第3章 狼煙の時
第1話 再会
法主を巡る一連の騒動が本人の逃走という結果を迎えてから1年が経過した帝紀468年9月半ば。
カザクラ大公家の応接室には落ち着きなく、そわそわと体を揺らすキカの姿があった。
華美ではないが品良くしつらえられた室内に、日毎鋭さを失っていく太陽の光が差し込んでいる。
キカは秋の日を受けて輝くグラスのお茶を一口飲んで、不安そうにハルツグに尋ねた。
「なぁ、本当に来てもよかったのか? 迷惑じゃないかな?」
尋ねる声は1年半前とは似ても似つかぬ低い声だ。
華奢だった首や両肩も日々重いワインを抱えて走り回るせいで、しっかりと筋肉が付き、浅黒く日焼けた肌と相まって精悍さが増している。
「やぁねぇ。またそれを聞くの? 何を不安がっているのよ。大丈夫よ」
「だってさぁ」
不安に眉を下げる彼の言葉をハルツグがピシャリと断つ。
「大体、2ヶ月位で帰って来るかと思ってたら1年半よ、1年半! このままじゃあ待っている間にお嫁さんだって迎えられるわよ」
「いや、良く分からないよ、それ」
「いいの! とにかく、待っていても一向に会えないってことよ。だから大丈夫!」
自信なく曲がりかかっていたキカの背中にパシンと喝が入った。
「ほら、シャンとなさいな」
「分かったよ」
キカが渋々、背筋を伸ばす。
しかし直ぐに「……でもさぁ」と情けない声を出したその時、コンコンとノックの音が響き渡った。
キカの全身が緊張で固まる。
ノックとほぼ同時に勢いよく開いた扉から、ボコンと顔を出したのは1匹のツチトラだった。
「妖魔?!」
「こら、ハヤカゼ! 先に入らない!」
「ガフ」
「ガフじゃないの」
ハヤカゼの頭をわしわしと撫でてフェスタローゼが笑う。カラッと突き抜けた笑い声は今までに聞いたことのない活発さに満ち溢れていた。
フェスタローゼの視線と、中途半端に立ち上がりかけたキカの視線が交差する。
「久し振り……です。えと……ローザ」
楽しみにしていた半面、久し振りに会うくすぐったさがキカの心を縛り付ける。
再び会えたら、アレを言おう、コレを言おうと考え続けた全てが抜け落ちて、気不味そうに俯いた彼に届いたのは、素っ頓狂な叫びだった。
「何かでかい!!」
「はぁ?!」
余りに素っ頓狂過ぎる声に顔を上げる。
両手で口元を覆ったフェスタローゼはキカをじろじろと用心深く見つめ回して、恐る恐る訊いた。
「……本当にキカなの?」
「そこで嘘ついてどうするよ。俺だよ」
「だって」
「男子、三日会わざれば括目してみよ、ですわ」静かに言って、ハルツグはしとやかに膝の上で手を組んだ。
「三日どころか1年半も会ってないのですから。この位、成長しますわ」
「1年半」
フェスタローゼの瞳が遠くを見る。
「キカと別れてからもうそんなに経つのね」
フェスタローゼは真っ直ぐにキカの元へ歩み寄ると、傍らに膝をついて彼の顔をじっと見つめた。そしておもむろに頭を下げる。
「ごめんね、キカ。あの時、側にいてあげられなくて本当にごめん」
キカはすぐには口を開かなかった。
ギュッと唇に力を込めて、真摯に頭を下げるフェスタローゼの姿を見つめていた。
「バカだなぁ、ローザは相変わらず」
温かく洩れた声に顔を上げる。
1年半振りに会うキカはフェスタローゼの記憶の中にあるキカよりも、もっと逞しく、男性らしくなっていた。しかし、笑った目元は以前の彼そのままの活発な光があり、そこはかとなくピッケの面影も感じられた。
「そんなこと気にしてたんだ」
「でも」
「……事情は聞いてるよ」
「ええ、私の一存でお話し致しました」
ハルツグが答える。
フェスタローゼは「そう」と一言、吐息混じりに呟いた。
ハルツグに託した以上、仕方なかったのかもしれない。それでも心のどこかではキカには知らせないで欲しかったという、願いがチクリとする。
「本当なら殿下って呼ぶべきなんだろうけど」
「いいのよ、キカは。キカはそのままでいいの」
食い気味に答えて、フェスタローゼは微笑む。
「今は、バンジェット商会で働いているのよね?」
そう、と頷いてキカは苦笑交じりに言った。
「毎日、リスタルテさんに追いまくられてるよ」
「でもすごい頑張ってますのよ、キカは。陰に日向によく働いて評判は上々ですわ」
「やめろよ、何か恥ずかしい!」
「あら」
フェスタローゼとハルツグは目を合わせてころころと笑う。両側から挟まれて笑われたキカはムスッと口をへの字にしたものの、嬉しく思う気持ちが口の端に現れていた。
「ね? せっかく来てくれたのですもの。しばらくいるでしょ?」
キカはハルツグを見てから、申し訳なさそうに眉を下げた。
