第15話 シスター

「シスターに教わりました」

「シスターに?」


 エレノアが真っ直ぐにオーガストを見つめて言うと、彼は驚いていたようだった。


 エレノアの情報を突き止めたものの、教会に来る以前のことは調べられていないらしい。


 その事実にエレノアは少し安堵しつつ、説明を続けた。


「私を育ててくれたシスターは、伯爵家のご令嬢でした」

「ほう……」


 エレノアの言葉にオーガストは興味を抱いたようだったが、エレノアは事実を少しだけ隠して説明した。


「詳しくは私も知りません。だけどシスターは、私がいつか教会に上がることを見越して、馬鹿にされないように一通りの簡単なマナーを教えてくれました」

「……だからあんなに綺麗なお辞儀をなさるんですね」


 初めて会った日のことを思い返し、ジョージが感嘆を漏らす。


「そうですか、納得がいきました」


 説明を終えたエレノアに、オーガストがにっこりと微笑んだ。


(シスターのこともこれから調べられるんだろうか? ううん、教会糾弾には関係ないもの。大丈夫なはず)


 エレノアがぎゅう、と胸の前で拳を握ると、横にいたイザークはエレノアを見て微笑んだ。


「素敵な方なんだな……」


 その言葉に、エレノアの目頭が熱くなる。


(本当にこの人は……)


 エレノアが嬉しくなる言葉をくれるイザークに、エレノアは涙を堪えるのに必死だった。


「はい、とても」


 エレノアが必死に繕った笑顔に、イザークもまた、優しく微笑むのだった。


(シスター……、私の育ての親であり、大切な人)


「その方にもご挨拶したいな」


 イザークがエレノアに優しい笑みで言うので、エレノアは繕った笑顔が下がる。


「……シスターは、昨年亡くなりました」


 王都の程近くにある、スミス伯爵領地内にある孤児院、エレノアはそこで育った。


 物心ついた時には、シスターが側にいてくれて、十数人ほどいた孤児たちをシスターが一人で見ていた。


 シスターの名前は、リリアン・スミス。スミス伯爵家の一人娘で、元聖女だった。


 教会を辞めたリリアンは、父の了承を得て、領地内で孤児院を開き、身寄りのない子供たちを引き取って育てていた。


 リリアンは若くして聖女の力を発揮していたが、ある日突然辞めて自領に帰って来たそうだ。下位の聖女は奴隷も同然のように扱われるため、教会から追放されるまでは辞めることも叶わないが、上位の聖女はそれに当てはまらない。


 その地位にいながら、何故辞めて孤児院を開いたのか、エレノアには未だにわからないが、シスターにはとても感謝している。


 スミス伯爵家は裕福、とはいかないまでも、飢えることもなく、何より愛情をたっぷりと注いでくれたリリアンはエレノアにとっては母以上の存在だった。と言っても、本当の母親は知らないが。


 リリアンは、エレノアが幼い頃から、聖女としての素質を見抜いていた。そして、いつかは教会に見つかり連れて行かれることも覚悟していた。


 エレノアにマナーを叩き込んでくれたのはそういった理由からだった。他の令嬢たちに舐められないように、下位に落とされて教会に縛られないように。


 結局は、孤児というだけで下位の聖女として扱われ、シスターに教わったマナーも日の目を見ることは無かったのだが。


 エレノアは聖女として教会に連れて行かれることが決まった時、喜んだのを覚えている。


 聖女として勤めれば、孤児院に仕送りが送られることが約束されていた。


 お腹いっぱい食べられて、温かい毛布を買い替えられる、慎ましく暮らしていた孤児院に、自分が恩返しが出来ると思うと、嬉しくて仕方なかった。


 そして、教会で自分が聖水を作る力があるとわかると、その聖水がシスターたちの元へも届くと信じて疑わなかった。


 しかしその聖水は薄められ出回っているとオーガストから聞いた。シスターに本物が届くことは無かったのだろう。


 そうして、シスターは流行り風邪で命を落とした。


 エレノアにその知らせが行ったのは、シスターが亡くなってしばらく経った冬の終わり頃だった。


 教会を出ることも叶わず、エレノアはシスターに再会することも、お別れを言うことも叶わなかった。


 シスターが亡くなり、孤児院は解体され、孤児たちはバラバラになったと伝え聞いた。


 それから、エレノアは徐々に気力と聖女の力を失った。


 使えなくなったエレノアを教会はあっさりと追放し、ようやく搾取されていたことにエレノアが気付いた時には手遅れだった。


 もっと早くに知らせてくれていたら、自分が駆けつけて治せていたかもしれない。エレノアは後悔に襲われ、行く当てもなく彷徨った。


 自然と孤児院の方へ足が向いたが、徒歩で辿り着ける筈もなく、行き倒れた所を果実屋の女将に助けられ、今に至る。


 大事な人を失ってまでする仕事に何の意味があるのかと、酷く落ち込んだが、飴屋で輝きと真っ当な生活を取り戻したのは女将のおかげだ。


(女将さんは、シスターに少し似ている。他人に優しい所、愛情を惜しまない所……)


 女将にはシスター同様に、母のような愛情をエレノアは抱いていた。こうしてエレノアが立ち直れているのは、女将のおかげだ。


 そして、イザーク。溜息をもたらした彼は、最近エレノアの心をポカポカと温める。今まで感じたことの無い感情に、エレノアは戸惑っていた。


 そしてこのカーメレン公爵家の人たちのおかげで幸せを感じられている。遠からず別れるが、死別する訳では無い。


「悲しいことを思い出させてすまない……」


 これから訪れる別れを思っていると、イザークが悲しそうにこちらを見てきた。


 オーガストもジョージもエマも、皆、申し訳無さそうにシンとしていた。


「いえ、大丈夫です。皆様、気遣っていただいて、私を教会から守っていただいて、本当にありがとうございます」


 エレノアは皆に向かって、改めて頭を下げて感謝を述べた。


(シスター以上に悲しいお別れなんてないもの。生きてさえいれば、顔を見かけることや、活躍のお話を聞くことだってある。それよりも、あんな教会に二度と搾取なんてされない! オーガスト様にはぶっ潰してもらわないと!)


 シスターへの悲しみを思い出したエレノアは、教会への憎しみを胸に、改めてこの結婚に協力することを誓った。

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