第29話 団長

「エレノア、遅くなってすまなかった」

「ううん、助けてくれてありがとうございます、ザーク様」


 エレノアの言葉を聞いたイザークに、抱かれた肩を寄せられ、彼の胸の中に収まったエレノアは、今になって怒りと怖さで震え出す。


(あんなあからさまに侮蔑されたの久しぶり……。最近の私は本当に恵まれていたんだな)


 イザークのミモザの香りに包まれ、エレノアは落ち着きを取り戻した。


「あ、ザーク様、王城の用事はもう終わったんですか?」


イザークの胸から身体を離し、エレノアは顔を上げて、何故イザークがここにいるか尋ねる。


「ああ。騎士団に戻って来たら、エレノアが騒動に巻き込まれていて心臓が止まるかと思った」

「ご、ごめんなさい?」


 心底心配そうな瞳でこちらを見るイザークに、エレノアもつい謝罪の言葉が出る。


「エレノア、もう無茶はしないで欲しい」

「ええと、ああいうのは許せないのでお約束は……」


 懇願するイザークに、エレノアは上目遣いでしどろもどろに答える。


(搾取されていた頃の反動かな。つい口出ししちゃったんだよね……自分でもびっくり)


 教会にいた頃は、何の疑問もなく、そういうものかとひたすらに言いなりだった。


 でも、今は違う。おかしいことはおかしい、とエレノアは口に出して言った。


「君らしいな……」

「え?」


 そんなエレノアをイザークは眩しそうに目を細めると、大きな掌をエレノアの頬にやった。


 すり、と撫でられる手が温かくてくすぐったい。


(ザーク様にこうされるの、好き……、え? 好き、って何を?!)


 絡む視線が熱くて、でも逸らせなくて。


 エレノアは心の中で忙しく葛藤しながらも、動けずにいた。


 ひゅ〜う


 二人のやり取りを見守っていた第一隊の騎士たちだが、たまらなくなって野次を飛ばし始めた。


(忘れてた!! ここは訓練場で、みんながいて……!!)


 顔を真っ赤にさせたエレノアがイザークを見ると、イザークの顔も赤くなっていた。


「す、すまない……」

「い、いえ……」


 お互いに真っ赤になりながら、その場に佇んでいると、サミュが声をかけた。


「エレノア様、庇っていただきありがとうございました」

「そ、そんな。かえって迷惑をかけてすみません」


 人懐っこい笑顔でお礼を言うサミュに、エレノアが慌てて誤りながら会釈すると、サミュはエレノアの身体を起こさせてニカッと笑う。


「嬉しかったですよ……やっぱりあなたは、僕の女神です」

「め……」


 サミュの大袈裟な言葉にエレノアが顔を赤くすると、すぐ後ろから冷たい空気が流れた気がした。


「わ、団長!! 奥様に手を出したりなんてしませんよ!! ただ、僕はエレノア様を崇拝しているってだけで」

「どんな目でもエレノアを見るのは許さん」


 慌てて弁解するサミュ。どうやら冷たい空気の正体はイザークだったようだ。


 イザークはエレノアの前に歩み出て、エレノアを隠すように言った。


「ヒューヒュー! お熱い!」

「サミュ〜、お前が悪いぞー」


 イザークの言葉に、その場にいた騎士たちからどっと笑いが起こった。


「そ、そんな〜」


 サミュはそんな騎士たちの野次を聞きながら、泣きそうな顔で笑っていた。


(あ、やっぱりいいな。空気が変わった。さっきの第二隊の人……あんな人も騎士団にいるんだ)


 第一隊の騎士たちを見回しながら、エレノアは先程のグランの態度に不安を覚えた。


「……ところでエレノア、これは俺に……?」


 思考を巡らせていたエレノアに、イザークがすぐ横に立ち、先程受け止めてくれたバスケットを差し出した。


(あ、そうだ、忘れてた……)


「団長、それは褒賞ですよ」


 エレノアが答える前に、サミュがやって来ていたずらっぽく言った。


「何……?」

「今からトーナメント式で稽古をしますので、勝者がそれを食べられます」

「……それは俺も参加して良いんだろうな?」


 サミュの説明に、イザークが低い声でギラリと言う。騎士たちからは、「ええー」とか「そんなー」といった悲鳴が上がった。


「ザーク様の分は避けてあるから参加しなくても……」


 ポツリと呟いたエレノアに、エマがポン、と肩をたたいた。


「エレノア様、黙っておきましょう? イザーク様の戦う姿見たくありません?」

「それは……見たいわね」


 コソッと耳に入ったエマの誘惑に、エレノアは負けて、イザークには黙っておくことにした。


 それからエマと並んで、第一隊の稽古を見学したが、イザークは容赦なく騎士たちを倒していき、決勝戦はサミュとの一騎打ちになった。


 騎士たちからは「ずるい」とか「やっぱりな」とかブーイングが飛んだが、久しぶりにイザークに相手をしてもらえて嬉しそうだ、とエマから説明された。


「団長、エレノア様のケーキは僕がもらいますよ!」

「エレノアの作った物は誰にもやらない。というかサミュ、何でケーキだと知っている?」

「先程エレノア様に見せてもらったからですよ」

「くっ……」


 自分のケーキが挑発材料にされているエレノアは、何だか恥ずかしくていたたまれない。


(な、何でケーキごときでザーク様もあんなに真剣に……)


 それからイザークとサミュの剣の打ち合いが始まった。第一隊の隊長を任されるだけあって、サミュの剣筋は早く、動きも軽やかだ。


 それを受け流し、イザークも重たい一撃を放つ。


(わ……、凄い! さっきまではそんなに動いていなかったザーク様の剣が、サミュ相手に凄まじくなってる!)


 思わず前のめりでイザークの剣筋に見惚れるエレノアに、エマがぼそりと耳打ちをする。


「エレノア様が見てるので張り切ってますね」

「ええ?!」


 とても張り切っているようには見えないイザークに、エレノアが目をやると、イザークと視線がぶつかる。


(う、わ……)


 真剣な表情のアイザークに胸が跳ねると同時に、イザークがエレノアにふわりと笑うと、勝負は一気に片が付いた。


 ざんっ、とサミュが地面に倒れると同時に、イザークの剣がサミュのすぐ横に突き立てられる。


「はっ、はっ……、団長……、やっぱ強え……!」

「お前もますます腕をあげたな。第一隊を頼むぞ」


 倒れ込んだサミュに手を差し伸べ、イザークはサミュを起こす。


 わっ、と第一隊の騎士たちからは歓声が上がった。


「エレノアの差し入れは俺のものだな」


 にっこりとバスケットに駆け寄り、口付けをするイザークに、サミュがぶはっ、と吹き出した。


「団長、台無しですよ」


 サミュの言葉に、騎士たちも続いて大笑いした。


「どんだけ奥さん好きなんですか」

「エレノア様すげー」


 そんな声がエレノアにも届き、エレノアはただ顔を真っ赤にするのだった。

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