第26話 奥様のクッキー

「これは、エレノア様……!」


 作ったクッキーをバスケットに詰め、エマと一緒に騎士団にやって来たエレノアは、入口で騎士に会うなり、恭しく出迎えられてしまった。


(たった一度騎士団に来ただけなのに、ザーク様の妻というだけで、覚えられてしまったみたい……)


 受付は前回と同じ騎士らしく、形式的な手続きとしてエマが書類にサインをしているが、顔パスと言ってもいい。


「エレノア……!」


 エレノアはエマが手続きをする間、後ろで待っていたが、奥からイザークが嬉しそうに駆け寄って来るのを見つけた。


「ザーク様!」


 今日は行くことを前もってイザークに伝えるようにエマに強くお願いした。それが聞き入れられていたことに安堵しつつも、わざわざ入口まで出迎えに来たイザークにエレノアは驚く。


「わざわざ出迎えなんて……お仕事中なのにすみません」

「エレノアが会いに来てくれるのに、執務室でじっとなんてしていられない」


 いつの間にかエレノアの隣まで距離を詰めていたイザークはいつものようにエレノアの手を取って、自身の手と絡める。


「エマから来るとは聞いていたけど、今日はどうしたんだい?」


 エレノアを見下ろし、甘く微笑むイザークに、周りの騎士たちがざわついた。


 そんなざわつきよりも、エレノアは目の前のイザークの笑顔に心臓がうるさい。


「あ、あの、エマとクッキーを焼いたんです。差し入れに……」

「俺に?」


 バスケットを掲げてエレノアが説明すれば、イザークの顔がぱあっと明るくなる。


(うっ……、今まで私、なんでこの顔をスルー出来てたんだろう)


 イザークの気持ちを聞いてから、彼の感情だだ漏れの表情を見るのが恥ずかしくて仕方ない。


「あ、あの、作るときに、少しだけ聖女の力を使いました。お疲れが癒えれば良いと思って」


 恥ずかしい気持ちを押し込めて、エレノアはイザークにひっそり耳打ちをする。


(力を制御出来る今、これくらいなら使っても大丈夫でしょう)


「エレノアが……俺のために?」


 イザークはエレノアの言葉に、感動で頬を上気させていた。その表情がくすぐったい。


「ジョージさんからザーク様がお疲れだと聞いていたので……」


 あれからも忙しく、イザークとすれ違っていたエレノアは、ジョージからイザークの話を聞いた。だからこそ、差し入れをしたいと思った訳で。


「嬉しい、ありがとう」


 イザークは絡めていたエレノアの手にぎゅう、と力をこめると、一層嬉しそうにその頬を緩めた。


 いつの間にか集まってきていた騎士たちがざわついている。


「団長が笑った……!」

「団長が女性に顔を緩ませている……!」


 皆信じられない物を見るような表情で遠巻きに二人を見ていた。


 エレノアしか目に入っていないイザークは、どうやら気付いていないらしい。


「団長、皆噂の奥様を一目見ようと集まって来てますよ」


 奥から見知った声が聞こえたので視線をやると、サミュが歩いて来ていた。


「お前たち、訓練はどうした?」


 集まった団員たちに気付いたイザークは、冷ややかな表情になる。その瞬間、空気が冷えたように団員たちがぴゃっと肩をすくめた。


「団長だって仕事中なのに奥さんに会いに来てるでしょ」

「む……」


 冷えた空気にも臆さず、サミュが屈託のない笑顔で言うと、イザークも言い返せない。


「それに、その良い匂い、みんな気になってます」


 サミュがエレノアの持ったバスケットを指差して、ニカッと笑った。


「あ……、よかったらいっぱい焼いたので皆さんも……」


 エレノアが思わずバスケットをサミュに差し出して見せれば、サミュは「良いんですか?!」と顔を明るくさせ、逆にイザークの表情が暗くなった。


「だ、大丈夫ですよ。疲労をちょこっと取るくらいなので、誰も聖女の力には気付かないと思います」

「……それは心配していない」


 暗い表情のイザークにエレノアがコソッと耳打ちすれば、イザークはため息を吐いた。


(あれ? 違った?)


 てっきり聖女の力がこもったクッキーを大々的に振る舞って、もしどこかにバレたらどうするんだ、というお叱りかと思えば、イザークの気がかりは別にあったらしい。


「エマに教わりながら作ったので、味も大丈夫ですよ?」

「……それも心配していない」


 どうやらまた違ったらしい。


「イザーク様、まだまだですね」

「……うるさい」


 隣で会話を聞いていたエマがイザークに苦言を呈すれば、イザークはまたため息を吐いた。


「????」


 何がいけなかったのか、首を傾げるエレノアに、イザークは眉尻を下げて笑った。


「いや、俺の器が小さいだけだ。気にしないで欲しい」

「????」


 エレノアが増々首を傾げていると、騎士たちからは「美味しい!」「染み渡る!」といった歓声が聞こえてきた。


 いつの間にかバスケットはエレノアの手を離れていた。サミュに差し出した時に受け取られ、いつの間にか騎士たちの間を回されていたらしい。


「可愛らしい形ですね」


 苺の形のクッキーを手に、受付の騎士が微笑む。


「俺もっ!」


 サミュがバスケットに駆け寄り、手を突っ込む。


「これ……」


 サミュが掴んだのはハートの形のクッキーだった。


(わ、忘れてた!! 恥ずかしいから確かハートは3枚だけにして奥底に隠したはずなのに!!)


「エレノア……?」


 イザークからの視線に恥ずかしくなり、エレノアは顔を真っ赤にしながらも目線を逸してしまう。


 ひゅ〜う! 


 瞬間、騎士たちの間から口笛が鳴ったかと思うと、どっ、と歓声が起こった。


「いやー、お熱い!!」

「団長羨ましいー!」


 その間にもバスケットは騎士たちの間をくるくる回っている。


 サミュもニコニコしながらクッキーを口にしようとすると、イザークがハッとして叫んだ。


「待て! それは食べるな!! その形のは俺が全部回収する!」


 急いで回収し始めたイザークに、皆楽しそうにブーイングをした。


「皆、団長命令だぞー」


 サミュも面白そうにそう告げると、騎士たちはやれやれ、とバスケットを差し出した。どうやらハートを引いたのはまだサミュだけだったらしい。


 バスケットを手にし、満足そうな顔をするイザークに、騎士たちは目を丸くしながらも、また笑った。


 その温かい光景に、エレノアも遠巻きで微笑むのだった。

 

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