第8話 大いなるもの

「あぁ?! 何だぁクソガキが、引っ込んでろクズ!!」

 

 隊員の恫喝が耳朶を打つ。

 それでもキカは広げた両手を下げはしない。

 

 怒りに燃え立つ目の底で、穏やかに笑って逝ったピッケの顔が揺らめく。

 キカが大切にしまっている思い出まで踏みにじるがごとき、ボズ=ロッソの言い分は到底許せるものではなかった。


 キカはボズ=ロッソを見据えたまま、気丈に言い返す。

「先生でなけりゃ助からなかった人がいる。先生だからこそ救われた人がいる。それは他の誰でもない、ガザン先生がいてくれたからこそなんだ。そんな先生を、悪く言うな!」


 キカの必死の叫びにつられて、人だかりの中からぱらぱらと同意の声が上がり始める。その声に力を得た彼は一段と声を張り上げた。


「それに先生はカザクラのお抱えになる事がもう決まってる! そんな先生に手を出してみろ! カザクラ大公家だって黙っちゃいないぞ!」

「カザクラ大公家……」

 ボズ=ロッソの片眉がぴくり、と反応する。

 尊大なこの男もさすがに南域の雄の名は捨て置けないらしい。初めて現れた反応にニヤリと口元が緩んだ瞬間、太い腕が伸びて来て、ぐいっとキカの胸倉を掴んだ。


「ごちゃごちゃ、うるせぇんだよ! ガキが!!」

「やめろっ、その子に手を出すな!!」

 激昂した隊員とガザンの声が入り乱れる。キカは性急に振り上げられた拳に咄嗟に目をつむった。


「やめろ」

「ロッソ様、ですがコイツが」

 ボズ=ロッソに腕を掴まれた隊員は戸惑った様子でとキカと彼とを交互に見た。


「やめろと言ったのです」と、もう一度冷徹に言い放って、ボズ=ロッソは胸倉を掴まれたまま強気に彼等を睨むキカに尋ねた。


「小僧、今の話は本当か?」

「当たり前だ! 嘘なんかじゃない!」

 ボズ=ロッソの目が初めてキカに向けられる。キカの衣服の胸元に縫い付けられた分銅の紋章に気付いた彼から小さな舌打ちが洩れた。


「そうか。お前、その身なりは……バンジェット商会の関係者か」

「そうだ。リスタルテさんの下で働いてる」

「……バンジェット商会のリスタルテだと」

 リスタルテの名前が出た途端に隊員達に動揺が走る。

 キカの胸倉を掴んでいた隊員も慌ててその手を放し、「けっ」と面白くなさそうにそっぽを向いた。

 

「カザクラにバンジェット商会ですか」

 ぽつりと呟いて、ボズ=ロッソは考え込む。ややあってから彼はキカ、それからガザンを見て、1人頷いた。

「……忌々しい限りですが、いいでしょう。今はまだ、見逃して差し上げます。ですが」

 金糸の縁取りも鮮やかな濃紺の制服がひらりと翻る。


「あまりいい気にならないように。……お前達もここは引き上げなさい」

 戻って行く総司令官に、隊員達も渋々と付いて行く。最後まで意地汚く、ペッと地面に唾して、治安維持隊は去って行った。

 広場を満たしていた悪意と緊張感も消え去り、興味を失った人々はそれぞれの日常へと散って行く。

 そんな人々を背景に、キカは慌ててガザンへと駆け寄った。


「先生ごめん、俺……!」

「いや、いいんだキカ。……ありがとう」

 ガザンはキカへと曖昧に微笑む。しかし、その眼差しは深刻な憂慮を孕んで、治安維持隊の去って行った方へと注がれていた。


◆◇◆


 時を同じくして皇城ミラリスバンツの執務室に苛立ちを含んだ、グリゼルダの甲高い声が高く反響した。

「遠征軍は北都にての編成を終え、目的地である北域群島に向けて、その第一陣の出立を5日後に待つばかり。にも関わらず、各地からの物質の輸送が滞っているそうですが、これは一体どういう事でしょうか」


 彼女は居並ぶ大務達を一渡り眺め回す。グリゼルダの不満を余所にどの大務もそれぞれに黙りこくっている。ただ1人、皇内大務のムンゼー伯爵だけがグリゼルダの言葉に大きく頷いて賛成の意を表した。


