの笑顔が蘇る。


 いつも嬉しそうに、甘く微笑むイザークに何よりも幸せをもらっていたのはエレノアだ。


(もし、みんなが言うように私がザーク様にあんな顔をさせていたのだとしたら、私はこの先も……)


 冷たい床に転がるエレノアは、意識が消え入りそうになりながらも目から涙がこぼれ落ちる。


「エレノア!!」


 意識を手放そうとしたとき、一番聞きたい声がエレノアの耳に飛び込んだ。

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