第4話 強さの猶予

「ローザ? 何やってんだそんな所で」

「……キカ? 何って」


 ふとかけられた声に顔を上げると、そこにキカがいた。不審げに小首を傾げて眉間に小皺を寄せる様子に、フェスタローゼは手元へと視線を落とす。


 ナギハの部屋を出た所までは覚えてるが、その後の記憶がない。

 本館から続くバルコニーの片隅。

 いつの間にこんな所まで来たのか、そこに置かれた歴代当主の彫像を何故か無心で撫でている自分がいた。

 武門の誉なのだろう。隆起した半裸の肉体美が微細に彫り込まれている。


「……何してるんだろう、私」

「いや、それは俺が訊きたい。顔色悪いけど、何かあったのか?」


 快活なキカの声が胸にしみる。声変わりしたキカはすっかりと男気を増したが、一緒にいた時と同じ心根の柔らかさに安心を感じる。


「ごめん。ちょっとぼーっとしてたみたい。何でもないの」

「……本当に? 何でも無いようには見えないんだけど。何か辛い事とかあったんならちゃんと言えよ?」

「信用ないな。大丈夫だから本当に。……何でもない」


 何かあったのかといえばその通りだが、それは自分の問題であって、キカに縋る訳にはいかない。

 迷う気持ちを吹っ切るかのようにフェスタローゼは両手を組んで、上に向かって思い切り良く伸ばした。


 気持ちよく伸びをして、勢いよく手を放す。秋晴れの空に薄く浮かんだ残月が指の隙間から零れて行った。


「ごめんね。今日はナギハ殿が鍛錬をお休みにしてくれたし、キカの行きたい所へ案内してあげるよ」


 忘れられる訳はない。 

 だが、気持ちを引きずっていても何も変わらないと、努めて明るく振る舞う。

 だが、そんなフェスタローゼにキカはバツが悪そうにこめかみを押さえると、申し訳なさげに視線を下げた。


「あー、ごめん。積荷が揃ったから俺達もう行かなくちゃ」

「……えっ!?」

「もう行くの!? 早過ぎない!?」


 驚くフェスタローゼが何かを言うより先に、後ろからキカを追いかけて来ていたハルツグが素っ頓狂な声をあげる。


「だってまだ3日しか一緒にいないのに!」

「いや、なんでそこでハルツグさんが駄々をこねるんですか!」

「久し振りに会えた殿下とこんなにすぐにお別れだなんて。なんて事なの、あんまりだわ! ひどい!」

「酷くないから! リスタルテさんにすぐ戻るように言われてたの、ハルツグさんだって聞いてましたよね!?」

「聞いていても覚えてるかどうかは別ね。それに、言われた通りにするかどうかは誰にも分からない事よ?」

「どんな屁理屈ですか! 一応仕事で来てるんですからね!」


「……チッ」と舌打ちした彼女にキカはいよいよ呆れ果てた表情になる。その様子に、フェスタローゼも思わずくすり、と自然に笑みがこぼれた。


「あー、もういいですから。俺は先に商会の荷馬車で南都に向かいますので、ハルツグさんは後で追いかけて来てください」

「あら、話が分かるじゃない。あんた将来絶対いい男になるわ」

「あぁぁ! 良かった! まだ間に合った!」


 廊下の端からエルマイネの声がかかった。少し慌てた様子で息を荒げた彼は、やんわりと表情を和ませる。


「エルマイネ? どうしたの?」

「キカ君達がもう出発するって聞いたものだから。屋敷中を探し周りましたよ、本当。間に合ってよかった」


 言いながらエルマイネは、手にした分厚い冊子束をキカへと手渡した。

 一見すると本か何かのようにも見えるが、それは大量の精道符を重ねたもので、カザクラの紋章が描かれた帯で丁寧にまとめられている。


「エルマイネ様、……これは?」と首を傾げたキカにエルマイネは快活に答えた。

「見ての通りの白緑法の精道符さ。実は先生に頼まれていたのだけど、つい先程届いてね。もしよければ戻るついでに南都にいる先生に届けてくれないかい? もちろんその分の謝礼もちゃんと支払うからさ」

「あ、はい。届け物のご依頼でしたら喜んで」と答えたキカの表情は商人そのものだ。しかし、彼はすぐに覚束ない風に目を精道符の束に落とした。


「けど本当によろしいのですか? 精道符なんて高価なもの、それもこんな分厚い束を、俺みたいなのに任せても?」

「何を言ってるんだ。君はローザの恩人の1人でバンジェット商会の商会員でもある。それは何よりの保証だと僕は思うのだけどね。そうだろ、ローザ?」

「キカなら間違いないわ。何だったらハヤカゼの三回転空中とびつきハフハフのおまけつきでも構わない位だわ」

「それは盛大に遠慮する。絶対にいらないからね? と、いう訳でよければ君にお願いしたいのだが、どうだろうか?」

「はい。謹んでお承りいたします」

「ありがとう。あぁ、よかった。今日は珍しく鍛錬もないからね。これでゆっくりと本が読めるよ。いやぁ、本当っ、久しぶりにのびのびと過ごせる。恩に着るよ、キカ君」

 心の底から清々しそうなエルマイネに、フェスタローゼも「お疲れ様」と優しく微笑んだ。


◆◇◆


「じゃぁぁなぁ! また今度なぁ!!」


 何度も何度も手を振りながら、キカは他の商会員と共にカザクラ家を発って行った。豆粒になっても振り返る彼を見送っていたフェスタローゼの横顔が不意に曇る。彼女は振っていた手を下げて、ぽつりと漏らした。


