三つ目 急襲、強襲

1、ウルフVSオクトパス

左の親指ウォルサム……どーりでタフなわけだ」


 葵の渾身の蹴りを受けて立ち上がれる犯罪者はそう多くない。

 元の身体をしっかりと鍛え抜いた上で、左手の親指に人工指環レプリカを搭載して初めて、一回二回は受けられる耐久性が得られることだろう。


「アイツ、さっき、こっちが『今回の事件』としか言ってないのに、アタシらが追ってる案件が例の銃撃事件だって分かってた。これではずれはまずないでしょ」

「んなこと、狙撃手とつるんでる時点で分かってる」


 発光する物は全部アウトと思っていいだろう。スマホは明るさセンサーで暗がりではそれに合わせて液晶の表示明度を自動で調整する。ほぼ暗闇の中で付けたスマホなら画面の明度は最低値だったはずだ、しかし、そんなこと関係ないと言わんばかりに的確に貫いてきた。

 狙撃手も人工指環を使用している可能性が高い。表に出てこないのは肉弾戦に自信がないからと予想もつく。ということは右手頭脳強化タイプ。


「狙撃手の位置は分かるか?」

「アタシの索敵範囲の外ね」


 詳しい話は省いて要点だけ言えば、詩音も右手タイプの指環持ち、彼女は自身を中心とした半径250mの範囲の状況の把握を可能としている。

 そんな彼女をもってして、狙撃手スナイパーの座標が特定できない。


「弾道から方向と入射角までしか分からない」

「十分、射線切りながらやる、使えそうな遮蔽物ピックアップ頼む」


 近辺の反射物や自分の身に付いてる発光の危険のある物を取り外しながら、葵は深海に向かう。


「どうせ、公園の中から出す気はないだろうから、お前は少し下がって近くにいるユメになんとかコンタクトを取ってくれ。プラネットなら狙撃も振り切って新宿署まで行ける。それまで俺は深海アイツの相手をしてやる」


 自分の腕時計を取り外し終え、地面に投げ捨てると同時に詩音と葵はそれぞれ別の方向へ駆けだす。


「了解」


 それだけを言い残し、互いの目的に集中すべく頭を切り替える。

「とりあえず……てめぇは、とっとと、くたばりやがれ!」


 一切芸のないまっすぐ、素直に深海の胸部に向かって中段蹴りを放つ。

 俗にいうところの「ヤクザキック」、間違っても警察が使う技ではない。


「おいおいおいおい、ちょっと見くびりすぎなんじゃねぇか」


 だが、深海は胸部に直撃するよりも先に振るわれた足を両腕でがっちりとホールドする。

 実践において足技が嫌厭され、手技が基本とされる理由の一つだろう。

 片足立ちになるアンバランス、可動域の広さからの怪我の重症化のしやすさ、いろいろあれど、頻繁に起こり得て、最も致命的と言えるのが――

「掴まれてしまえば、何もできない」ということだ。

 こちらは動きが極端に制限を食らうのに、相手はそこからいかようにもできる特大のアドバンテージを得てしまう。


 手技の合間に挟む。万全の状態での不意に打つ。といったのが基本である以上、所詮、コミックやフィルム、プロレスの中での派手な『魅せ技』の域を出ない。

 おそらく、指環持ちとしての高い身体能力から、そんな魅せ技でも実戦に織り込めていたのだろうが、根本的な弱点の解決にはなっていないのだ。


 きっと、ホールディングの形から、このまま葵の足は締め潰される。

 葵は自分の迂闊に、歯噛みしながら後悔の表情を浮かべている。


「はっはぁ! 自慢の足とおさらばする覚悟は出来たか?」


 バキっ! 

