第6話 ボズ=ロッソという男
南都庁舎の代宰執務室に自信に満ち満ちた声が広がった。
「お初にお目にかかります代宰閣下。わたくしめは、玉都より皇帝陛下直々の命により棄民排除の任を賜りました、警務大務直属の特級参預。ボズ=ロッソと申します。どうぞ以後、お見知り置きを」
代宰の椅子に腰かけているのはモロク。人生の大半を戦いに身を置いて来た歴戦の勇者は眼光鋭く、自らの前に立つ玉都からの厄介者を見上げた。モロクの傍らには今年19歳となる孫娘のクロエが寄り添って立っている。
モロクの厳めしい口元が重々しく開いた。
「ふがふがふごご、ふごっ」
「本日代宰におかれましては新調した義歯の不具合の為に会話もままならず、こうしてわたくしが通訳として付き添う事をご容赦ください」
クロエのよく通る可憐な声が響く。
南都代宰モロクの正面に立つボズ=ロッソの目に明らかな落胆の色が浮かんだ。
「……早々に失礼ながら申し上げれば、かつて代宰殿は今は亡きヴァルンエスト侯と肩を並べられ、帝国守護の要とまで称されたお方。されどこの状況はいかなる事か。皇帝陛下は申されました。早急に棄民を排除せよと。にも関わらず、この南都におきましては外壁の外にいたるまで未だ棄民共が溢れかえっているではありませんか!」
「ふがふがふごっご、ふがが」
「代宰は『今日の夕飯はまだか』とおっしゃっております」
「……良いですか。皇帝陛下は早急にと申されたのです。この意味がお分かりか? 早急にですぞ!?」
「ふがふがふごご、ふごごふがふが」
「代宰は『そういえば棚に昨日、食べかけのスリーキパイを放り込んだな』とおっしゃっております。お爺様、あれ程棚に食べ物を入れっぱなしにするなと申し上げましたのに」
「そもそも、棄民共に救済の必要などないのです! ヤツラは皆、生まれ育った地における自らの責務から逃れようとする怠惰な輩。己の無能を省みぬ愚者の集まり。彼らに最も必要なのは厳格たる処罰と厳正たる躾なのです!」
「ふごごごふが、ふがふがふごご」
「代宰は『すまん、もうしない。ちゃんと食べきるから』とおっしゃっておいでです」
繰り返される無意味な一方通行の会話についにボズ=ロッソの怒りが炸裂した。彼はバン、と激しく書机を両手で叩き、ぐいとその強面を老人の前へと突き出した。
「我らを愚弄なさるおつもりか!? 良いですか、これは皇帝陛下の命なのです! その我らを愚弄するという事は皇帝、ひいては帝国に刃を向けるも道理! 帝国そのものを敵に回せば、かような田舎の都市などすぐにでもっ……」
激昂するボズ=ロッソが最後まで言い切るより先に、代宰が身を乗り出す彼の胸倉を掴んだ。老人らしからぬ怪力にボズ=ロッソは成す術なくぎりりと首元を締め上げられる。
「吠えるなこわっぱが!」
雷鳴のごとき一喝がびりびりとその場の空気を震わした。
「ウダウダくだらねぇ事ばかりぬかしやがって。てめぇの背後がどうした!? そんなちんけな脅しがこの儂に通じるとでも思っておるのか!」
「てめぇの寝ぼけたツラを洗い直して出直して来い、このスットコドッコイ。相手が皇帝だかグリゼルダだか知るか。文句があるなら直接ここまで来やがれってんだ。死出の道連れに相討ち覚悟でその腐った根性、とことん叩き直してやる。と、代宰はおっしゃっております」
「……いや、さすがにそこまでは言っておらんがの」
「だそうです」
祖父のツッコミにクロエはあくまで澄ました顔で告げる。
代宰モロクの手がようやくボズ=ロッソを解放する。彼は汚らしいものを払う仕草で胸元を払うと、改めて居丈高に言い放った。
「良いですな! この事は中央にしかと報告させていただく! 南都代宰は非協力的であったと!」
「好きにしろ」
余りに素っ気ない返事に、ボズ=ロッソは奥歯をぎりりと噛み締める。
「さ、左様であれば協力は結構。こちらはこちらのやり方でやらせていただく故、くれぐれも邪魔だてはせぬように。後、これだけははっきりと申し上げておこう。全ては皇帝陛下の勅命なのだと!」
