第50話 ここで生きていく

翌日、女性に朝食ができたと起こされ、和室の食卓に並んだ食事を一緒に食べる。

食後にはお茶を出され、今後の話をされた。

夫婦は高橋 義雄、幸恵と名乗り、2人で若い頃から食堂を切り盛りしていたと話す。

夫婦の間には娘が1人いるが、2年前に嫁いでからは2人で暮らしているらしい。

偶然、楓の話を耳にし、退院した後もどうなったのか気になっていたそうだ。

2人の話を楓は黙って聞いていたが、ボソボソと自分の事を語り始めた。

昔はこの街に住んでいて、母との関係がうまくいって無かったこと、父と暮らす事になったがそれもうまく行かなかった事、高校を卒業した日に家を出て疎遠になっている事、そして色々あって好きな人と離れ離れになっている事、今は会えないけど、時期が来たらその人の元に戻るつもりだから、長期では働けない事も告げた。

楓の話を静かに聞いていた夫婦は、楓を慈しむように見つめていた。

「苦労したのね。好きな人は楓君と同じ気持ちでいるの?」

「はい。幼い頃に知り合って、僕が辛い時ずっと励ましてくれたんです。父と暮らす事になって7年も離れていたんですが、僕をずっと想っててくれて、会いにきてくれたんです。それで、夏が来る前に式を上げました」

「まぁ!結婚までしたの!?それにしても素敵な話ね。7年経ってもお互いに想い合うなんてなかなか無いわよ?楓君が今まで辛い目にあった分、神様がきっと引き合わせてくれたのね」

「はい。僕もそう思います」

そう言葉にした瞬間、ロイドの笑顔が思い出され、指に光るリングを見つめながら、自然と笑みが溢れる。

「あら、初めて笑ったわね。嫌だわ、惚気かしら?」

「そんな事は!」

揶揄うように笑う幸恵に、楓は顔を赤らめ返事をする。

するとずっと黙っていた義雄が口を開く。

「楓君、その時までここに住み込みで働きなさい。」

「え・・・?」

「いずれ戻るにしてもお金があって困ることはない。給料はきちんと払う。住み込み代はそこから出せばいい」

「いいんですか?」

義雄の言葉に、楓は目頭が熱くなる。

「かまわん。ただし、出て行くときは黙って消えたりせずに挨拶くらいはしていけ」

「・・・はい。よろしくお願いします・・・」

楓は畳に頭を付け深々とお辞儀をする。嬉しくて涙が溢れる。

ロイド、僕、この世界で居場所を見つけたよ。僕、ここで頑張る。頑張って会いに行くからね・・・


一年後、満面の笑みでお客に挨拶する楓の姿があった。

最初の頃はおどおどしていた楓も、馴染みの多いお客さんのおかげかすっかり慣れた手付きで皿を片付けていた。

それも、全て献身に支えてくれた義雄と幸恵のおかげだった。

明るい幸恵の笑顔に励まされ、無口ではあるが、どっしりと構えて楓を導いてくれる義雄の存在が楓の心を和ませていた。

19時になり暖簾をしまう。2人が60を超えていることもあり、夜遅くまでの営業ができない為、食堂にしては早い店仕舞いだった。

子育て真っ最中は遅くまで営業していた様だが、娘が成人し終えた頃からゆとりが出て、時間を徐々に短縮していったらしい。

そして、義雄が体調を崩し入院した事がきっかけで、19時きっかりには暖簾をしまうようになった。

店の掃除をしているとドアがガラッと開き、振り返ると佐々木先生が笑顔で立っていた。

「楓君、元気にしているかい?」

「先生!どうしてここが?」

「ここのご主人が定期検診に先日見えてね。楓君と一緒に暮らしていると聞いて様子を見にきたんだ」

「はい。佐々木先生の病院で縁があって、お世話になっています」

佐々木は楓の笑顔に安心し、奥にいた義雄達に声をかける。

そして、楓に少しいいかなと声を掛け椅子に腰を下ろした。

佐々木の神妙な面持ちに、楓も箒を立てかけ腰を下ろす。

「先に伝えておこう。君が毎月振り込んでくれるお金、あれはもういらないよ」

「え?」

「やっぱり気づいてなかったか。すでに完済し終えていたんだ。だが、連絡取ることも出来ずにどうしようか悩んでいたら、義雄さんから君の事を聞いてね」

持っていた鞄から領収書と、払い過ぎた分と封筒を楓に渡す。

「わざわざありがとうございます」

楓はお礼を言い、置かれた封筒と領収書を受け取る。

「それとね、話はこれからなんだ。あ、これは義雄さん達にも聞いててもらおうかな」

そう言うと大きめな声で義雄達を呼ぶ。

奥から出てきた2人は何事かと顔を出し、佐々木に座るよう促され、楓の両隣に座る。

「これは、楓君が退院した後の話なんだが、君の母親だと言う人が訪ねてきてね。君を探しているって言うんだ」

母という言葉に喉がひゅっと音を立てる。

「楓君の詳しい事情は知らないが、あまり他言しないようにと看護師達には口止めしていたから、楓君の事はその女性には知らせなかった。だが、その後も何度か来ている。恐らく楓君が担ぎ込まれた事を他所から聞いたんだろう。その女性に心当たりはあるかい?」

背中が凍りつくように冷たく感じるが、汗が止まらず、体まで震え始めた。

楓の異常を察知して佐々木はすぐに立ち上がり、楓のそばに寄り添う。

そして、背中を撫でながら優しく語りかける。

「楓君、大丈夫だ。深呼吸して」

佐々木の言葉に合わせて深呼吸をするが、上手く行かない。

すると幸恵が楓の手を握り言葉をかける。

「楓、しっかりして。大丈夫よ、私達がついてるわ」

楓はゆっくりと幸恵の方に顔を向ける。するともう片方の手を義雄が握る。

義雄にも顔を向けると何も言わず黙ったまま、楓を見つめる。

義雄の目は幸恵と一緒で楓を励ましてくれていた。

三人の励ましで楓も落ち着きを取り戻し、深い深呼吸をする。

そして、楓はゆっくりと口を開き、その人はきっと母親ですと呟く。

楓は義雄達には虐げられていた事だけを話し、あの事は話していなかった。

話す事であの時の記憶が鮮明に思い出されるからだ。

だが、心配していつまでも手を握る2人、そして寄り添ってくれる佐々木には話すべきだと悟り、ゆっくりと口を開いた。

あの日、楓が母親に刺された事を・・・

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