第16話 この世界で生きる

慌ただしく日が過ぎて行き、ロイドのプロポーズから1週間ほど経った。

婚約式とお披露目の準備で城中が騒がしい中、何もできない楓はもどかしく思い、ロイドにお願いして家庭教師をつけてもらった。

ロイドの側にいるために、この国の事を学びたかったからだ。

不思議と出会った時から言葉は通じるものの、文字はさっぱり読めない。

ここに来る前に、本で昔の貴族時代の事をあれこれ調べていたので、多少の習慣や風習は知っていたが、貴族としての教養などわかるはずもなく、ましてやこの国が本通りのはずでも無いので、最低限のマナーなども学びたかった。

「無理しなくていいんだぞ。俺は楓にはここで笑って暮らしていて欲しいんだ」

「無理なんかしてない。僕はロイドの側にいるだけで笑顔になれてるよ。だから、それは心配しないで。今は少しでもロイドに相応しいお嫁さんになりたいんだ」

笑顔で応える楓が可愛くて、ロイドは楓の頬にキスをするが、頬を抑えながら真っ赤になる楓に怒られる。

「もう・・人前ではやめてって言ってるのに」

「かわいい楓が悪い」

「ロイドって、クールな感じだと思ってたのに、全然違った。泣き虫だし、恥かしい事ばっかりするし、第一僕に甘すぎる!」

ブツブツと俯きながら呟く楓。そんな楓に目尻が下りっぱなしのロイドが抱きつき、また怒られる。そんな微笑ましい様子を周りは少し呆れ顔で見ていた。


「楓殿、こんにちは」

庭園で字の書き取りを1人で勉強していると、小さな男の子に声をかけられる。

少し離れて何人かの付き添いがいたのに気づき、この子は・・と思い当たる。

「グレイス・ウェイルと言います。ご挨拶が遅くなりました」

丁寧に深々とお辞儀する姿に釣られて、楓は慌てて屈み、目線を合わせてお辞儀する。

「君がロイドの弟君だね。やっと会えた」

楓が笑顔で手を差し出すと、一瞬固まるグレイスだが、すぐに笑顔で握手する。

「申し訳ございません。少し風邪を拗らせてしまって来るのが遅くなってしまいました」

「え!?大丈夫なの?」

「はい。すっかり良くなりました」

「ほら、ここに座って!病み上がりに無理したらダメだよ」

楓は小さなグレイスをヒョイっと抱え、隣に座らせる。

急な事にグレイスはまた固まるが、楓はグレイスに微笑みながら問いかけた。

「グレイスはもう字とか書けるのかな?」

「はい。一応、読み書きはできます」

「じゃあ、時間がある時、こうして遊びにきて僕に字を教えてくれる?頑張ってるんだけど難しくて・・・」

途中まで書き込んでいた紙をグレイスの前に差し出すと、グレイスはその紙と楓の顔を交互に見つめ、不思議そうな顔をする。

「大人が字も書けないなんて恥ずかしいよね。僕の事、ロイドから聞いてるかな?」

「はい。日本という別の世界から来たと・・・」

「そうなんだ。だから、不思議と言葉は通じるんだけど、字も読み書きできないし、ここの世界のことはまだまだ勉強中なんだ」

羽ぺんをクルクル回しながら、楓は困った顔をする。

「やっぱりダメかな?グレイスも忙しいもんね」

「いえ!そんな事はないです」

「本当!?良かった」

楓が満面の笑みでグレイスの顔を見つめると、グレイスは顔を赤め俯き、ポツリと呟く。

「お兄様のお嫁さんは、とても可愛らしいですね」

6歳のグレイスにそんな事を言われ、楓も顔を赤めポツリと呟く。

「僕の方がずっと年上なのに、そんなに子供っぽいかな?」

「いえ!ちゃんとした可愛らしい大人のお嫁さんです!」

慌てて答えるグレイスの声があまりにも大きかったので、楓は一瞬びっくりするが、何だか可笑しくて笑ってしまった。

「ありがとう。じゃあ、初めにロイドの名前は覚えているから、グレイスの名前の書き方、教えてくれる?」

「はい!」

楓の笑顔に釣られて、ぎこちなかったグレイスの表情も和らぐ。

グレイスは楓に渡されたペンを取り、紙に丁寧に名前を綴る。

そして、楓に自慢げに見せた。

「綺麗な字だね。僕も頑張って見習らわなきゃ」

文字を褒められ嬉しそうに楓を見つめるグレイス。

楓はグレイスの頭を撫でてやりながら、ベールの向こうの兄達を思い出す。

会った初日に冷たい言葉を投げつけて、それ以降はほとんど顔も合さず、言葉を交わす事も無かった。

兄弟の形どころか家族の形さえ楓にとっては未知の世界だ。

ふっとロイドの言葉が思い出される。

(家族として受け入れてくれ)

ここに来てから、ロイドの周りの人もメイドさんも優しくしてくれる。

楓を見る目が憐れみや敵意じゃない事はわかっている。

だが、正直どう接していけばいいのかわからない。

グレイスの笑顔を見つめながら、楓の中に不安と恐怖に似た感覚が少しずつ膨らんでいった。

(僕はロイドが望む家族の形を作れるのかな・・・)

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