「全く以て、ランディバル侯の言う通りですとも。どうにもこの場の皆様には此度の遠征に対する理解が欠けているように見受けられますな」

 両手に力を込めて積極的に語る彼に、傍らのアウルドゥルク侯が煩わしげな一瞥をくれる。彼はオホンと控えめに咳払いをした。


「致し方あるまい。ここ1年、精道の淀みが各所で深まり、帝国全土での妖魔による被害は増加の一歩を見せておる。おかげで農地への被害も全体の1割を超えて深刻なものになりつつある。その上で無理を押した遠征なのだ。多少の遅延は誰にも責められぬ」

「アウルドゥルク侯は此度の遠征を蔑ろにしても良いと、そうおっしゃるおつもりですの?」

「計画そのものが杜撰であるのは明らかなる事実だ」 

 噛みつく勢いで反論したグリゼルダにアウルドゥルク侯は苦り切った表情で臆することなく言い返す。


「まるで帝国の威信を蔑むかのような発言ですわね」

「不必要な負担をこそ諸侯に強いる。そのような遠征のどこに帝国の威信があるというのか。責任の所在を問うのであれば、まずそこからであろう」

 

 鋭く切り返した彼の言葉に大半の大務が大きく頷く。真正面から彼女と対峙するアウルドゥルク侯の気迫に気圧されたグリゼルダは悔しそうに唇を噛み締めた。続けて何か言いたげに真っ赤な紅の光る唇を開けたものの、言葉が出て来ない。

 グリゼルダはどすん、と荒々しく腰を降ろすとこれみよがしにアウルドゥルク侯から顔を背けた。


 重苦しい空気が立ち込めて行く中で、焦燥の声を上げたのは皇帝の隣に座を占めたフェストーナである。

「そんな事より、お姉様はまだ見つからないんですの!? すぐにでも帝国全土の警務師に手配をするべきではありませんの!?」

「はて、それは随分と異なことをおっしゃる」

 

 太理大務のセラフォリア公爵の明晰な瞳が真っ直ぐにフェストーナを射る。彼の言葉にラハルトが、左様、と重々しく同意した。

「皇太子殿下の安否は確かに気遣われる所ではありますが、何故そこで全国手配などと言う話になるのでしょうか。私にも一向に解せませんな」

「お姉様は皇太子でありながら異端認定を受けて行方をくらましたのでしょう!? だったらすぐに全国の警務師に追わせるべきではありませんの!?」

「異端認定」と呟いて、ラハルトは小首を傾げる。


「さて、どうでしたかなアデバ法主代理」

 ラハルトに問われたアデバ法主代理は良く盛り上がった胸筋をぴく、とさせて優美に歯並を見せる。

「確かに皇太子は異端の疑いがあり、弾劾裁判にかけられましたが、その最中に不貞の輩の乱入があり裁判は中断しております。……すぐにでも再開したい所ではありますが、訴え人であるファルスフィールド前法主の行方すら分からぬ現状、さてどうなります事やら」

「……なっ!?」

 長い睫毛に美しく彩られた双眸を見開いてフェストーナは絶句する。


「そもそも、もし仮に異端認定を受けたとしても、皇太子はれっきとした皇族。その管轄は警務師ではなく、教院より依頼を受けて朱玉府が取り扱うもの。どうぞお間違えのないよう」

 自らの理解の足らなさを曝け出した彼女はそれでもしつこく食い下がり、ドン、と卓を叩いて感情を暴発させた。


「こ、これだけ長い間逃げ続けるなんてお姉様に出来る訳がないわ! 誰かが匿ってるに違いないじゃない!!」

 一同に白けた雰囲気が広がるも、とりのぼせたフェストーナの口は止まらない。


「絶対に東都よ! 東都が関与しているわ! あのお姉様に、他に行くあてなんて無いですもの。すぐにでも東都代宰を玉都に招聘して問い詰めなさい!」

「それは出来ませんな。東都は四都の中でも霊珠の管理を任された重要な地。それ故、東都代宰には司法権と統帥権の独立保持が帝国法によって認められております。おいそれと東都代宰であるイリアス殿下を玉都へ招聘など出来ないのですよ」

 礼綱大務、カスターリッツ伯爵夫君の丁寧な注釈も彼女の耳には入らなかった。


「けど、あそこは皇太子領で、だから……」と言い募るフェストーナの言葉をラハルトが遮る。

「わざわざイリアス殿を招聘などせずとも、玉都には代宰代理としてご子息のエシェルバルド殿がおられる。聞きたい事があれば直接お尋ねになられたらいかがですかな? あなたの父上はフェスタローゼ殿下を匿っておいでなのかと」