喚き散らした果てに気不味い咳払いを残して、ボズ=ロッソと彼の部下である治安維持隊の隊長はそそくさと退室して行った。
同席していたユベールはその2人を立ったまま見送り、困ったような顔を代宰に向ける。
「……代宰。頼みますって本当に」
「まったくです。口も聞きたくないからと無理やり呼び出されたわたくしの身にもなってくださいませ、お爺様」
「けっ、知るか。いざとなったらとっと白旗ぶん回して、このおいぼれの首一つくれてやりゃあそれで気が済むだろうよ。それよりもだ」
モロクは太い息を吐いて、背もたれにどっかりと背を押し当てる。
「すまんなユベール。てめぇに損な役回りばかり押し付けちまってよ。何ならそんなちんけな犬の紋章なんぞ、とっとと放り出しちまっても構わねんだぜ? 後の面倒くらい、南都でいくらでも見てやる。なんだったらこのクロエをくれてやってもいい。気性は荒いが見てくれは悪くねぇ。2番目の嫁にどうだ?」
宮廷よりも戦場に長く身を晒した老人の語り口は荒々しくも、ユベールに対する確かな信頼感に溢れていた。
ユベールは苦笑いと共に、胸にある警務師の徽章をぴん、とつま弾く。
「こいつにそれ程未練がある訳じゃないんですけどね。ただ玉都に1人、このまま埋もれちまうには惜しい友人がいましてね。だからまぁ、何です。そいつを引き戻すまでは何があってもこいつを放り出す訳にはいかないんです。……すみません、代宰」
「失礼ですが、それでなくてもユベール様は噂に名高い愛妻家なお方。そんな所にわざわざ割って入るなど、私は嫌ですからね。自分の相手ぐらいちゃんと自分で見つけますので放っておいてください」
ツン、とお転婆に顎を反らした孫娘にモロクはつまらなさそうに頬杖をついて、温くなったお茶をがぶりと飲んだ。
「けっ、言う事ばかり一丁前になりやがって。だが、ユベール。てめぇがそこまで言うたぁ、そいつも大したタマじゃねぇか。なるほどなるほど。……で、だ。そいつはまだ独り身かい?」
「……お爺様?」
2人の微笑ましいやりとりにユベールはやれやれと肩をすぼめた。その脳裏に懐かしい友人の面影を思い出して、にこやかに告げる。
「残念ですが、あいつは昨年の9月に新妻を迎えたばかりですね。未だ新婚ホヤホヤといったところでは」
一方、執務室を退室したボズ=ロッソの方は激しい怒りの最中にあった。彼はドン、と廊下の壁に拳を喰らわして、所構わず雄叫ぶ。
「おのれっおのれっおのれっ! 南都代宰だからと下手にでておれば何たる態度か! くたばり損ないのおいぼれが、よくもっ、よくもっ!」
もう一度、ドシン、と壁に喰らわす。壁にかかっていた一輪挿しが揺れて、生けられていた花が一輪、彼の袖口に張り付いた。ボズ=ロッソはその花を思いっきり部下の顔面に叩きつける。
「これもそれも、お前達がいつまでもグズグズしているからだこの無能が! 何のために先んじて南都に入ったのだ! 未だ棄民共はゴミ溜めの如く外壁に居座っておるではないか! 一体今まで何をしていたのだ貴様らは!!」
「も、申し訳ありません! で、ですが棄民共に手を出そうとするとけったいな白緑士が何かといちゃもんをつけてきて思うようにいかず……」
「白緑士が? よもや教院が動いておるのか?」
「いえ、そういうんじゃないんですが、何でも北辺出身のやたら腕のいい放浪の白緑士だそうで、周りにも顔が効くのかそいつが出しゃばってくる度に棄民共の抵抗も強くなるようで」
「ちょっと待て」
ふとボズ=ロッソの怒りが和らぐ。彼は不審そうに眉を顰めて部下に問い質した。
「北辺出身と言ったな。……その白緑士の名は?」
「確か、ガザンと」
「ガザンだと!?」
ボズ=ロッソの足がぴたりと止まる。彼は思わずにやけるその顔を手で抑え、次第に肩を震わせて笑い出す。
「……そうか。ここにいたのか。良いぞ、これは良い! まさかこのような場所にいようとは! これぞ天のめぐり合わせか!!」
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