 とから音が鳴る。


 その瞬間、足を掴んだ腕が緩む。

 解放された足を着地させる。よりも先に、さらに蹴り上げ深海の顎に食らわせる。


「どっから……バットなんて持ってきたんだよ……?」


 ぐらつく視界で深海が二人を睨む。


「サメっぽいと思ったけど、搦め手多いし、どっちかって言うとタコね」


 側面に現れた詩音がバットをスイング、とっさに距離を置く深海。

 騙し打ちマランドラージェン

 先ほどの詩音と葵の意思疎通、その全てが言葉で行われていたわけではない。

 光り物を外す所作、視線などの不自然に見えない程度の合図サイン、二十年来の付き合いから生まれる『言わなくてもコイツは分かってる』というある種の信頼か。

 これらを要約するなら「葵が注意を引いてる間に、詩音が後ろから殴れ」といったところだろうか。


「そんなこと聞いてね――」


 一度詰めたら離さないと言わんばかりに、葵は得意の零距離からヤクザキックで追い打ちをかける。

 話す余裕もなく、着弾箇所を腕でガードする。

 そこでようやく、深海は理解する。

 こいつら……連絡を断たれた時点で逃げる気がねぇ。と。


「詩音」

「ん」


 蹴り飛ばされ、少し距離が開いたせいで二人が何かやり取りをしていたのを見逃した。

 対外的な説明もなく、ただ、僅かな言葉で無駄を省く。コミュニケーションの理想形。


 相手が一人から二人になったことで、それぞれの動きに注力しなけらばならなくなった深海。


 『戦いとは数である』


 例え、深海の戦力を100とし、葵と詩音合わせてそれに満たなかったとしても、優位は二人の方だ。いくら、人間の力を数値で測ったところで所詮人であるならば使える腕も頭も限られるからだ。

 総数が増え、地形や戦略が数を補うのであれば話は変わるが、この状況では、その話も意味をなさない。


 だが、それでも依然として集中すべきは葵だ。体重、格闘技でいうところの階級が近く、かつ、最初の数度の打ち合いでもらった重たい一撃。

 不意を突いて一撃を与えた詩音だったが。武器の有無を加味しても体重差は超重量ヘビー級と多めに見積もっての軽量フェザー級では大した障害ではない。

 惜しむらくは、彼らが警察という装備品に制限がかかった役職でなければ、詩音すらも脅威になりえただろう。

 念のため、詩音にも気を配りながら、正面から迎え撃つのは葵。


 再び、零距離。


 間合いの優位は一先ず譲る。気を付けるべきは実際の攻撃のみ。

 ……一つ、深海は勘違いを起こしていた。

 密着しそうなほどの超至近距離。その優位は攻撃の到達速度だけではない。

 葵が、蹴り技をよく使う理由は、一つ、この距離では相手は自分の上半身しかその視界に納められないからだ。

 そこまではきっと深海も思い至っている。


 では、この距離での間合いを得意とする理由は? 蹴りを得意とするから? 

 ――Noだ。

 どれほど鋭く重い蹴りを持っていようと、掴まれたり、相手より先に動かれては元も子もない。

 そこが弱点だと見抜いた深海は、葵が蹴りのモーションに入るよりも早く、拳を打ち出す。


 先のように額で受け止められても問題ないように、隙のできたボディーへと次の拳を叩き込めるようコンビネーションを狙う。


「甘ぇ……」

「あ?」


 葵はとっくにポケットから手を出していた。

 その手に収まるように詩音から何かが投げ渡される。

 それが見えるよりも速く。深海の拳ははじかれ、続くはずの左拳の動きすら封じられていた。

 次の瞬間、腹部、鳩尾に膝が入る。奔る、強烈な脱力感と悶絶するほどの痛み。


「誰が、蹴りしかないって言ったよ? 警官なんだから、警棒の一つや二つ持ってるっての」


 葵の両手にそれぞれ握られているのは、普通の警棒よりもやや短めのドラムスティック程度の大きさの特殊警棒。

 曲芸じみた派手な一撃、弱点を晒してまで続く蹴りの応酬。それだけで、深海の脳裏に、これでもかと刻み込まれた葵=蹴りのイメージが、例え予想外の行動に備えていたとしても払拭しきれない先入観。

