7、アウトブレイク・エンカウント
「出てきた」
見張りを続けて暫くして、もう日を跨ごうという時間に、重要参考人『深海太陽』は動きを始めた。
「こんな時間から徒歩で外出?」
「ってことはそんな遠出じゃないか、コンビニか駐車場ね」
繁華街はこんな時間でも煌びやかで鬱陶しいほどの輝きを放っているというのに、本来、人々が生活の拠点としている住宅街は、そんな場所から忘れ去られたかのように暗く静かで、ほんの僅かの光も音も許されない。
「車から出たら会話、スマホは禁止」
「わかってる。作戦通りに」
深海は自宅から徒歩で外出した。それに葵たちも合わせて、徒歩で尾行する。
葵たちの位置情報を頼りに、一般車仕様に外観を変更したプラネットでユメが先回りする。
前後で挟み、決して見失わないように、息を潜めながら深海の後を追う。
最寄りの駅とは反対方向に進んでいる。ここらは住宅街だ。近辺に目的地となりそうな場所はコンビニくらいだが。
そう思っていると、深海は近所の公園にやってきていた。当然、こんな時間に人はいない。
「なあ、アンタら、こそこそ付いてきて楽しいか?」
立ち止まった深海はそういって近くに落ちていた手ごろな石を拾い上げて、葵が潜んでいた茂み部分へと投擲する。
この暗闇でありながら、まっすぐに葵の方へとその投石は向かってくる。それは正確に深海太陽が追跡者の位置を把握していることの証明だった。
「あっぶねぇ!」
思わず葵は茂みから体を出し深海の前にその姿を見せる。
「初めまして、アンタが雨森葵巡査部長……でいいのか?」
向こうは自分が追われていることに心当たりがある。それどころか、葵の存在を把握している。
「……アリスのためにも信じてやりたかったんだがな」
詩音が頭を抱える姿が目に浮かぶようで、葵も少しバツが悪そうにしている。
「さっきの投石、今ならただの事故ってことにしてやってもいいぜ。深海太陽」
「なんだ、互いに名前は知ってるのか? 折角、自己紹介考えて待ってたてのに」
写真で見るよりも鮮明にうつる深海太陽。
背丈は葵より少しデカいくらいだが、肉体はそれなりに鍛えているようで、肩幅も広く、腕はユメの頭ほどの太さがある。
「待ってただぁ?」
「ああ、俺は連絡係、何か知りたくて接触しに来たんだろ?」
深海はどこか余裕があるのか、ポケットに手を突っ込みながら薄ら笑みを浮かべながら、ゆっくりと葵に近づく。ポケットに手を突っ込んだままなのはお互い様だが。
体幹も安定している。肥満でもないのに、ウエスト周りは太くも形が整っている
「はっ! 今、俺らが追ってるホシが誰か教えてくれるってのか?」
「知ってるって言ったら?」
馴れ馴れしい態度でなおも近づく。
「善良な一般市民の一人として、情報提供をお願いできますかね。深海太陽さん」
「どうしようかな?」
鍛えた体は威圧感を生む。だがそれを感じさせない、人懐っこい笑みを浮かべる。なるほど、連絡役、と言われるだけはある。舐められないだけの肉体と相手を怯えさせないコミュニケーション能力、うまい具合に均整がとれているといえる。
「それじゃあ、重要参考人として警察の任意同行に協力していただけますか」
最初から疑いかかっている葵には、慣れ合おうと意思はないが。
「断ってもいいんだろ?」
「そんじゃあ。こんな人気のないところで深夜徘徊。警察官として見過ごせねぇからよ。ちょっと交番まで来てくれねぇか」
葵は深海から視線を外さない。
肉体的な特徴を品定めしながら。
「随分と態度が横柄だなぁ、おい。それが公務員が市民に対する態度か?」
懐柔できないと判断したのか深海も睨み返す。
「生憎、とっくに不審人物への職務質問に変わってるんでな。身体検査と持ち物検査を行う。壁に両手を付けて大人しくしろ。従わないなら――」
「公務執行妨害か?」
マランドラージェン。という言葉がある。ポルトガル語で「狡猾」を意味する。
転じて、地球の裏側の格闘技、カポエイラでは『騙し打ち』を指す。
本来、称賛されるべきでない行為、だがことカポエイラにおいて、マランドラージェンすらもれっきとした戦術に組み込まれている。時に油断を誘うように怯えてみせ、時に実力以上に強く見せるように横柄に、そして、時に友好的に見せかけ毒針を仕込む。
それは軽薄で柔和な笑みという鞘に潜ませた、一太刀。
葵の顔面に放たれた、握りこぶし。
「へぇ……」
