第16話 ミモザ
「わ、本当にある」
皆での食事を終えたエレノアは、離れの庭に来ていた。
『お庭のミモザが見事ですね』
『ああ、離れの庭にもあるよ』
あの後、明るい話題に切り替わると、エレノアも最初に見て気に入ったこのカーメレン公爵家の庭のミモザのことを話題に出した。
オーガストから離れにもあると聞いたエレノアは、食事を終えて自室でエマにドレスを脱ぐのを手伝ってもらうと、動きやすいワンピースに着替えて、すぐにここにやって来た。
エマには遠慮してもらい、一人でここに来た。
先程の件で悲嘆していると思われているのだろう。その気遣いにエレノアは甘えさせてもらうことにした。実際、一人になりたい気持ちなのだ。
「わ、黄色だけじゃないんだ」
本邸の玄関まで続く道には、見事なまでの美しい黄色が咲き誇っていた。春も終わり、もうすぐ夏がやって来るため、花も散ってはきているが、まだ楽しめる。
この離れの庭のミモザは、黄色だけではなく、オレンジと白も並び、カラフルだ。
近くにあったベンチに腰掛けると、エレノアは今日の会食を思い出す。
(美味しかったなあ……あのお肉。皆にも食べさせてあげたいなあ……)
シスターが亡くなり、散り散りになってしまった孤児たちが思い出される。と言っても、孤児院を出て八年間帰っていないエレノアは、もう顔も思い出せない。エレノアの知っている仲間は孤児院を巣立ち、新しい孤児たちに入れ替わっているはずだった。
(生きてさえいれば、また会えるはず)
そう思って上を見上げれば、今日は星がよく見える。ふわりと甘いミモザの香りが鼻を掠め、ますますエレノアを感傷的にさせた。
(今日、あんな話題が出たから……。今日だけ……)
星を見上げるエレノアの頬を一筋の涙が伝う。
静かに涙を流したエレノアはしばらく星を眺めて、視線をミモザに戻すと、ベンチの隣にはいつの間にかイザークが距離を取って座っていた。
「ザーク……様?」
驚きで大きく目を見開けば、イザークはそっと距離を詰めて、エレノアの涙を拭った。
「すまない、邪魔をするつもりは無かったのだが……」
いつもは近すぎるイザークの距離が、今は遠慮がちに拳一つ分は空いていた。
「いえ。私を心配してくれたんですよね?」
エレノアは何だかそれが可笑しくなり、いつの間にか涙も引っ込んでいた。
「ああ……。辛いことを思い出させてしまったと。すまない……」
「大丈夫ですよ」
つい口癖で「大丈夫」が出てしまった。へらりと笑顔を作ると、イザークは悲しそうに顔を歪めて、エレノアを引き寄せた。
「ザーク様……?」
「無理して笑わなくていい……!!」
辛そうな声が耳元で響くのと同時に、イザークの腕に力が入り、エレノアは抱き締められているのだ、とようやく理解した。
「君はいつも笑顔で頑張りすぎる……! 笑いたくない時は無理して笑わなくて良いんだ!」
ぎゅう、と抱き締められ、イザークの温もりを感じたエレノアは、そっと目を閉じる。
(あったかい。何だか落ち着く)
トクン、トクン、と自分の物かイザークの物かわからない心音を聞きながら、エレノアは心が満たされていくのがわかる。
「ふふ、ザーク様は最初から距離感が近すぎるんですよ」
「す、すまない……!」
エレノアは公爵邸で再会した時も、こんなふうにイザークに抱き締められたことを思い出して笑った。
すると、イザークは慌てて身体を離した。
「でも今は、あなたの近くが心地良いです」
エレノアは本心から言葉が出た。
ミモザが咲き誇る夜の中庭。綺麗な星明かりの元、そんな雰囲気がエレノアを後押ししていた。
「エレノア……」
エレノアから離れようとしていたイザークは目を瞠ったかと思うと、その眼差しを熱っぽくさせてエレノアの頬に手を添えた。
滑らせるようにエレノアの頬を撫でるイザークの指がくすぐったくて、思わずエレノアは目を閉じてしまう。
「!」
エレノアに添えられたイザークの手が揺れる感覚がした。そして、ふわりと苺の香りが鼻を掠めた。
「……! この香り、苺のハンドクリームですね?」
自分に贈られた物と同じ香りがイザークからして、パッと目を開けば、アイザークの顔が至近距離にあった。
「「?!?!」」
今にも唇が付きそうな至近距離に、エレノアは驚いて一気に顔に熱が集まる。
イザークも慌てて身体を離し、勢いよくベンチの端っこまで後退りしてしまった。
「す、す、すまない!!」
「い、いえ!!」
今日は星が綺麗に輝き、地上も明るい。お互いに顔が真っ赤であることは至近距離ならばわかった。
(びびび、びっくりした!! いくら何でも距離感おかしすぎるでしょ!!)
まだ熱い自分の頬を両手で覆いながら、エレノアは顔が赤いのを隠そうとした。
「あ、あの! ザーク様も苺のハンドクリームを?」
ベンチの端っこで俯いているイザークに、話題を変えようと、先程した香りの話をすれば、彼も乗ってくれた。
「あ、ああ。俺も気に入ってな……その、おかしいかな?」
「ふふ、ザーク様らしいです」
「そうか?」
エレノアは初めていちご飴をかじる、似つかわしくない騎士姿のイザークを思い出した。
(あの時は違和感があったけど、今はそんな可愛らしい姿もザーク様らしいというか……)
「次は桃なんですよ」
「え?」
顔の火照りが少し引いてきて、エレノアは話を続けた。
「夏の果実飴、オレンジに代わって桃になる予定なんです。明日、試作するんですよ」
「そうか……俺は明日騎士団で行けないから、見られなくて残念だ」
「試作品、持って帰って来ますね?」
「本当か?!」
エレノアの言葉にイザークの顔がパッと明るくなり、エレノアは笑ってしまう。
(うん、ザーク様のこの顔が一番好き)
ベンチの端っこにいたイザークは、にこにこと嬉しそうにしている。
そんなイザークに、今度はエレノアから距離を詰める。
「桃も、絶対に美味しいですよ!」
すぐ近くに来たエレノアに目をパチクリとさせたイザークは、ふい、と顔をそらすと「楽しみだな」と言った。そらした顔から見える耳が、赤いように思えた。
「次は桃の香りかな……」
「え?」
ぽそりと溢したイザークにエレノアが聞き返すと、彼は顔を少しだけエレノアに傾けて言った。
「エレノアのハンドクリーム」
「楽しみにしてます!」
イザークの言葉にエレノアは満面の笑みで返した。
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