 そして、さらに刻まれる。狭まった視界外から繰り出される技の選択肢。

 深海は膝を付く。


 これで丁度――


「蹴りやすい位置だ」


 自身の膝よりも低い位置に来た頭を、サッカーボールのように蹴り飛ばす。


「いつ見ても、警察の喧嘩の仕方じゃないわね」

「ほっとけ」


 不意打ち、騙し打ち、それらを手助けした張本人から言われるのは心外である。

 今度こそ吹き飛ばされた深海に手錠わっぱを掛けようと、詩音が彼の傍に近寄る。

 深海の親指についた指環を回収しようと、手を取ったところで。詩音はその違和感に気が付いた。


「は? 何よこれ」

「どうした?」


 深海がくたばり損なったのかと思い、慌てて葵も駆け寄るが、深海は伸びていて動いた様子はない。


「見なさい」


 詩音は掴んだ深海の手を葵に見せる。左の親指にはめられた指環はよく見ると、吹き飛んだ衝撃で少し破損しているようだった。


「どういうことだ……⁉」


 それをみて、葵も思わず息をのむ。

 破損した箇所から見える指と接した部分は、皮膚と癒着している。これは……。


人工指環レプリカじゃねぇ」

「アタシらと同じ、先天性オリジナルの指環持ち……?」


 二人が戦慄していると、深海の懐から、彼のスマホが転げ落ちる。

 次の瞬間、そのスマホがアラームを響かせる。

 液晶に表示されたのは、リアルタイムで深海の健康状態を計測しているバイタルサイン。スマートウォッチなどで測れる市販のアプリの物だ。

 だが、重要なのはそこじゃない。

 ほんの僅かな明かり。



疑似餌ルアーなんだから、獲物が釣れるまでくたばってんじゃねぇよ」



 それは遥か彼方の独り言。それをかき消す爆発と聞き紛うほどの、発砲音。


 その僅かな明かりは、合図だった。

 すぐさま次の狙撃がくるということを意味している。葵は詩音を少しでも明かりから遠ざけようとその腕を掴み取り。


「悪ぃ!」

「ちょっと!」


 深海とスマホから離れるように投げ飛ばす。

 パァンと、何かが破裂したかのような着弾音が炸裂する。

 葵によって投げ飛ばされた詩音は、地面に尻を打った以外は無傷だ。


「いっ……葵⁉」


 尻の痛みを感じる間も惜しみ、自分をかばった馬鹿の安否を確認する。


「問題ない……のか……?」


 葵も無傷、狙撃が外れた? のだろうか……では、放たれた銃弾は何処に……。


「え……」


 葵が向ける目線の先を詩音が確認すると、深海の左小指が弾け飛んでいた。


「い”っでぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 深海が飛び起きる。

 詩音も葵も、その光景に唖然とするしかなかった。

 彼の小指がどのような状態か、一々詳細を語ることに意味はない。二人とも今更、誰それの指がーとか、血がーとかで狼狽えるような生活を送っていない。


「くそっ!! もうちょい起こし方ってもんがあんだろ……あん野郎……!!」


 驚愕すべきは、そのぶっ飛んだ蘇生方法。

 ゲームなんかのリザレクションやらレイズに相当するはずの行為が、ここまで合理的で暴力的な手段で行われるものかと。

 なによりも、静止している的とはいえ、それを肉眼では視認することすら不可能な距離からいともたやすく精巧にやってのけたのだ。

 そんな光景を前に驚嘆せざるを得なくなっていた。


「ああもう! イラっとくるぜ! 狙撃手シャープシューター! アイツもアイツだ! だが、なによりお前らに不覚を取った俺自身に一番腹が立つ!」


 ただでさえ出血してる癖に頭に血が上らせ、深海は二人を睨む。

 自身の衣服を千切ってで小指を縛り上げると、そんな状態であるにも関わらず再び構える。


「マジか……」

「この指は、お前らをたかが警察だって侮った俺の甘えの代金だ……こんくれぇくれてやる」


 構えた状態で、深海は深く深く、息を吸う。これから『深海しんかい』に潜航を臨まんとするダイバーのように。


 一瞬の間。


「コール! 『アタラクト・アングラ―』!!」


 叫ぶ。


『声紋認証クリア……行動補助ユニット『テンタクル』オプション:ブレード、起動』 


 微かな電子音声が、二人の耳にも届く。

 鋼の百足が四匹。深海の背後からから生まれる。

 いくつもの節を持ち、金属の光沢を放ちながらも柔軟に動くそれを表すならば。先端には牙を思わせる一対の刃が何かを探すようにウネウネと動く。


「こいつは……」

「両手両足を含めて、八本。やっぱりタコじゃない……」


 これで、数の優位はなくなった。


「冗談言ってる暇はもうねぇぞ……殺されるつもりで来い」


 デビルフィッシュは鮫すらも食らう。

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