 フェストーナは同じ歳の従兄弟であるエシェルバルドとは仲が悪く、それは周知の事実でもある。

 それを充分に承知の上での大叔父の当てつけに、フェストーナの顔がさっと赤らむ。彼女は地団駄を踏みかねない形相でとぼけた顔をしているラハルトに食ってかかった。


「お姉様がずっと逃げ続けてるのは事実でしょう!? その間もずっと皇太子として公務を続けてる私が、何故いつまでも代理扱いを受けなればなりませんの!?」

「それはフェストーナ殿下、貴女が皇太子殿下の代理だからですな」

 尤もらしいしかめ面でラハルトが答える。いかにも真面目そうに答えたその様がフェストーナの神経を逆撫でした。


「馬鹿にして!? いくら大叔父様とはいえ立ち場をわきまるべきではありませんの!?」

「立場をわきまえるべきはフェストーナ殿下、貴女の方ですな。本来であればこの場にて発言が許されるのは八師の大務と法主。そして皇帝陛下、皇太子殿下のみです。にも関わらず貴女の列席が許されているのは、皇太子の公務の穴埋めをしている普段の功績を配慮しての事。それ以上を望まれるのは決して御身の為にはなりません。おやめなさい」

「そういじめてやるな。ラハルトよ」


 皇帝リスディファマスがようやく口を開いた。ここまでのやり取りを楽しそうに見つめていた彼はゆったりと頷いて、愉悦に口元を緩ませる。

「自らの欲する処を知る者に、私は寛大だ。好きにさせよ」

「……では陛下、フェスタローゼ殿下の廃嫡は」

「すぐにでも構わぬ。だがそれは私自らが本人に直接伝えねば気が済まぬ。まずはここに連れてまいれ。話はそここからだな」

「ですがお父様、お姉様は……!」

「さて、どうしたものかの、グリゼルダよ」


 ランディバル侯を馴れ馴れしく下の名前で呼びつけて、皇帝は彼女に意味深な言葉を投げかける。

「お主には分からぬか? 私は本人をここに連れてまいれと言っておるのだ。他には何も条件などつけておらぬ」

 すぅっとグリゼルダの目が細くなる。彼女は目を眇めたまま、慎重に問い返した。

「……つまり生死は問わぬ、と?」


 グリゼルダは艶々と光る爪を唇に当ててしばらく黙り込んだ。再び口を開いた彼女は、浮かんだ妙案を堂々と皇帝に奏上する。

「陛下。フェスタローゼ殿下捜索の為には、今の体制のままでは不十分かと判断せざるをえませんわ」

「何を望む」

「……治安維持隊に、東都代宰と同等の権限を」

「何を馬鹿な事を!」とセラフォリア公爵が息を飲む。帝国法の番人たる太理大務の彼にとって、その要求は正しく法に対する冒涜であった。

 一様にざわつき始めた大務達を愉快そうに見渡してから、皇帝は短く、明快に答える。


「赦す」


「陛下!」

「……光栄にございますわ」


 御前会議が終わり、グリゼルダは悠々と執務室を出て行った。不安げに眉を顰めるフェストーナと、誇らしげに顔を輝かせたムンゼー伯爵とがその後を追って行く。


 皆が退室した後、皇帝はふっと肩の力を抜いて1人呟いた。

「私はただ、今一度フェスタローゼに会いたいだけなのだがな」

 どこか拙く、幼子のような無垢なその呟きに対して返る言葉があった。

「ならば何故、生死は問わぬなどと」

「……アレの周りはどうせ守られておるのであろう? グリゼルダは確かに好ましい限りの妄執の塊ではあるが、あの者にどうこう出来る筈もあるまい。もがく様もまた見ものではないか」


 ひとしきり愉しげにしたあと、皇帝は奥に向かって話しかけた。


「お前も色々とちょっかいを出しているようだが、しばらくは控えておれ、シェラスタン」

「ですがすでに、ティン=サリアの流れは覚醒を待つばかりに」

 精道が歪み、シェラスタンが中から姿を現す。大人しくかしづいた彼をちらりと見やって、皇帝の顔をしたは口を尖らす。


「それすらも一興と私は言っておる お前はいつも私の意向を理解しようとはせぬな」

「……全ては御心のままに。我らの祖たる大いなる淀みよ」

 シェラスタンの言葉に皇帝は軽く肩を竦めた。そして伸びやかにその両手を天井に向けて朗らかに言う。


「いつの世も人の中にあるのは楽しきことよ。今しばらくはこやつの体で遊び回ろうぞ」

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