第51話 悲しみと訣別

楓の話を三人は静かに聞いていた。

幸恵は途中から涙を流し、楓の手を更に強く握る。

路地で倒れた日に母を見かけて逃げた事、そして後ろから名前を呼ばれた気がしたが、止まらず走ってあの路地に隠れて泣いてたら、呼吸ができなくなって気を失った事、全てを話し、ぽそっと母が怖いと告げた。

話を聞いた佐々木は、とにかく病院では楓の事は一切話さないように口止めを再度する事を伝え、もし接触するような事があれば、すぐに警察に話すんだと言った。

そして言葉を繋ぐ。

「たとえ、君の母親が楓君に謝罪をしたいと申し出ても、楓君が怖いと思うなら無理して会う必要はない。それだけ重い傷を負ったんだ。反省しているのなら、逃げた楓君の気持ちを汲み取り、手を引くのが当たり前だ。だが、何度も病院を訪ねてくると言うことは何かある。まだ、この街にいるかも知れないから、しばらく外に出るときは幸恵さんか義雄さんに付き添って貰えばいい。いいかい、楓君。君は何も悪くない。そして怖がる気持ちも当然の感情だ。その気持ちを無視してはいけないよ。無理に立ち向かう必要もないんだ。怖いものは怖い。それでいいんだ」

佐々木の言葉に楓もいつしか涙が溢れていた。

その日の夜は、幸恵が楓の部屋に布団を敷いて一緒に寝てくれた。

楓はそんな幸恵の優しさに安堵し、眠りについた。


それから数日後、定休日の日に幸恵が楓の服を買いに行こうと誘い、商店街へと向かった。

きっとこれも楓を思っての誘いだったのだろう。それが、楓は嬉しかった。

楽しく2人で買い物をしていると、背後から楓の名前を呼ぶ声が聞こえた。

その声に楓は固まる。聞き覚えがある声だからだ。

段々と近づいて来る声に楓は体を震わせる。

幸恵は楓の様子に気づき、その声の持ち主に顔を向ける。

「楓!楓なのよね?母さんよ、覚えてる?」

すぐ後ろにいるのに、怖くて振り向くことができない。

幸恵は楓の手を握り、楓を隠すように、その女性の前に立つ。

「何か御用ですか?」

普段の幸恵からは発せられない、低い冷たい声が出る。

「あなたこそ、誰ですか?私は楓と、息子と話がしたいだけです」

「用件なら私が聞きます」

「何故、あなたと話さないといけないの?」

母親は、怯まない態度の幸恵を睨む。

「今の楓の保護者は私です。だから、私も関係者です」

「保護者?何言ってるんですか?私は楓と血の繋がった親子です。それに、楓ももう19でしょ?保護者が必要な年でもないわ」

「いいえ。子供の成人は20です。それまでは保護者が必要です」

「本当に何言ってるのかしら?楓、いい加減にこっちを向きなさい。母さん、あなたと仲直りしたくて探してたのよ。病気も治ったし、楓とやり直したいの」

母の言葉に、楓はゆっくりと振り返る。

そして、幸恵の手を強く握り返し、小さな声で言葉を返す。

「僕は・・・僕は、もう母さんとは関わりたく無いです」

「どうしてよ?」

「母さんがした事、僕は許せないからです」

楓の言葉に一瞬母親は黙り込むが、軽くため息をついて、また口を開く。

「わかったわ。でもね、あなたのお父さんがあなたを探しているわ」

不意に出た父という言葉に、楓はさらに体を強ばらせる。

「お母さんね、病院出た後に、あなたに会いたくてあの家に行ったの。そしたら、恩を仇で返して出ていったって言うじゃない。その時のあの人の顔と側にいたあの女顔を見たら昔の事を思い出しちゃって」

「・・・・」

「聞けば、あなた。あそこの息子たちより優秀だったそうね。それを聞いた時にあの女の悔しそうな顔ったら・・笑うのを必死に我慢したのよ。それで、大学も一流に入れる程の実力があって、ゆくゆくは大企業の娘さんとお見合いの話も出てたって言うじゃ無い。それを何で棒に振ったの?」

「・・・嫌だったからです。僕はあの家にいるのも嫌だった。ずっと嫌な思いをしながら過ごしたんだ。なのに、僕の人生を勝手に決められるのが嫌だった。それに僕には心に決めてる人がいるんだ。他の人と結婚したくない!」

段々と声を荒げる楓。体の震えは止まらないが、今までのやるせない思いが沸々と湧き上がり、声を荒げることが止められなかった。

そんな楓を気にも留めず、母親は話しかける。

「決めた人って言っても、その辺の人でしょ?父親に従っていれば金持ちになれるのよ。それに、母さんに贅沢させてあげられるし、何よりあの男達の鼻をあかせられる。今までの復讐ができるのよ」

耳を疑うような母の言葉に涙が溢れる。

母さんは本当に僕の事なんて何とも思っていないんだ・・

その事実が楓の胸を苦しめる。

「ほら、母さんについてきなさい。お父さんも反省して自分から戻ってくるなら許してくれるって言っていたわ」

そう言って母親は楓に手を伸ばす。それを幸恵が跳ね除ける。

「あなたに楓の人生をいいようにさせない。あなたは母親失格です」

楓に触れさせるもんかと幸恵は楓の前に出る。

「子供は親を選べない。でも、親はこの世に産み落とす事で子を選んだ事になる。だから、親はそれに感謝して子を守っていかないといけないの。それなのにあなたときたら、感情のままに楓を傷つけ、楓を利用して自分が選んだ誤った道の復讐をさせるなんて間違ってる。楓はそんなくだらない復讐の道具じゃない。あなたはしっかりとした大人です。自分の尻拭いは自分でしなさい」

幸恵の叱咤に、母親はワナワナと怒りを表す。

「自分の子供なんだから、私が何しようと勝手でしょ?あなたさっきから何なのよ」

「子供を所有物みたいに言わないでください。子供一人一人に人格はあるんです。そして1人の人間として自分の人生を歩む権利があるんです」

「本当に何なのよ!」

母親の怒鳴り声と一緒に頬を叩く音が辺りに響く。

「あ・・あ・・な、何で・・なんで、幸恵さんに酷い事するの?幸恵さんは何も悪く無いのに・・・」

震える手で幸恵の頬をそっと触る。僕のせいで幸恵さんが叩かれた。

僕が弱いでいで、僕が・・僕が・・・そんな思いが楓の頭の中を駆け巡る。

「楓、大丈夫だから。大丈夫だから落ち着いて」

いつの間にか楓の呼吸が荒くなる。楓の体を抱きしめ、幸恵は必死に楓を励ます。

その優しさが余計に楓を苦しめ、息ができなくなる。

「そこまでだ」

遠のく意識の中、佐々木の声が聞こえた。

周りには警官もいて騒ぎ立てる母を取り押さえていた。

「楓君。もう大丈夫だ。しっかりしろ」

佐々木の声が楓の耳に届くが、その声に楓は反応できなかった。

ただ、一言、ごめんなさいと息を吐くように呟き、楓は気を失った。

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