「助かったぜ、パクる理由考える手間が省けた」
何食わぬ顔で葵は、その宣戦布告を額で受け止める。
「今のに対応すんのか」
「こちとら、日頃から道端で喧嘩買って歩いてんだぜ」
よーいどんのスポーツなら一歩後れを取っていたかもしれない、だが、これは突発的な
だから、最初から見定めていた。いつでも動けるように準備運動も済ませている。
「いやいや、こんくらいやってくんなきゃ、話にならんて」
罪状読み上げは必要ない。
「ボコして連行する。分かりやすいのは嫌いじゃねぇよ」
お返しに、と慣れた手つきで深海の首元に掴みかかり、勢いよく引き寄せ、鼻っ柱に額を叩きつける。
ひしゃげる音と吹き出す血の音は、鈍く響くゴング。
よろめく深海にすかさず足を払い、その頭を
「っ!?」
「」
深海の顔は見えないが、呼吸でその顔が笑っていることが分かる。
これもまたマランドラージェン。
よろめく素振りをみせながらも、その両足はしっかりと地面に縫われ、払い落せない。
いやそれどころか、下段を狙った葵の身体の姿勢は深海よりも低い位置にある。
「づっ」
誘われた。と察するよりも早く、深海の膝が刺さる。
揺れる頭が急速に気持ち悪さを運んでくる。それでも、葵はこの距離を死守する。
硬い筋肉に守られたボディは一切無視して、低い姿勢をそのまま倒れ込ませ、その視線を顎に定める。
地面すれすれに上体を寄せて放つハイキック。
「っ」
およそ実践的とは言えない、曲芸じみたそれは、深海を僅かに動揺させる。
それは複数の格闘技を超至近距離での想定に限定し磨かれた「
的確に急所を刈ろうと放たれた足をすれすれで躱す。が、追撃は免れない。
ハボ・ジ・アハイア・ソウト。彼がそれを意図しているかは定かではない。総合性を重視し大元とはかけ離れてはいるが。源流ではそう呼ばれる続けざま二連の上段蹴り。
回避を挟んだことで、急所を僅かにそれるも顔面に直撃する。
「あ”ッ」
広く回転し、遠心力を伴う蹴りは、その見た目以上に重い。
深海は後方に飛ばされる。
「っだぁ! はぁはぁはぁ……」
葵は呼吸を整える。
全身を使った二連ハイキック、時間は僅かながら、その運動量は莫大だ。集中状況下も加味すればその疲労度は400m走の記録会をイメージすれば想像しやすいかもしれない。
呼吸を整えつつも集中を絶やさない。
深海はおそらく格闘技をやっている。いや、元々格闘技をやっていたチンピラなんて五万といるし、何度も対峙してきている。さらに上澄み。出なければ、一発目の反応速度の説明が付かない。
もっと実践レベル、警察や自衛隊と同等以上の訓練を受けている。
「葵!」
声をかけられ、そういえばいたのだった、と詩音の存在を思い出す。
詩音は公園に入って葵に駆け寄る。声色は叱りにきたというよりも、どこか深刻そうだった。
「ちょっと下がってろ、私物検査に抵抗して暴れてきた。本部に応援要請を――」
「それが!」
その詩音は不安そうな表情をしている。
「連絡手段を壊された!」
「は?」
詩音が装備していた無線は、受送信を行う本体部分が激しく損壊していた。葵の方はいざという時のために無線を最初から車に置いてきていない。
「どういうことだ、ケータイは使えるか?」
「っ! ダメ!」
詩音の制止もむなしく、葵がスマホを取り出し、画面を点灯――バキっ!! それは液晶やその中の基盤すらもが破壊された音。
葵は何が起こったのかも理解できぬまま、詩音によって地面に押し倒されていた。
彼のスマホは画面を操作する暇もなく、粉々に砕け散った。
「どうなってんだ一体……!」
「大丈夫? 葵!」
不安そうな顔が消えないまま、詩音は葵の間抜けな顔を見る。
今、葵が体験したことを詩音は先に経験していたということだろう。
「いっててて、結構いい蹴り持ってんじゃねぇか……」
状況の把握もままならないまま、吹き飛ばされた深海が立ち上がる。
「葵、手短に伝える」
そう言って、葵の上からどいた詩音は自分の中でまとまった情報を伝える。
「狙撃手、今回の事件の実行犯がこっちを狙ってる。深海はそいつの仲間よ」
砕けたスマホが物語る。
「その通り! お前らは、俺らに釣られたってことだ!」
ここはすでに、奴らの狩場なのだと。
両手を広げる深海の左手に、月明かりに照らされた指環が反射する。
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