第30話 幸せ

「エレノア、最近楽しそうだね」


 イザークの剣術を見て、興奮冷めやらぬ翌日、エレノアが作成した果実飴を包んでいると、女将から嬉しそうに声をかけられた。


「そう、ですか……?」

「ふふ、そうだよ」


 女将の言葉に首を傾げながらも答えると、女将はより笑顔を増して答える。


「女将さんと果実飴を作ってた日々も楽しかったですよ?」


 一緒にいた頃は楽しくなさそうだったのかと不安になり、エレノアはつい言い訳じみたことを言ってしまった。しかし女将は優しい笑顔のまま答えた。


「そうだね。一緒にこの果実飴を作り上げた時も楽しかったし、エレノアにもやっと笑顔が戻って安心したのを覚えてるよ」

「女将さん……」


 行き倒れたエレノアを拾って、住まわせてくれた女将が、改めて自分に心を傾けてくれていたことに心がジンとする。


「でもね、エレノア。今のあんたは、幸せそうな顔をしている。楽しそうだけど、どこか何か諦めたような目をしていた頃とは違う」

「幸せそう……?」


 優しい顔でエレノアを見つめる女将は、エレノアの頭を優しく撫でた。


「エレノア、あんたは幸せになっても良いんだよ?」


 エレノアの心を見透かしたような、そんな優しい笑顔で女将が言うので、エレノアは泣きそうだった。


「それ、エマにも言われました」

「ふふ、そうかい。だったらなおさらだね」


 泣きそうな自分を誤魔化すようにエレノアが笑うと、女将も見ないふりをして笑ってくれた。


「私、温かい人たちに囲まれて本当に幸せです」

「だから、これ以上望まないのかい?」

「!」


 自分は幸せ者だと、本当に心から思っている。だけど、心の奥底に閉じ込めた思いを女将に言い当てられたようで、エレノアは息を呑む。


「すみませーん」


 エレノアが答えられずにいると、店の勝手口から声がした。表ではエマが果実飴を売り捌いている。この時間、勝手口に来るのは果実の仕入先か、果実を買い求める客だ。


「はいはい」


 女将は急いで勝手口に急ぐ。


 エレノアは包み途中だった果実飴に目を落とし、再び包み始めた。


『イザーク様への気持ちを、ゆっくり考えてみてください。わかれば、イザーク様の胸に飛び込めば良いだけの、シンプルなことだって、わかるはずです』


 いつかのエマとクッキーを作りながらした会話が頭に浮かぶ。


(ザーク様は私に気持ちを伝えてくれた。私は……どうしたいの? 本当にこのままザーク様に飛び込んでも良いの?)


 ぐるぐると答えが出ずに頭を悩ませていると、女将がパタパタと帰ってくる。


「エレノア、申し訳ないんだけど、果実の配達をしてくれるかい?」

「はい。構いませんけど、どうしたんです?」


 女将は慌てたように注文書を見比べながら、果実を籠に入れていく。


「こ、今度はバーンズ侯爵家からの注文だよ! エレノアに持ってきて欲しいって」

「ええ?!」


 バーンズ侯爵家って聞いたことあるな、とエレノアは首を傾げながらも驚いた。


「エレノアは凄いお客を連れて来るねえ……」


 女将は感嘆しながらも果実を素早く籠に入れている。


(カーメレン公爵家に呼ばれたのは、教会糾弾のための話だったからで……。侯爵家が私に何の用?)


 カーメレン公爵家はあれからも時々、女将の店から果実を仕入れてくれていた。エレノアに対する配慮もあるが、女将の店の果実は本当に質が良くて美味しいから、という単純な理由もあった。


(オーガスト様が侯爵家に紹介でもしてくれたのかしら?)


 懐疑的に思いながらも、やはり侯爵家の注文を断るわけにはいかない。


 エレノアは店頭で忙しそうなエマにちらりと目をやると、最後の飴を包み終わる。


「エマにはお使いに出たと伝えておいてください」

「ああ、すまないね」


 女将から籠を受け取り、エレノアは勝手口から店を出た。


「エレノア様、お供いたします」

「ありがとうございます」


 店の外にいた護衛がエレノアに声をかける。


(カーメレン公爵家から付けてもらってる護衛もいるし、何かあっても大丈夫だよね)


 エレノアはバーンズ侯爵家の名前のことなんてすっかり忘れて、護衛と一緒に侯爵家を目指した。


「お待ちしておりました」


 バーンズ侯爵家のハウスタウンに着くと、入口で待っていた執事に中に通される。


(うわあ……カーメレン公爵家もでっか、と思ってたけど、ここもだだっ広いわね。それに、あらゆる物がキラッキラのゴテゴテだわ……)


 カーメレン公爵家の調度品はシックながらも上品で落ち着いた物だったが、バーンズ侯爵家の中は、あからさまに金銀の装飾でゴテゴテとしていた。


 エレノアはゴテゴテの廊下から、中庭の温室までと案内される。


「お付きの方はここまででご遠慮ください」


 温室の入口で執事が付き添ってくれていた護衛に声をかける。


「しかし……」

「ご遠慮、ください」


 護衛は食い下がろうとするも、執事が強い言葉で拒否をする。


「大丈夫ですよ、果実を届けるだけですから」

「エレノア様、しかし……」

「何かあったら飛んできてください。側にいてくだされば安心です」


 護衛に安心させるようにエレノアが笑うと、彼も頷いて納得した。


(入口で待っててもらえるし、侯爵家の中で何かあるなんてこと無いでしょう)


 エレノアは自分を納得させると、執事に促されて、温室の中に足を踏み入れる。


「いらっしゃい」


 少し高くて綺麗な女の人の声がし、エレノアは目をやると驚愕した。


 赤い薔薇のような綺麗な髪に、赤い瞳。その細い瞳をゆったりと下げ、その声の主はエレノアを見据える。


 豪華な赤いドレスに身を包み、温室の薔薇に囲まれるご令嬢は、まるで女王様のようだ。


 その美しい人には見覚えがあった。


 教会の聖女の頂きに立つ、大聖女。彼女がそうだった。

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