「ねぇ、ハルツグ」

「何でしょうか、殿下」

「私には守りたいものがある。……守らなければならないものがある。その為にも、もっと強くならなければいけないって、そう思った」


 生真面目に光る双眸で真摯に前を見据えたまま、彼女は語る。

「エルマイネと一緒にナギハ殿に鍛えられて1年。今まで自分がどれほど非力で、無力だったのかを改めて思い知らされた」

 

 前より多少はマシになったって思いたいけど、とはにかんで微笑むフェスタローゼにハルツグは穏やかに頷き返した。

 フェスタローゼはサラリと髪を指で梳いて、寄せる微風に淡い緑の髪を遊ばせる。

 彼女の見上げる先で、逝った人々が在りし日のままに浮かぶ。もう記憶の中でしか生きていない彼等の姿に、フェスタローゼは目を細めた。


「和佐殿下はとてもお優しい方だった。ヴァルンエスト侯は勇ましくも懐の深い方で、ピッケは私に、ありのままでいいと言ってくれた」

 この1年で鍛えられてすっかり固くなったその拳に力が籠る。


「自らの弱さを嘆いて蹲って泣いてるだけでは駄目。強くならなければいけない。それは分かってる。けど、それまでに私は、後どれだけのものを失ってしまうのだろうか」

「殿下……」

 大丈夫ですよ、と言おうとした。

 しかしハルツグの言葉は鋭く空を切り裂いて飛んで来た一振りの木刀のせいで永遠に断たれた。

「誰っ?!」

 見事に木刀をキャッチして振り返ったハルツグにナギハが立ちはだかる。


「ハルツグよ。久方振りに顔を見せたのだ。折角なら一汗流していかぬか」

「ナギハ様? え、でも今はそれどころでは……」

 ハルツグは思わず口籠った。一方のナギハは嘲笑の流し目をくれて、勇ましくその肩に木刀を担ぐ。


「尤も? 宮仕えで腑抜けたその柔らかそうな腕では、流すのは汗では無く悔し涙かもしれぬがな」

「……誰が、何と?」

「無理にはとは言わぬ。か弱き者をいたぶる趣味はないのでな。いっそ宮廷女らしく爪の手入れにでもいそしんでおればよい」


 へぇぇぇ、と地獄の底からの声が這い上がる。

 ハルツグは羽織っていた外套を一振りの元に投げ捨てると、木刀をひたりとナギハに狙いつけた。

「殿下、申し訳ありませんが耄碌したおばばがおります故、しっかりと叩きのめしてやらねば!! しばしのお待ちを!!」

「誰がここで手合わせをすると言った。急くな、ハルツグよ」


 ひたとハルツグをねめつけたまま、ナギハが「ローザ」と呼び掛ける。

「鍛練は休みと言ったが、お主も剣を振った方が気も晴れよう。ついでにエルマイネにも付き合わせるか。探して修練場に連れて来い」

「……はい。ありがとうございます、ナギハ様」


 鍛錬が休み、と清々しく笑っていたエルマイネの笑顔が頭を過ぎる。

 気の毒に、と少々胸も痛むが、ナギハの手荒い気遣いがありがたく、フェスタローゼは「ただ今!」と身を翻した。


 立ち去るフェスタローゼを見やって、ナギハは好戦的な笑みを引込めた。

「お前達、エフィオンの守役は過保護に過ぎる。常に道を示すばかりが守る事ではなかろう」

「ナギハ様。……もしかして、わざと?」と問い掛けたハルツグには答えずに、ナギハは肩でボンボンと木刀を揺らしながら、フェスタローゼの走り去って行った方を見つめる。


「時にもがき、精一杯悩み苦しむ事もまた必要だからな。それでもアヤツはその先にちゃんと答えを見つけるであろう。……そのぐらいには、お主も信じておるではないか?」

「……当然です。私達の姫様ですから」

 凛として言い切ったハルツグの眼差しが緩んで、からかいの影が口元を掠めた。


「ですがお珍しいこと。『カザクラの鬼姫』様がそこまで外部の者を気遣うなんて」

 

 そうか? と、空とぼけてナギハは視線を逸らした。その様は見た目通りの可憐な少女にしか見えない。

 声はなくとも、明らかにニヤニヤと笑うハルツグをバツ悪そうに睨んでから、ナギハは素直に唇を綻ばせた。


「いや、そうかもしれん。だがアヤツのひたむきな姿を見ているとそれも悪くないなと、な」

「御心使いには感謝いたします。ですが、やるからには手加減はいたしませんからね? しかとご覚悟を」

「……ぬかしおる。ここがどこで私が誰なのか、今一度思い知らせてくれるわ」

「望む所ですわ」


 ハルツグとナギハの視線がぶつかり合う。

 2人はほぼ同時に、ふふっと笑みをこぼすと修練所に向けて颯爽と歩き始めた。

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