「仕事もあるし。そんなに長居はできないな。いれても2、3日」
「そっかぁ、残念」
じゃあ、取りあえず、と独りごちてフェスタローゼは元気に立ち上がった。
「屋敷内を案内するわ」
言うが早く歩き始めた彼女の背にハヤカゼがトコトコと従う。
ハヤカゼは追いついて来たキカをちろりと振り返ると、フスと鼻を鳴らした。そして長い尻尾で彼の体をポフンと叩く。
「えっと?」
「良かったじゃない。一応認められたみたいよ」
「それは、ありがとう……なのか?」
「フス!」
「……あ、そう」
「お! ローザ殿、こちらでしたか」
連れだって廊下に出た一行に声を掛けて来たのはエルマイネだった。彼も来客中だったらしく、初老の男性を連れている。着古した若草色の長衣の胸には白緑士の証であるヨシアキ神の聖印が揺れていた。
エルマイネの客を見たキカが「あ!」と急に叫び声を上げる。
彼は男性を指差して「あの時の先生!!」
「こら、キカ。指をさすものではないわ」やんわりとハルツグがキカの指を抑えた。
「いや、あの……すいません。でも、あの時の白緑士の先生ですよね? ローザ、覚えてない? じいちゃんの時の!」
「ピッケの……?」
目の前に立つ白緑士の男性を見る。
キカに急に指を指されても特に嫌な素振りは見せずに、「どこかでお会いしましたか?」と穏やかに尋ねる様は非常に感じが良い。
「あの、覚えてないかもですが。1年半前にテスコ伯爵領での事故の時に俺のじいちゃんを診てくれて」
あぁ、テスコ伯爵領、と男性は軽く首肯した。
「あれだね、イサール商会の荷崩れの時か」
土煙と怒号にまみれた現場の記憶が甦る。フェスタローゼはぱちんと両手を合わせて思わず声を上げた。
「あぁ、あの時の!!」
「お知り合いですか?」とエルマイネが不思議そうに首を傾げる。
「この子の祖父が事故に巻き込まれたのを診てくださったの。手遅れだったのだけど、苦しまないようにって白緑法を。ね?」
うんうん、とキカが力を込めて頷いた。
「お陰でじいちゃんは苦しまずに、笑って逝きました。本当にありがとうございました!」
膝に頭がくっつく勢いで、お辞儀するキカに男性は「やれる事をしただけだよ。結局救うことはできず申し訳ない」
「そんなこと!」
「ほぉ、奇遇なこともあるもんですね。ローザ殿のお知り合いと縁があるとは」
「エルマイネ、こちらの方はどうして?」
「実はこちらのガザン殿はですね、前々から是非とも当家に来てほしいと口説きに口説いていた方なのです」
エルマイネの力の籠った言い方にガザンは困ったように苦笑いをする。
「あら、じゃあようやく?」とハルツグが訊くと、彼の苦笑いがいよいよ深まった。
「誠に申し訳ないが、私は白緑士のいない所を回って治療するのが信念ゆえ、一か所に留まり続けることはできません。ですから半年の期間限定でこちらのご厄介になることに致しました。今日はその話をしに」
「半年間こちらにみえるんですね」
「まぁ、南都での治療を終えてからになりますが」
「何だぁ、南都にみえるんですね。俺……僕も今は南都にいるんですよ」
「そうかい。今は南都なのか」
「それもまた奇遇」とちゃちゃを入れたエルマイネの一言に和やかな笑いがその場に広がった。
しかしそれも束の間であった。
大音声で響く無情な声が大邸宅の中で響き渡る。
「エェルマイネェ! ロォーザァァァ! お前達、忘れてないよねぇ?! 中庭に集合っての忘れてないよねぇ?!」
邪神よりも怖いナギハの怒声にエルマイネとフェスタローゼの背筋が瞬時にピシと伸び切る。
「もうそんな時間?! 行こう、エルマイネ!!」
「お見送り出来ず申し訳ない、ガザン殿! では、あの、当家へ来れる日取りが決まったらまたご連絡くださいっ!」
喋り続けるエルマイネの腕を乱暴に引っ張って走り出しながら、フェスタローゼはキカに手を振り「ごめん! また後でっ!!」
競るようにして走り出した2人が後ろに前になりながら遠ざかって行く。見守っていると、先の方でハヤカゼに飛び乗ったフェスタローゼが無慈悲にエルマイネを置いていくのが見えた。
「ローザ、ひでぇ」半笑いでキカが言った。
「さすがカザクラ家。武張っておりますな」とガザンも楽しそうに肩を揺らす。
「まぁ、ナギハ様は厳しい御方ですから」
「そうなんだ。ローザも大変そうだな」
ハルツグの言葉に、キカはフェスタローゼ達の去って行った方向を再度見つめた。
その精悍な顔を緩ませて彼は呟いた。
「でも、あいつ。何だか楽しそうだな」
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